みなさん、こんにちは!丘紫真璃です。今回は、アメリカの短編小説家 O・ヘンリ を取り上げてみたいと思います。
「アメリカのモーパッサン※1」とうたわれるО・ヘンリは、徹底的に短編小説しか書かない短編小説の名手でした。
彼の短編小説の巧みさは他に類を見ないほどで、豊富な語彙、人間観察の鋭さ、アッと驚かせる結末の意外性にかけては、О・ヘンリの右に出るものはいません。彼ほど、短編小説で人生を切り取るのが巧みな小説家は、世界的に見てもなかなかいないのではないでしょうか。
О・ヘンリの名前をよく知らなくても「賢者の贈り物」や、「最後の一葉」、「よみがえった改心」などの名作を一つは読んだことがあるという方は、たくさんいらっしゃることでしょう。
そんなアメリカ屈指の短編名手О・ヘンリとヨガが、いったいどんな関係があるのか、さっそく、みなさんと考えていきたいと思います。
※1 ギ・ド・モーパッサン:多くの短編小説を残したことで知られるフランスの自然主義作家。代表作「脂肪の塊」「女の一生」など
獄中でも執筆?波乱万丈なО・ヘンリの人生
アメリカの短編小説家、О・ヘンリは1862年9月11日、アメリカのノース・カロナイナ州で生まれました。
父は開業医でしたが、医者の仕事をほっぽりだして発明に凝っていた人でした。その発明が成功すればよかったのですが、どれも成功せずに借金ばかり増やしてしまったので、晩年は酒浸りになってしまいました。
母はといえば、О・ヘンリが3歳の時に亡くなっているので、О・ヘンリは叔母から教育を受けて育ちました。この叔母が文学好きだったらしく、スコット、ディケンズ、デュマなどをО・ヘンリに紹介したということです。
家計が非常に苦しかったため、О・ヘンリは上級の学校には進学せず、叔父のドラックストアで働きはじめます。これを皮切りに、テキサスの牧場でのカウボーイ仕事、薬品会社勤め、テキサス土地管理事務所の登記係など次々に職を転職します。
こうして、様々な場所でいろいろな人を観察できた経験が、彼の短編小説に見事に活かされているといえるでしょう。
テキサスの土地管理事務所の登記係をしている際に、「賢者の贈り物」に出てくるヒロインのデラにそっくりな華奢な19歳の少女、エイソル・エスティズと結婚。彼女のすすめで、О・ヘンリは小説を書くようになります。
ところが、1890年に土地管理事務所をやめ、ファースト・ナショナル銀行の出納係になったことが、彼の幸せな結婚生活を破壊する結果となりました。彼は、公金横領の罪で逮捕されてしまったのです。
彼が有罪であったのか、無罪であったのか、ここは議論の分かれるところであるようですが、彼がつとめていた銀行の経営がめちゃくちゃで、ひどいものだったことは確かなようです。
また、彼は「ローリング・ストーン」という週刊紙を発行して失敗し、赤字を増やしてしまっていたので、借金返済に苦労をしていたということも事実なようです。
この件に関しては、О・ヘンリ自身が生涯、何も語ろうとはしなかったので、事実はどうだったのか、憶測するしかありませんね。
裁判に向かう途中、彼は逃亡して、ニューオリンズに姿をくらまします。そして、妻とひそかに文通をしつつ、ニューオリンズから、中米のホンジュラスに逃亡。この時の逃亡仲間が列車強盗をやった男だったらしく、この男のことも、О・ヘンリは後に短編小説にしました。
できれば、妻子も中米に呼び寄せたかったようですが、妻エイソルが深刻な病にかかっており、とても動ける状態ではありませんでした。その妻が1987年1月に危篤状態に。アメリカに帰れば捕まることはわかっていましたが、О・ヘンリは妻に会いたい一心で、アメリカに帰国します。
アメリカに帰った彼は、妻が危篤状態だということを理由に保釈を願い出ます。これは受理され、妻が亡くなるまで、そばにつきっきりで看病を続けました。
妻の死後、О・ヘンリは有罪判決を受け、オハイオ州の刑務所に収容されます。刑務所生活はかなり悲惨なものだったようで”ここでは自殺がピクニックのようにありふれたものになっている”と彼は書いています。
その悲惨な現実を忘れるため、彼は熱心に短編小説を書き始めます。この刑務所で仕入れたエピソードも、彼の短編に活かされることとなりました。
彼の名作の一つに「よみがえった改心」という銀行強盗が主人公の話がありますが、この話は、刑務所生活の中で知った出来事をもとにして書いたようです。
3年間の刑務所生活ののち、ニューヨークに移り住んだ彼は、そこで短編小説家としての活動を本格的にスタートさせます。それから十年足らずの作家生活の間に、週に一作という恐ろしいようなペースで作品を書きまくり、生涯に280編の短編を残しました。
観察眼に優れた真の冒険家
О・ヘンリの生涯をつい詳しく書いてしまいましたが、こうして見てみると、彼は波乱万丈な人生で出会った様々な人や、様々な場所をあますことなく、短編小説に活かしていたということがわかります。
もともと観察眼に優れた人だったそうですが、波乱万丈な人生を送ったことにより、彼の人間に対する洞察力はますます磨きがかかったのでしょう。
だからこそ、人間という存在そのものが冒険とロマンスに満ち溢れたものであり、人が生きている場所にならどこにでも物語になる材料が転がっている…ということを、誰よりもよく知っていたのではないでしょうか?
