そもそもヨガ哲学とは「本当の自分」や「宇宙の仕組み」について説明されたものです。
ところが、同じ課題について書かれていても、経典が異なれば異なる答えが返ってくることがあります。その理由は、違う宗派の著者が、違う時代に、違う立場で書いているから。
経典ごとに違った背景があることを理解してから読むと、スムーズに理解できる部分が増えてくると思います。
ヨガスートラとギータは、別の学派の書物
まずは、ヨガスートラとギータの背景を理解しましょう。実は「根本的に違う書物だった!」と理解できると、混乱を避けられると思います。
インドには哲学学派が6つある
ほとんどのインド思想は、【ヴェーダ】と呼ばれる古代の書物の内容を基盤にしています。ヴェーダを元にした学派には、6つの流れがあります。
- ヴェーダンタ学派(ウパニシャッドの研究)
- ミーマンサ学派(祭事学・執行)
- ヨガ学派(実践方法)
- サーンキャ学派(数論)
- ニヤーヤ学派(論理学)
- バイシェーシカ学派(自然哲学)
上記6つ以外のヴェーダンタ思想から外れたインド哲学は、異端哲学と呼ばれていますが、その中でも仏教やジャイナ教はヨガ思想に大きな影響を与えています。
6つの学派は2つずつで対のような関係になっています。
- ヴェーダの理論を研究するのがヴェーダンタ、祭事の執行をするのがミーマンサ
- ヨガが実践部分なのに対して、サーンキャはヨガの宇宙観を説明
- ニヤーヤとバイシェーシカはとても理論的に宇宙の仕組みを説明
今回取り上げたギータはヴェーダンタ学派、ヨガスートラはヨガ派に属します。
ヴェーダンタ学派とヨガ学派はお互いに影響を与え合っているため、内容の類似している部分が多くあります。しかし、どうしても理論に相違が出てしまうこともあります。
ヨガの勉強の中で6派学派を暗記をする必要はありませんが、私たちが手に取る経典が別々の学派の経典だと知っておくことは、ヨガ哲学を考える時に役に立ちます。
ギータとヨガスートラの背景と内容
ギータはクリシュナの説いた生き方の教科書
「神の詩」とも呼ばれているギータは、マハーバーラタと呼ばれる10万節からなる巨大な書物の一部です。荒れた時代を救うために人間として生まれてきた神クリシュナが、戦乱の中で生きるアルジュナに世界の仕組みを説くシーンを抜粋したものがギータです。
現在のインドの中で、ギータはインド思想(特にヒンドゥー教)の最も代表的な経典です。日本ではヨガの経典として有名ですが、インドではヒンドゥー教徒の為の道徳書のように扱われています。
ギータの背景:庶民に向けたヴェーダンタ派思想の要約書
ギータが書かれた背景を少し説明します。
ヴェーダンタは、本来バラモン階級出身の人だけに許された学問でした。しかし、飢饉や権力者の争いなどで社会秩序が崩壊した時代に、一般庶民にも分かりやすく苦しみから解放される方法を書いたギータが誕生しました。
そのため、道徳書的な要素がとても強く、学問の土台の無い人でも実践しやすいバクティヨガ(神への信愛のヨガ)の要素が強いです。
ヨガスートラは現代ヨギー全ての教科書
近年ポピュラーな、身体を使うヨガはハタヨガと呼ばれ、アーサナや呼吸など、肉体を使った鍛錬で自信をコントロールするものです。
しかし、ハタヨガが体系化されたのは、ヨガの歴史の中ではとても最近のことです。ハタヨガの教本は、総じてヨガスートラの思想をベースに書かれています。そのため、ヨガスートラは全てのヨギーが参考にすべき教科書だと言えます。
ヨガスートラの背景:修行僧の教えの集大成
ヨガ派は、もともと出家僧たちに伝わるヨガの教えを体系化した学派です。
実践的ヨガの歴史はとても古く、インダス文明の頃から座った瞑想が行われていたと考えられています。しかし、ヨガ修行者の教えは全てグル(師)からシーシャ(弟子)に口伝えで継承されていたため、文字での記録がほとんどありません。
ヴェーダンタ学派や仏教が盛んに議論をしていた時代に、他の学派に対抗する為にヨガ思想の宇宙観がサーンキャ哲学としてまとめられ、文章で記録されるようになりました。
ヨガスートラは、パターンジャリによって編集された書物だとされていますが、それも確かではありません。書かれた時期も、著者も不明な部分が多いです。
さて、ギータでもヨガスートラでも、本質を知るための実践方法をヨガと呼んでいます。本質的にとても類似しているのですが、相違点もあります。それぞれの特色を見てみましょう。
ギータとヨガスートラ、それぞれの宇宙観
