“ヨガ的に生きる”って何か?
考えてみると面白いですね。
昨今は様々なテクノロジーが発展したことで、「自分が何をするべきか」と悩んでしまう人も多いようです。
ヨガ哲学では、人生で行う全てをヨガの実践として行う「カルマ・ヨガ(行為のヨガ)」を実践することで幸せな人生を過ごせると考えます。
私が何を行うべきなのか、どのように生きるべきなのかを考える時に、1つのアイディアとして参考にできると良いと思います。
カルマ・ヨガは没頭して楽しめる人生
この数か月間、著しい AI の発展に伴い「手に職を付けたい」「将来が不安だから資格を取ろうと思う」という相談を受けることがとても多くなりました。
ネットやマスコミの報道で「この職業はこれからリストラが増える」といった報道が多くなっているので、将来仕事を失うことに恐怖心を抱いている人がとても増えているようです。
何をするべきなのか?
これを考える時に、ヨガではどのように説いているのでしょうか。
40年ほど前に書かれたヨガの本「ヨガ禅道話」に、”カルマ・ヨガ型な生き方”と”カルマ・ヨガ型でない生き方”について書かれているのを見つけました。
カルマ・ヨガ型でない仕事では、仕事をすることよりも、その仕事をした結果得られる報酬について考えます。つまり、得られる給料の安い・高い、仕事の安定性を重要視して仕事を選択するのですね。
逆にカルマ・ヨガ型の仕事とは、没頭して楽しく遂行できる仕事です。
似たようなトピックは教典『バガヴァッド・ギーター』の中にも書かれています。
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果ではない。行為の結果を動機としてはいけない。(バガヴァッド・ギーター2章47節)
何を得られるかで職業を選択してしまうと、時代ごとに「あれが良い、これは危ない」と全ての人が同じような職業を目指してしまいます。
しかし、たまたま時代が推奨する仕事と、自分に合った仕事が同じかどうかは、運でしか決められません。そこには常に競争と格差が生まれてしまいます。
では、カルマ・ヨガとはどのような行為なのでしょうか。
カルマ・ヨガは、その瞬間の自分の行いに没頭して楽しんで行う行為です。
「今の時代はこんな職業が安心だ」という意見を聞くことも必要な場合もありますが、全ての人が同じ職業を行うことはできませんね。
社会の風潮で不安になってしまう人もいるかもしれませんが、いったん落ち着いて考えることも必要だと思います。
どれだけ技術が進んで安価な工場生産のコーヒーの質が上がってきても、こだわりの自己焙煎を行うコーヒー屋さんは愛されています。
AI が音楽を作り出せる時代でも、人間よりも正確に演奏できる自動ピアノがあっても、関係なく生演奏を聴きたいと思わせるアーティストも沢山います。
簡単ではありませんが、自分が得意なこと、好きなことで、人を幸せにできる方法を考えてみても良いかもしれませんね。
それぞれの役割を尊重するインドのカルマ・ヨガ
太古から職業別身分制度のあったインドでは、自分と他人の役割について明確に区別する文化があります。
間違った方向に解釈すると職業差別に繋がる可能性もありますが、私の周りでは自分のカルマと他者のカルマについて満足している人が多いです。
例えば私の住んでいる家の隣人は、SNS のインフルエンサーとして有名になり、モデルの仕事をしています。
いつもゴージャスに着飾ってパーティーに出席する彼女は、外見だけだと強欲な人に見られがちですが、実際に会うと信心深くて優しく知性が高い素敵な女性です。
彼女は純粋に写真が好きで学生時代から SNS を楽しんでいた結果、ファンがどんどん増えて、高所得の有名モデルになりました。好きなことをしていたら大成功をした、理想的な例ですね。
世間では成功者と呼ばれる彼女ですが、自分と違う境遇の人を差別することがいっさいありません。
例えば、食事はメイドさんが調理しています。雇用主という立場であっても、料理を職務として行うメイドさんに常に敬意を払って、いつも感謝を忘れずにいます。
誰もがその人らしく、与えられた仕事を楽しめることが大切だと考えているので、報酬の高い安いや、雇用主や非雇用主といった違いで対応を変えません。
そのように、どのような職業であれプロとして働く人は素直に尊敬に値すると思えるのは素晴らしいことですね、
私がバーンスリー(横笛)を教わっている先生も世界的に有名な音楽家でありながら、使用人である車のドライバーに「この人の運転はいつも乗客の安全を最優先して素晴らしい」と褒め、敬意を払っています。
また、グルクル(住み込みの学校)で毎日チャイ(ミルクティー)を淹れてくれる女性に「彼女の淹れるチャイは世界で1番美味しい」と褒めたたえています。
チャイを淹れる仕事は、報酬が発生する仕事ではありません。
しかし、彼女は毎日美味しいチャイを淹れるという役割に誇りを持っているので、周囲の人は彼女に敬意を払います。
たまに彼女が忙しい日は、1時間ほどチャイを待たされることがあります。他の人がチャイを淹れれば早いのですが、彼女の役割を尊重して、忙しい先生もお客さんも気長にチャイを待ち続けます。
日本人にとっては非効率だと思うかもしれません。しかし、非効率なことが人生の贅沢なのだと考えることもできます。
インドでは「これが天職だ」と思える仕事に敬意を払います。
職業の貴賤を収入の高さで判断する資本主義とは別の価値観を持っているのですね。
そもそもカルマ・ヨガ(行為のヨガ)とは何だろう
カルマ・ヨガとは、自分に与えられた役割を、結果に囚われずに遂行することです。
それは、今この瞬間を楽しむ行為です。
自分に与えられた役割とは、収入が発生するものに限定されません。
例えば、自分自身に与えられた身体や心を健康に保つことも、人として生まれた全ての人に与えられた役割です。
ヨガのアーサナで考えてみましょう。
ヨガのポーズをとることがヨガではありません。もしポーズの形がヨガであれば、ヨガの実践者よりも体操選手の方が優れたヨギーだとなってしまいます。
沢山のポーズを学ぶことがヨガの上達でもないし、難しいポーズでもありません。
もしもポーズの完成を目的にしてしまうと、カルマ・ヨガに反してしまいます。
高度な後屈のポーズを行うために無理をして怪我をしてはアヒムサー(非暴力)に反し、本末転倒ですね。
また、職場のストレスを解消したくてヨガに来たのに、先生や他の参加者と自分を比較して新しい悩みを増やすのもヨガではありません。
ヨガの練習を行っている時に、純粋に自分の行っている呼吸を楽しんで、身体の伸びを感じて、自分自身と向き合うことができれば、身体が硬くても柔らかくても深いヨガを感じることができます。
まずは今の役割に向き合ってみる
カルマ・ヨガの実践は、まず今与えられている役割にちゃんと向き合うことから始まります。
「自分に何が向いているのか」と考えるためにも、まずは1つずつのことを実際にやってみて、自分を観察してみないと分かりません。
時間がかかって遠回りだと感じるかもしれませんが、自分を知るためには必ず必要なプロセスです。
自分を知らないまま、外からの情報で答えを探していては、いつまでも答えを見つけることができません。
効率化を重要視している社会で生きていると、急に自分だけ価値観を変えることは難しいかもしれません。
しかし、地に足を付けた人生を送るためにも、カルマ・ヨガ型の生き方を知っておくといいかもしれませんね。
参照:「ヨガ禅道話」 佐保田 鶴治著 人文書院 (1982/6/1)