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ヨガの最も代表的な経典であるヨガスートラでは、冒頭で「ヨガは心の働きを制止すること」だと説いていますが、人の心の働きとは何を指すのでしょうか。心は無意識に働いているものなので、意識して理解することは難しいですよね。
そこで今回は、心にはどのような働きがあるのかをヨガスートラから紐解いていきたいと思います。
心の働きには5種類ある
サンスクリット語で心のことを「チッタ(Chitta)」、働きのことを「ヴリッティ(Vritti)」と言います。
心(思考)は意識しているときも、無意識のときも常に働き、行動に影響を与え、人生全てを作り出すものです。
感覚器官で感じた対象も、心によって認識されます。例えば、花を見るとします。実際に視覚として受け取るのは目であっても、それを理解して再現するのは心の働きです。音楽を聴くときも、耳は音を受け取るマイクロフォンと同じで、耳だけではそれが音楽だと理解することはできません。
こうした心の働きを、ヨガスートラでは次の5つに分類しています。
- 正しい認識
- 間違った認識
- 空想
- 睡眠
- 記憶
また、これら5つの心の働きには、それぞれ「苦痛を伴う」ものと「苦痛を伴わない」ものがあります。
心の働きは、何かの対象に対して発生します。たとえば、美しい花を見たら、そこから幸せな気持ちになったり、自身がその場所でリラックスしている光景を想像することができるかもしれません。
逆に、汚れた部屋を目の当りにしたら、その場所にいる不快感を感じ、臭いや雑菌などのイメージも湧き起こり、どんどん不快な思考が働いてしまいます。
この5つの心の作用に加えて、それぞれが不快や苦痛を伴うかいなかで、さらに10種類に分別することができます。
それぞれの心の働き
ここでは、5つの心の働きについて、より深く見ていきたいと思います。
正しい認識
直接の知覚、推理、権威ある証言が正しい認識の源泉となる。(ヨガスートラ1章7節)
正しい認識を構成する3つの要素
- 直接の知覚
- 推理
- 証言
これは、直接対象に接する(直接経験する)ことで得られる正しい認識のこと。例えば、氷に触ったときに感じる「氷は冷たい」という認識が該当します。ただし、正しく感覚器官が働いていることが前提になります。
根拠がある場合の正しい推理を意味します。たとえば、遠くの山から煙が立っているのを見て、何かが燃えていると認知するような推理です。
充分な証拠がない場合は、他者からの証言でも正しい認識を得ることができます。しかし、証言を提供してくれる人の言葉に依存しての認識となってしまうので、誰から聞くのかが大切です。
ヨガの場合は、グル(師匠)から知恵を与えられます。正しい経験と知恵を持ったグルから授けられる知恵は、正しい認識に含まれます。
間違った認識
私たちが見る対象を正しく認識できていない心の状態を間違った認識と呼びます。
間違った認識とは、事実と一致しない、いつわりの認識である。(ヨガスートラ1章8節)
心は、たびたび間違った認識をします。たとえば、月を見て光っていると感じますが、実際の月は太陽に照らされて初めて光っているように見えます。太陽の光が当たっていない月は全く光を発していません。
間違った認識は、不適切な思考を生み、私たちの意識を汚してしまいます。
インドでは、夜道を歩いていてロープを蛇と勘違いしてしまう例え話が頻繁に使われます。ロープを蛇と勘違いしないために行うべきことは、充分な光で照らすことです。対象を見るための光こそヨガの知恵です。物事を正しく認識するためにも、ヨガの実践は役に立ちます。
空想
心の中で作り出して、実際に存在しないものは空想です。
実体のない、言葉による認識が空想である。(ヨガスートラ1章9節)
おとぎ話などの架空の世界に没頭する状態ですが、人の心は空想を現実だと思い込んでしまうこともあります。
瞑想をしているとき、突然に跳躍的な感覚を味わったり、光景を目の当たりにすることがあります。それはとても美しく感じ、その状態はとても楽しいものです。しかし、瞑想の最終段階は完全なる寂静です。瞑想によって生み出された感覚も、後に捨てなくてはいけません。
