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ヨガジェネレーションで満員続きの講座、「ヨガ動作学基礎講座」。講師を務めてくださっているのは、アスレティックトレーナーとして、ご活躍されながら、京都にあるヨガスタジオKyoto MBM Laboを経営されている山本邦子先生です。
多忙な中お時間を頂きつつ、開催して頂いている講座は過去2回とも満員御礼!今、大注目の講座です。
前回の記事では、邦子先生が高校卒業後、日本からアメリカへと渡り、アスレティックトレーニングに出会うまでをインタビューさせていただきました。(1話目はこちらから)
ここからは、いよいよ、アスレティックトレーナーとして、アメリカで活躍していた時代についてお話をお聞きしました。
1,800時間の実習。アスレティックトレーナーの資格を取得するまで
と邦子先生。
そのため、邦子先生はアメリカに渡ってから6年間かけて大学を卒業されます。大学を卒業する頃には、アスレティックトレーナーの仕事が面白くて、当初目指されていたジャーナリズムのことは忘れていたそう。
そして、大学卒業を控え、2年間の実地経験だと、まだ自分1人で選手を見てやってくのは難しいかもしれないと考えていた頃のこと。
※GA=大学院生として勉強をしながら、大学スポーツチームのアシスタントを行う。チーム付きして経験を積むことができる。
大学院時代は水泳とアメリカンフットボール、バレーボールと女子サッカーを担当されていたそう。大体3個くらいのチームを担当し、学生トレーナーの指導もしながら活動されていたと云います。(大学スポーツのチームは、フルタイムの正規トレーナー・GA・学生トレーナーという仕組みでチームをサポートしている)
そうして、3年間かけて大学院を卒業されます。
大学院卒業後、アメリカの大学と専属契約
結果、大学生から専属トレーナーとして契約を終えるまで、13年間カンザス大学で様々な選手をサポートされた邦子先生。しかし、13年という長い年月、アメリカのスポーツ界に残ったのはどんな理由があったのでしょうか。私の質問に、
「人間模様が面白かったからじゃないかな。」と返してくれました。ちょうどその頃、インターネットの普及によりEメールが使えるようになり、ホームページができた頃だったそう。
と話してくれました。
アスレティックトレーナーとして。13年間アメリカのスポーツ界で働き続けた理由
勝負の世界。選手の成長するシーンや感動の勝利のシーンを見ることもできれば、怪我をして、悔しい想いをする子の姿も見る。
毎年新入生が入ってきて、毎年卒業していく。卒業後プロに行く選手もいれば、場合によってはコーチがクビにもなることも。という様々な人間模様を見てきた邦子先生。
とも話してくれました。
また、大学4年生の水泳の選手が練習中に心臓発作で亡くなるという事故にも直面されたといいます。1時間に及ぶ蘇生を施したにも関わらず、心拍が戻ることはありませんでした。
とお話下さいました。
日本とは圧倒的な差がある!?アメリカの大学スポーツ界
日本では、2019年に大学スポーツ協会(UNIVAS)が設立されました。この発足まで、日本における、大学スポーツの統括組織は存在していませんでした。今回発足されたUNIVASは、アメリカのNCAA(National Collegiate Athletic Association:全米大学体育協会)日本版とも呼ばれていますが、やはりその規模は、発足したばかりということもあり、日本とアメリカではかなりの差が見られます。
コーチも一流で、コーチから学ぶことも多かったですね。人をどういう風に育てるかやコーチのさじ加減で選手のパフォーマンスが変わる面白さっていうのはありましたね。やっぱりアメリカは大学の規模も違うし、動くお金も半端ないです。
アメリカの大学の場合は、奨学金制度の規模も大きいですよね。それに、結局スポーツ選手になるのも夢の一つだけど、実際は20代、30代でスポーツ人生を終える人がほとんどじゃないですか。
だから、その先の人生も見ないといけない。スポーツはあくまでも手段の1つとして自分の人生を組み立ていくし、人間形成の手段ですから。それから、アメリカでは大学に行くことでプロに行ったときの自分の価値を高めることにもなっています。体も出来上がるし、大学になると家から出て、自分で自分を律したり、集団生活に慣れたり、プロに行っても潰れにくい体や習慣を身につける大事な場所になるんですよ。
アメリカのプロスポーツは、日本に比べるとスポーツ選手の契約金や給料も高額です。勝利に貢献できる、魅力あるファンが付くような選手、その選手が入ってくることでプロ側の価値が上がるような選手が求められるのだそう。
また、アメリカの大学はテレビのネットワークで毎週のように放送されれば、大学生であってもネームバリューが高まり、その子がプロに行ったらプロでファンが付くこともあるといいます。そのため、大学に行って自分の価値を上げるのがアメリカでのスタンダードな動きなのだ、と邦子先生はお話してくれました。
カンザス大学では、一般の人が経験できない事をたくさん経験させてもらったし、TVのクルーや裏方さんのことも学べたし、クルーしか入れない現場にも入れて、貴重な経験だった。
そう話してくれた邦子先生ですが、アメリカに渡って11年、カンザス大学を離れることになります。
このままでは自分の成長は止まってしまう。再び日本へ
日本とは比べ物にならないくらい、大きな世界でアスレティックトレーナーとして活躍していた、邦子先生に「ずっとアメリカにいようとは思わなかったんですか?」聞くと
3年はフルタイムで、大学で働いたけれど、自分が持っているものでどうにか切り抜けられる実力と経験はあったから、このままだと怠けて行けちゃうなと思ったんですよ。それは面白くないなって思って。そもそも私は勝ち負けに興味がない人間なんですよ(笑)でも、スポーツは、勝負の世界でしょう?
もちろんスポーツの世界は勝ってこそ。しかし、どんなに頑張って100%完璧だと思っていても、勝利に繋がらないことなんてよくある話です。それに対して、疑問に思ったこともあったのだと話してくれました。
でも、知り合いの家に泊まりに行って、6月の梅雨の時期だったけど、その日はスゴイ青空だったんですよ。それ見た瞬間に、「あ、もう辞めよう。あ、もういいや。これでアメリカ終わり。」って(笑)
その日の間に、ボスに連絡して、「来年はもう契約しない」ってメールを送ったんですよね。
高校を卒業し、20歳で単身アメリカへ。当初はお父さまと約束したジャーナリストの勉強の一環として勉強し始めたアスレティックトレーニング。
NCAAの一部リーグで活躍するような大学で、一流の選手と共に様々な大会を乗り越えていくことになるなんて、きっと20歳の邦子先生は想像もしていなかったのではないかと思います。
そして、アメリカに渡り11年。真っ青な空の下で一瞬で日本に戻る判断をした、邦子先生。実は、1997年、アメリカの大学院時代にヨガと出会っています。
次回は、いよいよ邦子先生とヨガとの出会い、そして、日本に帰ってきてからのご活躍に迫りたいと思います!お楽しみに!