そのことは、「緑の扉」という短編で、彼自身が語っているので引用してみましょう。
かりにきみが夕食のあと葉巻を一本ふかすのに十分間を割り当て、そのあいだ、気晴らしになるような悲劇でも見ようか、それとも寄席で何かまじめなものでも見ようかと迷いながら、ブロードウェイを歩いていると仮定しよう。とつぜん誰かの手がきみの腕にふれる。きみはふりむいて、ダイヤモンドを光らせ、ロシア産の黒貂の毛皮を着飾ったすばらしい美人の、ぞくぞくするような瞳をのぞきこむ。彼女は、いそいできみの手のなかに、やけどするほど熱いバター・ロールパンを押しつけ、小さな鋏をきらりととり出して、きみのオーバーの二番目のボタンを切りとり、意味ありげに、たった一言、「平行四辺形!」と叫んで、不安そうにふりかえりながら、横道を飛ぶように走り去る。
これこそ、真の冒険というものだろう。きみは、これに応じるだろうか? いや、応じないだろう。きみは困惑して顔をあからめ、気まりわるそうにロールパンを捨て、なくなったボタンのあたりを弱弱しくまさぐりながら、そのままブロードウェイを歩き続けるだろう
(「緑の扉」より)
ここまでの謎めいた女性に出会うことはなかなかないと思いますが、こうした冒険は町のいたるところに転がっているもので、私達はそれをいつだって取り逃がしているのだとО・ヘンリは書きます。
寝静まった街で、鎧戸をおろした人気のない家から、苦悶と恐怖の叫びがきこえてくることもある。
タクシーの運転手が、われわれを、いつもの歩道の縁石のところではなく、見知らぬ玄関の前でおろし、すると微笑をたたえた人が玄関のドアを開いて、どうぞおはいりくださいと声をかけてくれることもある。(略)
いたるところの街角で、ハンカチが落ち、指が招き、流し目が攻めよせ、うしなわれた、孤独な、うっとりとした、神秘的な、危険な、変化の富んだ冒険の手がかりが、われわれの手のなかへ、こっそりと忍びこんでくる。
しかし、進んでそれをとらえ、それについていくものは、きわめてすくない。われわれは、因襲という㮶上で、骨の髄まで、こちこちに硬化してしまっているからである
(「緑の扉より」)
“骨の髄までこちこちに硬化していない”わずかな人間だけ、真の冒険家だけが、町角にひそむ冒険とロマンスに気づいて、愉快な冒険を繰り広げていくのだと、О・ヘンリは書いています。
彼はおそらく、わずかにいる真の冒険家の一人なのでしょう。公園のベンチや、細い裏通りの一角などに転がる冒険とロマンスを鋭く嗅ぎ付け、短編小説という形に仕立てて、世の中に送り出していったのだと思うのです。
日常に潜む冒険とロマンス
О・ヘンリの短編を読むと、いつものスーパーに行く道や、歩きなれたバス通りにさえ、冒険が転がっているのではないかとそんな気持ちになってしまいます。
いつもバスで乗り合わせるおじさんにも、生き別れた妹との悲しい物語があるのかもしれないとか。いつも顔を合わせる隣のおばあさんにだって、胸が切なくなるようなラブストーリーがあるのかもしれないとか。
そう考えると、何気なく歩いていたいつもの町が、急にロマンスでいっぱいのワクワクするような町に変わってしまうような気がしませんか。
何気ないいつもの街並みにロマンスを見出すことは、優れた小説家の視点といえるのですが、同時にそれはヨガにもとても大事な視点だと思うのです。
こちこちに硬化した頭で、因襲にとらわれてしまっていては、冒険の手がかりを見つけることはできません。けれども、少し頭をやわらかくしてみると、世界はびっくりするほど奇跡的で、神秘的で、ロマンスにあふれ、冒険にあふれ、喜劇と、悲劇が入り混じるものなんだということが、ぞくぞくするほど見えてくるのです。
これは、ヨガにも通ずる事ではないでしょうか。頭とカラダをやわらかくほぐすことで、新しい自分を見出すのがヨガなのですから。
ヨガの呼吸法や、ポーズを取っている時、自分の心やカラダの変化に注目したりしますよね。自分を改めてじっくり観察してみることで、新しい自分を発見する。それがヨガの楽しさだなと、私は思うのです。
О・ヘンリの短編はまるでヨガと同じです。彼の短編を読むことで、平凡だと思っていた自分の人生にも、実はロマンスと冒険がびっくりするほどたくさん潜んでいるということが、にわかに発見できるのです。
あっという間に新鮮な驚きと爽快感が味わえるО・ヘンリの短編は、忙しい現代の人にうってつけかもしれません。今の時代でも少しも古びない名作ばかり。なかなか長編を読む時間がないという方も、ぜひ、手に取ってみてくださいね。
参考資料
- 『O・ヘンリ短編集一(昭和四十四年)』著 О・ヘンリ 訳 大久保康雄(新潮社)