睡眠
夢も見ないようなとても深い睡眠の状態です。
内容不在の、タマスの心の活動が熟睡である。(ヨガスートラ1章10節)
睡眠の状態は不思議で、眠っている間には思考が停止しているにもかかわらず、起きた時には「私は眠っていた」と分かっています。それは、睡眠にも記憶がある証拠だとされています。
睡眠の状態とサマディー(三昧)はたびたび比較されます。
睡眠もサマディーも外の情報から完全に遮断された状態です。また、あらゆる心の動きが止まりますが、睡眠はタマスが完全に優勢になっている状態で、暗く閉ざされています。
それに対して、サマディーは思考の動きがないけれど、意識はある状態です。サマディーの状態では、心の作用は止まっていますが、純粋な傍観者であるプルシャはその状態を認識しています。
瞑想をしていると、たびたび実践者は眠りに落ちて、それをサマディーと勘違いしてしまいます。サマディーと睡眠はとても似ているように思われますが、意識が閉ざされた睡眠と、意識が全体に行き届いているサマディーは、全く違う状態です。
記憶
過去の経験に伴う認識は記憶です。
経験した認識対象を忘れない(心の活動が)記憶である。(ヨガスートラ1章11節)
脳内に記録されているが、眠っている状態の潜在的な記憶は心の働きには入りません。その記憶の感覚や映像が思考の中に現れて活動している時、記憶も心の働きとして認知されます。
日常の思考だけでなく、夢も記憶と認識されます。夢には、実際に起こった事実を思い出す夢と、空想による夢があります。空想による夢の多くも、過去に実際に起こった複数の出来事を組み合わせて作られている場合が多く、それらは記憶が心の作用として表れている状態です。
心の種類を知る意味
今回の内容はとても概念的なので、いまいちピンとこないかもしれません。しかし心の働きを理解することは、自身の心を冷静に見てコントロールするためにとても大切です。
心(思考)は自然に発生するものですので、それらの心(思考)がどのタイプに当てはまるのか考えてみましょう。慣れないうちは、その心(思考)が「苦痛を伴うもの」か、「苦痛を伴わないもの」かの2択で考えてみるだけでも構いません。
自分自身にとって、何が苦痛で、何が苦痛でないかを知ることはとても大切です。今の生活で心地よさを感じていないなら、何かを変えないといけません。自分自身にとって何が心地よさ・苦痛なのかを理解することで、始めて対処方法を考えることができます。
自身の思考が正しい認識かを意識する
自身の思考が、正しい認識なのかを理解することはとても大切です。人間にとって最も大きな煩悩は無知(勘違い)であり、無知によってあらゆる苦しみが生まれます。
とはいえ、何が正しい認識で、何が間違っているのかを知るのはとても難しいものです。
認識を見分ける方法の1つが、ヨガの練習によって自身を磨くことです。アーサナ、プラーナヤマ、瞑想、それらは自身の心を客観的に観察する能力を高めます。主観的・感情的になっている時には、あらゆる妄想が生まれ、何が真実かを判断できません。
ヤマ・ニヤマの練習でも自身と向き合って心を純化することができます。
日常から嘘をつく人は、すでに何が嘘で本当かを理解できなくなってしまっています。本人は真実だと勘違いして、平気で嘘をつく場合もあるでしょう。サティア(正直)によって、不純な嘘を心から取り除くことで、何が真実かを判断することが可能になります。
心を知って快適さを手に入れる
自分の心の中を観察することは、意識して行っていてもかなり難しいでしょう。しかし、非常に大きな効果を得られるのも事実。
悩みは、そのほとんどが無知や間違った認識から生まれてきます。自身が正しいと思ったことは、それがどの枠に当てはまるのかを考えましょう。推測だと思っていたことも、実は根拠のない空想だったという場合もあります。
もしかしたら、自分を苦しめている悩みも、間違った心の働きによって生み出されたものかもしれません。自身自身を理解して、自身の快適さを探しましょう。