ギータの宇宙観:全てはブラフマンである
ブラフマンとは、宇宙の根本原理を意味しています。
私たちが見ている全ての物質的な世界は、インド思想の中では幻(マーヤー)だと考えられています。
「私は一切の根源である。一切は私から展開する(BG10/8)」
全てのものはブラフマンの内から生まれてきましたが、プラクリティ(物質原理)の作り出すマーヤー(幻)によって、本質が見えなくなってしまっています。
- ブラフマン:宇宙の根本原理
- アートマン:個の根本原理
私たちの本質は、アートマン(個の根本原理)と呼ばれています。
アートマンは、純粋で永遠と続く私たち個々の本質です。そして、個々に分かれていると思われているアートマンも、本質はたった一つのブラフマンだとされています。(一人の人間が沢山のテレビ画面で別々の映画を観て、映画の中の主人公が自分自身だと勘違いしているのと似た状態。)
ギータのヨガ:ブラフマンと一体になるための方法
ギータの中では、ブラフマンと一体になる全ての実践方法をヨガと呼びます。ブラフマンとアートマンは同一であり、自分の本質を知る方法とも呼べます。
クリシュナは、沢山の道を教えてくれて、どの道でも本質に辿り着けると説明しています。
- ギャーナヨガ(知識のヨガ):知識で本質を理解すること
- カルマヨガ(行為のヨガ):ダルマ(義務)に従った結果を求めない行為
- アビヤーサヨガ(常修のヨガ):常に神に専念(信愛)すること
- ブッディヨガ(知性のヨガ):対象に知性を専念すること(瞑想)
- サンヤサヨガ(放擲のヨガ):行為への執着の放棄
上記の名前だけでは、分かりにくいヨガもありますね。
ギータの中のヨガには、ヨガ派の人が行う人里離れた場所での瞑想や、学問によって宇宙の本質を理解すること、バラモンの行う神への祭儀や、ひたすら神に祈る行為などが含まれています。
それぞれの人に合った方法で、誰にでも平等に与えられた教えであり、私はクリシュナの心の温かさを感じます。
ヨガスートラの宇宙観:世界はプルシャとプラクリティで出来ている
ヨガ学派では、宇宙はプルシャとプラクリティの2つで構成されていると考えられています。
- プルシャ(真我):アートマンと類似した意味を持ち、個の本質部分、魂のような存在
- プラクリティ(物質原理):プルシャと出会うことで活動を始め、物質的な世界を作り出す因子
ギータの世界では全てはブラフマンであり、その思想を1元論と呼びます。それに対して、ヨガ学派は世界をプルシャとプラクリティに分けるため2元論と呼びます。
二元論では、私たちの本質であるプルシャ(真我・傍観者・魂)は、「見る」以外の働きを行わない純粋な存在です。物質の根本原資であるプラクリティとプルシャが出会うと、プラクリティが活動を始め、この世界のあらゆるものを作り出します。
しかし、プラクリティの作り出す世界では苦が必ず存在します。
苦から解放されるためには、私たちの本来の姿であり、永遠と純粋で至福の状態であるプルシャを自覚する必要があります。(ヨガ派は、先に実践による実体験があって、後から哲学部分が構成されたので、少し理屈っぽいのですが、とてもシンプルです。)
ヨガスートラのヨガ:体系化された実践システム
複数の道からどの道を選んでもブラフマンに到達できるギータと違い、ヨガスートラでは一つの道をより詳しく説明しています。
ヨガスートラのヨガは、八支則と呼ばれ、書かれた順番通りに練習すれば、必ず三昧(サマディ)に到達出来るように体系づけられています。三昧はプラクリティから生まれる思考や自我を制止した状態で、プルシャがプラクリティの作り出す物質的世界から完全に開放された状態です。
まとめ:違う部分もあるけれど、本質的には同じ2つの経典
相違点を中心に書いてきましたので、全く違う書物のように書いてしまいましたが、2つの経典は「自分の本質を知って幸せになる方法」を説明している点で共通しています。
現代のヨガでは、ほとんどの先生が両方の経典を勉強して、その中から私たちが活かしやすい智慧を伝えてくれています。
複数の書物や先生から学んでいると、混乱してしまう時もあるかもしれません。しかし、矛盾にフォーカスするよりも、自分が納得できるものを選んだ方が活かしやすいと思います。
ヨガは幸せになるためのメソッドです。先人が私たちに残してくれた智慧は、多様な言葉で表現されています。自分自身にとって一番しっくりと落とし込める1冊が見つかると良いですね。
Hari Om…