水彩画で描かれた少年と少女の後ろ姿

「きみの声を聞かせて」~心の縛りをほどき合う、詩と音楽の地球通信~

こんにちは!丘紫真璃です。今回は、小手鞠るいさんの『きみの声を聞かせて』を取り上げたいと思います。

『欲しいのは、あなただけ』『エンキョリレンアイ』シリーズ、『愛を海に還して』、『空と海のであう場所』、「別れのあと」、『ロング・ウェイ』など数々の恋愛小説で人気の高い小手鞠るいさん。

今回このコラムで取り上げる『きみの声を聞かせて』も、目が見えない少年と声の出ない少女が、音楽と詩という形で心と心を共鳴させ合う、恋愛以上に恋愛を感じる青春小説といえるのではないかと思います。

目が見えない少年と声の出ない少女の物語は、どのようにヨガとつながっているのでしょう?

2人の心の世界をのぞき見て、一緒に考えていきたいと思います!

詩と小説をニューヨークから届ける

ウッドストックの風景
作者の小手鞠るいさんは、1956年岡山県生まれ。1981年に「詩とメルヘン賞」を受賞して、詩人デビュー。

その後も、詩作のかたわら、小説の創作と文芸誌の新人賞への応募を続け、1993年小説『おとぎ話』で、第12回海燕新人文学賞を受賞して、作家デビューを果たします。

デビューした後も数々の小説で受賞をし、現在はニューヨーク州のウッドストックに在住。バードウォッチング、登山、ジョギングを楽しみつつ、精力的に作品を発表されています。

声の出ない少女

パソコンのキーボードを打つ少女の手元
『きみの声を聞かせて』は、声の出ない少女と、目が見えない少年の2人が代わるがわる一人称で語っていくという形で進行していきます。

声の出ない少女の名前は星野葉子。東京に住む13歳。葉子の声が出なくなったのは、中学1年生の終わり頃でした。

身体のどこにも異常はなく、学校でいじめにあっているわけでもなく、心の病気と言われても特に覚えはないのですが、葉子は、ある朝どうしても声が出なくなってしまいました。

まさしく“声が死んだ”という感じで、しゃべることができなくなってしまったのです。

それが原因で、友達はみんな離れていき、小学校の時からの仲良しでさえも離れていってしまいます。

最後まで友だちでいてくれた玲子が去っていったときには、この世界から消えてなくなりたいほど、つらかった。心がからだから蒸発したみたいになって、涙も出ないくらい悲しくて、何も考えられなくなった

(「君の声を聞かせて」)

そんな葉子の唯一の楽しみは、部屋にこもってパソコンに向かう時。彼女は「ベストフレンド」というSNSの一種を熱心にしています。

「ベストフレンド」は、好きな音楽や音を投稿できるのが特徴で、彼女は、様々な人の演奏を聞いては、感想のコメントを書いて送っています。

「ベストフレンド」の中で出会ったのが、【海を渡る風】と名乗る人でした。彼が作曲したというピアノ演奏を聞いた彼女は、とても不思議な音楽だと思います。

とにかく、不思議。不思議だけど、とても美しい音楽。そして、悲しい。悲しいのに美しくて、美しいのに悲しい。わたしのかかえている「悲しみ」が、そのまま音楽になっている、そんな気もした

(「君の声を聞かせて」)

その音楽にはこんなコメントも添えられていました。

しかしあるかなしみはなくことができません。ないたって、どうしたってけすことはできないのです。いま、ちいさいたろうのむねにひろがったかなしみはなくことのできないかなしみでした  

にいみなんきちのどうわ「ちいさいたろうのかなしみ」より

(「君の声を聞かせて」)

そのコメントを見た彼女は、「この曲を作った人は、わたしの胸にいつもある悲しみがわかるんだろうか?」と思います。

目の見えない少年

薄暗い部屋でピアノを弾く少年の手元
【海を渡る風】と名乗っているのは、16歳の少年大崎海渡。

海渡は、日本生まれのアメリカ育ちの少年で、生みの母が彼が幼い頃に亡くなってしまったため、叔母夫婦に育てられています。

生まれながらのピアニストである彼は、3歳の頃からピアノを弾き続けており、自作の曲を「ベストフレンド」という SNS によく投稿していました。

その「ベストフレンド」で投稿した音楽に、いろんな人から様々なコメントが届くわけですが、彼の気を特にひいたのは、感想代わりに詩を送ってくれた【1枚の木の葉】と名乗る人でした。

その【1枚の木の葉】さんこそ、声の出ない少女・葉子なのですが、彼女の詩を読んだ時、彼は思います。

「この子の胸のなかにも、小さい太郎の感じていた「悲しみ」が広がっているのだろうか。ぼくがいつも、朝から晩まで、笑っているときでさえ感じているあの「かなしみ」が。」

(「君の声を聞かせて」)

彼は、彼女のさみしそうな詩を読んで、どうにかして彼女を励ましたいと新しい音楽を作り、「パーソナルメッセージ」という特定の人だけにメッセージを送ることのできる機能を使い、彼女だけにその音楽を送ります。

