癒しのその先にある、無条件の愛

前回の記事に続き“無条件の愛”について、私自身の体験も交えながら、もう少し深く見ていきたいと思います。

私は、少しだけ複雑な家庭環境で育ってきたこともあり、親から十分な愛を受けてこなかったという思いが強くありました。学生時代は親元を早く離れたくて、中学入学と同時にアメリカへ留学することを決意。そんななか周囲の親子関係を見ては、うらやましく感じ、どうして自分ばかりが、と落胆することもありました。

やがてヨガやアーユルヴェーダと出会い、現実に一喜一憂しない術を学び、人や状況を変えるのではなく、まず自分の意識を変えることが幸せへの道ということを知ります。おかげで被害者意識は徐々に薄れていきましたが、ヨガやヴェーダの叡智を知ったからといって、すぐに根本から癒されるわけではありません。

インナーチャイルドを癒し続けた日々

自然との調和を謳うアーユルヴェーダ。学んでいる事自体に感謝をしています。

ネガティブな記憶というのは、意識の奥深くにある“潜在意識”と呼ばれる領域に蓄積されると言われています。本当の癒しというのは、この深い部分が浄化され癒されること。これをインナーチャイルドの癒しと呼んでいます。

現実というのは、潜在意識の投影ともいわれ、癒されていない部分があらゆるブロックとなり、時に“問題”という形で、現実にあらわれたりします。ただ潜在意識に刻まれている多くの記憶というのは、無意識のうちに蓄積されてきたもので、一朝一夜で本来のニュートラルな状態に戻るというのは、非常に難しいのです。

私は、ずっとこのインナーチャイルドの浄化に取り組んできましたが、家族との確執という、私にとってのブロックを癒すまでには、本当に長い歳月を要しました。

自分ではなんともし難いと思い込んでいたことも一つの原因ですが、無条件の愛への理解が、まだまだ浅かったことが大きな原因でした。こうした気づきは、私自身が、師匠から気づかぬうちにたくさんの愛を受け取ってきたからこそ得られたものです。

愛を知ることは、人生の真理を理解すること

師匠との出会いは、私に深い癒しを与えてくださいました。

無条件の愛とは、究極の赦しです。それは、相手を甘やかすという次元のことではありません。すべてが、自分の意識の投影であり、取り組むべきレッスンであることを教えてくれる象徴にすぎないことを深く理解するということです。

私たち人間は、この肉体があってこそ、すべてを経験することができます。苦しいことも、辛いことも、嬉しいことも、楽しいことも。肉体があって初めて味わい尽くせる。それこそがスペシャルなこと。

だからこそ後悔をしないように、一生懸命に生きることが大事なのです。

どんなに辛い状況で、暗い闇のように思えても、無条件の愛という光は見ることができるのです。

人生での後悔、それは無条件の愛、つまり真実の愛への無知だと思います。人間は肉体という器があるからこそ、あらゆる角度から、あらゆる経験から、この真実の愛を探求し、体現できるのではないでしょうか。覚者と言われる存在は、自らが無条件の愛を生きることで、その真理を人々に届ける存在だと、私は感じています。

私の師匠も、まさに愛に目醒めた存在。そうした人のそばに居続けると、それだけで深い癒しが訪れるものです。愛をもって存在することの真理を、言葉や知識を超えた領域で、深く受け取ることができるからです。

そうして、癒しへの理解と体感を積み重ねていくにつれ、私自身のインナーチャイルドは無意識下でどんどん浄化され、やがて深い癒しが起こり、涙がとめどなく溢れるという体験をしました。こうした深い癒しを何度か体験した後、徐々に無条件の愛の視点をもてるようになったと思います。

みんな、ただ愛されたかっただけ

現在、開催中のRYT200でのワンシーン。生徒さん一人一人と、しっかり向き合っています。

少し前の私なら親を赦すことができませんでしたが、いまは、もっと深い理解で親と向き合うことができます。

深い理解、それは親であっても、ただ愛されたかっただけだったのだ、ということへの理解です。愛への理解が未熟ゆえに、そのときは、そうせざるを得なかったのだという赦しです。

本当の愛について、私たちは学校教育でも社会のなかでも学んできていない人がほとんどだと思います。寄り添う愛、助ける愛、相手の立場を理解する愛。そんな風に愛をもって接することの重要性は、折に触れて学ぶと思いますが、そこには自己犠牲があったり、人から愛されたいという思いが原動力になっていることもあるかもしれません。

本当の愛は、この道徳的な愛を遥かに超えています。それは、究極の赦し。このことが、ようやく腑におちてきました。

生徒さんの表情が、日に日に明るくなるのも、喜びの一つです。

愛をもって接するというのは、いわゆる優しく接したり、自分の想いを押し殺して相手に合わせることではありません。ましてや、自分の価値観を相手に押し付けることでもありません。

相手も自分も、ありのままを受け入れること。誰も何も悪くないという視点を構築すること。それこそが、ニュートラルでより健全な関係を育む基盤になると思うのです。

どんなことであれ、自我の物差しでジャッジすることはできない。そこに気づいたのなら、まずは自分から愛を体現していくことが、平和で調和な日々をつくる最短ルートではないかと思うのです。

難しいと感じるかもしれません。理不尽に感じるかもしれません。それで、どう問題が解決するのかと、怒りがこみ上げる人もいるかもしれません。

まずは自分から。愛を体現できていますか?

でも、この視点をもって毎瞬、現実を俯瞰する癖を身に着けると、やがてその視点が日常になってきます。そして、なぜ肉体を持ってこの世界に生まれて、辛いこと、苦しいことと幾度となく直面してきたのか、フラットに見えてくるはずです。次第にそれらはすべて未練、後悔をはらすために、自分で設定していたということが見えてくると思います。そうして私たちは、ことごとく赦しを学び、深め、本当の自分は無条件の愛そのものだったという視点を取り戻そうとしているのではないでしょうか。

無条件の愛は、人から人へと伝搬し拡張していく

生徒さんたちからの愛の溢れたメッセージ。連鎖するものだと感動させられます。

そんな風に、自分と向き合えるようになってから、生徒さんとの向き合いかたに変化が生まれました。これまでも、生徒さん一人ひとりのことをとても大切に感じてきましたが、より愛おしくて仕方ないのです。自分がこんな風に、愛の眼差しをもてるようになったことがとてもうれしい。

クラスを包む雰囲気もずっと穏やかになりました。自分の力で答えを見つけようとする生徒さんとの出会いが増えたり、クラスに参加するだけで感動してくださる方がいらっしゃったり。私が直接、手を差し伸べなくても癒しのプロセスへと、自らが歩み始める……。そうした空間を、一緒につくれる仲間との出会いがどんどん増えてきているのです。

RYT200では、生徒さんが癒しの涙を流すことも珍しくありません。

自分が無条件の愛に目醒めることで、真実の愛を育める人や環境を、自動的に引き寄せるようになることを体感しています。

そして誰もが、本当は、この愛を求めているということが、少しずつわかってきました。でも、それをどう体現していいか分からないから、誰かを傷つけたり、あるいは傷つけられたりしてしまう。そうして、真実の愛から遠ざかっていくと、さらに意識は複雑になり、うまくいかない現実のすべてを、人や状況のせいにして、やがてもう傷つかないために防御というたくさんの鎧を纏っていく……。

だからこそ、まずは自分が、十分に癒されることが大切です。そうして、ひとりでも多くの人が、無条件の愛に目醒めたのなら、それは自分のまわりをとおして、人から人へと瞬く間に伝搬していくということを、いま学んでいます。

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