すると、彼女から詩の返事が返ってきました。

こうして、彼女は詩を。彼はピアノ音楽をといった具合に、詩と音楽のやりとりがはじまりました。

ぼくはアメリカから、彼女は日本から「手紙」を送りあう。音楽と詩。それがぼくらの手紙だ。

日本とアメリカは地球の反対側にあるから、「パーソナルメッセージ」の欄に「地球通信」と、ぼくは名前をつけた。ふたりだけのメール通信だ。

木の葉と風の通信だ。

木の葉は風に詩を。風は木の葉に音楽を送る。メールというつばさに乗せて。

地球のこっち側から音楽を送ると、反対側から詩が返ってくる。

その詩を読んで、新しい音楽を送ると、また新しい詩が返ってくる。

ことばが音楽に変換され、音楽がことばに変換される。毎回、驚きと喜びに満ちている。それが「地球通信」だ

(「君の声を聞かせて」)

詩と音楽で互いの縛りをほどく

青い空と緑の丘
海斗は目が見えない少年ですが、それを不幸とは感じていません。

ぼくの心には夜だって太陽が輝いていると彼自身語っていますし、雪嵐で停電してしまった時、家族はみんなオロオロしてうろたえているのに、彼は1人落ち着いて雪が降る音を楽しみますし、彼は彼女に当てたメールではこう書いています。

「かなしみをせおっているけれど、ぼくはふこうではないし、ぼくはじゆうです。なぜならぼくは、かぜだからです」

(「君の声を聞かせて」)

目が見えない人は不幸だと誰だって思いますよね。でも、それは常識に縛られている人の考えだということに、海斗の語りを読み進めていくと読者は自然に気づかされます。

目の見えない彼は、色を見ることはできません。けれども、彼は心で色を感じています。

彼は幼い頃、ブルーってどんな色なのか、育ての母に聞いたことがありました。すると、育ての母はこんな風に答えました。

「ブルーは、空の色なの。雲が出ていれば、それは白いの。雪とおなじ色よ。でも雲はふわふわの白。空にはね、カイトのママが住んでいるのよ」

「ほんと?」

「ほんとよ。上のほうからね、ママはいつも、わたしたちのことを見守ってくれてるの。空って、そういうすてきな場所なの」

正確にいうと、ぼくの目には、空は見えていない。

けれどもぼくは「空がそこにある」ということを知っている。つまり、空の存在を感じることができる。だから「空の色は青」と理解したとき、ぼくの空はどこまでも青く染まったのだった

(「君の声を聞かせて」)

目が見えている人は、青とはどんな色か知っています。

青と聞くと、クレヨンの青とか、絵の具チューブの青とか、そういう青を思い浮かべることでしょう。

けれども、目の見えない海斗は、青という色を目で見ることができないからこそ、自分自身の青を心に思い描くことができるのです。

海斗の青は、「青とはこういう色」という概念に全く縛られていません。

どこまでも自由な彼だけの青なのです。

そういう自分だけの青色を持つということこそ、ヨガの目指すところなのではないでしょうか。なぜならヨガは、青とはこういう色という概念から解き放たれることを、いつも目指しているからです。

彼は目が見えないからこそ、自分だけの自由な青色を持つことができるのです。

だから、彼の生み出す音楽は、風のように自由なのです。そんな自由な風の音楽が、メールというつばさに乗って、声の出ない少女のもとに届きます。

友達が1人また1人と離れてしまい、本当の友達と思っていた子でさえ離れて行き、こんな悲しみは家族にも誰にもわからないと固く心を閉ざしていた葉子の心を、少しずつほどいていったのは、何も縛られない自由な風が作り出す音楽の数々でした。

「ピアノがわたしの心に風を吹かせる。悲しみを連れさっていく。

 いつまでも吹かれていたい。心を洗われるような、このメロディ、このリズム」

(「君の声を聞かせて」)

そしてまた葉子の詩も、海渡の中にあった縛りをほどきます。

見えない人は見える人とは違う次元で生きていると思い込んでいた海渡ですが、もしかしたら、見える人と見えない人は、全く同じ次元に存在しているのかもしれないと感じることができるようになったのです。

こうして、詩と音楽に乗せて優しさを届け合ううちに、お互いの心に縛りは少しずつなくなっていき、それにつれて、2人の中にある悲しみも小さくなっていきました。

泣いたってどうしたって消すことのできない悲しみを、詩と音楽という形で喜びに変えていったのです。

詩と音楽がひとつになって、わたしを別の次元へ連れていく。

そこは、人間界ではない、別の次元。そこで、わたしは風とたわむれながら、遊ぶ。

わたしの心が、喜んでいるのがわかる。わたしはここに来たかった。ここには、いやな人間のいやなことばがない。ここには悲しみはない。あるのは、喜びだけ

(「君の声を聞かせて」)


「君の声を聞かせて」を読んでいると、海から吹き渡る風が、舞い踊る木の葉が目に見えるような気がし、静かに心が洗われていくような気がします。

終わりの見えないコロナ禍の中で、日々、たくさんの縛りの中で生きている私達ですが、だからこそ今、『君の声を聞かせて』を読んで、すがすがしい若い2人の詩と音楽にふれてみていただきたいと思います。

参考資料

  1. 小手鞠るい著 『きみの声を聞かせて』偕成社(2016年)