みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。ヨガを通じて文学を考えるこの連載。今回は『赤毛のアン』を取り上げてみたいと思います。
カナダのプリンス・エドワード島で生まれた物語『赤毛のアン』は、日本でも村岡花子さんの訳で一躍人気になり、おなじみになりましたよね。「不思議の国のアリス以来の魅力ある少女」と称されたアンの魅力は、今更、私が語るまでもないくらいですが、カナダ生まれのキリスト教徒であるアンと、インドのヨガには、どのような共通点を見出すことができるでしょうか。
宗教や国を超えたアンとヨガとのつながりを考えてみたいと思います。
アンは、危うくお蔵入りになるところだった!?
『赤毛のアン」は、もはや、世界じゅうで知らない人のいない少女文学の名作です。作者のルーシー・モ-ド・モンゴメリは、30歳の時にこの作品を書き、3軒の出版社に持ち込んだそうですが、その時にはどこの出版社にも相手にされなかったので、原稿をトランクに放り込んで、屋根裏部屋にしまいこんでいたそうです。
けれども、それから数年後、たまたま、屋根裏部屋で、アンの原稿を目にしたモンゴメリは、アンがあまりにも面白いので、このままお蔵入りはもったいないと思い、もう一度書き直して、ボストンの出版社に送りつけます。すると今度は、すぐに出版が決まり、こうして『赤毛のアン』という名作が、世に生まれることになったのでした。
アンの魅力と空想力
赤毛のアンの舞台は、カナダのプリンス・エドワード島。アヴォンリー村のグリーンゲイブルズに住むマシュウとマリラという頑固な独身兄妹が、畑仕事を手伝える孤児の男の子をひきとろうと考えるところからはじまります。
ところが、手違いで、グリーンゲイブルズに、孤児の女の子がやってきてしまいます。それが、赤毛のアンこと、主人公のアン・シャーリーです。
アンの最大の特徴といえば、やはり、おしゃべりと空想力でしょう。孤児であるアンの生い立ちはつらいことばかりですが、持ち前の空想力でつらさをはねのけていきます。
例えば、孤児院から汽車で、アヴォンリーまでやってきたアンは、「黄色がかった灰色のひどく窮屈で短そうなみにくい服」を着ています。それについて、アンは、駅まで迎えに来てくれたマシュウにこう話します。
「けさ孤児院を出てくるとき、とても恥ずかしかったのよ。だって、このおそろしく着古した交織の服を着てこなければならなかったんですもの。ほら、孤児はみんな、これを着なくてはならないんですのよ。汽車に乗ったらみんながあたしを見て、哀れに思ってるにちがいないって気がしたわ。
でも、すぐに想像しだしてあたし、このうえなく美しい、うすい空色の絹の服の着物を着ていることにしたの。そうしたらたちまち愉快になってしまって、島にくるまでせいいっぱい楽しく乗ってこられましたわ」
ー 『赤毛のアン』第一章より[1]
その後、アンは、マシュウとマリラが欲しかったのは男の子であり、女の子には用はないんだということを知った時、絶望のどん底に突き落とされます。マリラは、一度はアンを孤児院に返すための手続きをしようと、アンと共に町に向かいます。
その馬車の中で、アンはこんな風に言うのです。
「ねえ、あたし、このドライブを大いに楽しむことに決心しました。楽しもうとかたく決心さえすればたいていいつでも楽しくできるのが、あたしのたちなんです。もちろん、かたく決心しなくちゃだめよ。せっかく、ドライブしている間は、孤児院へ帰ることは考えないで、ただドライブのことだけ考えようと思うの」
ー 『赤毛のアン』第五章より[1]
こうしたアンの“明るいおしゃべり”に、マリラとマシュウは魅了され、どっぷりはまってしまいます。そして、あんなにも、男の子にこだわっていたにも関わらず、アンを引き取ることを決心するのです。
空想力と瞑想
孤児であるアンは、みじめでつらい環境を、空想力により明るく楽しいものに変えてしまいます。これは、ヨガに通じる精神ではないでしょうか?
ヨガでは、心は波立たない池のように平静でなければならないと教えます。不安や恐れなどで波立つ状態はいけないのだと。
「ヨガスートラ」には、心を平静に保つためのいろいろな方法が書いてありますが、その中の一つにこんな一文があります。
あるいは、何でも心を高揚させるようなものを選び、それに瞑想することによって
ー 『ヨガ・スートラ』第1章39節[3]
心を楽しませるものにしっかりと集中する。余計な不安は心から取り払い、何でもいいから、自分の好きなものに心の全てを向けていく。それが心を平静に保つコツであり、瞑想のはじまりであるとパタンジャリは解くわけですが、孤児のアンはまさに、これを実行しているといえますね。
汽車の中で、みっともない孤児の服をとても恥ずかしく思った時には、空色の絹の服を着ていると一生懸命想像して、せいいっぱい楽しく汽車旅行を楽しみます。そしてまた、孤児院に返されるかもしれないというみじめな瞬間にも、そのことは考えず、美しい海岸通りの景色のことだけを考えて、一生懸命、楽しもうと心に決めます。
私達は、つらいことや心配事が目の前にある時、どうしてもそのことを考えずにはいられません。心はすぐに不安や恐れでいっぱいになってしまい、心は平静どころか、激しくかき乱されてしまいます。
でも、不安や恐れで波立つままにしてはいけない。今、目の前の美しい景色を楽しむ。このドライブだけのことを考える。不安を心から追い出して、心を平静に戻していく……。
これこそが、瞑想をはじめる第一歩であり、ここから本格的に、サマディーに到達するための瞑想がはじまっていくのです。孤児であるアンが空想力を持って自然に行っていることを、ヨガをする私達も見習いたいですね。
魔法の国への航海は、辛い時の助けになる
グリーンゲイブルズで成長し、母となったアンは、7人の子の母となります。母となったアンは、自分の娘に、こんなことを語ります。
自由自在に自分の美しい世界に逃げこめることは世の中の辛いところを通るとき、びっくりするほど助けになるのよ。わたしは魔法の島へ一、二度航海してくると、むずかしい事柄がいつも、もっとらくに解決できるのよ
ー 『炉辺荘のアン』第三十八章より[2]
孤児としてグリーンゲイブルズにやってきた時から、成長して母になるまでの間、たとえつらい局面に直面したとしても、アンは常に、楽しいことを一生懸命考えて、乗り超えてきました。
そして、その精神は、アンの子ども達にも受け継がれています。そのことは、赤毛のアンシリーズの第十巻『アンの娘リラ』を読んでもわかります。アンの末娘のリラは、戦争中、辛いニュースばかりが続き、戦地におもむく兄達の身の上が心配で胸がはりさけそうになりながらも、そのことを頭から追い出そうと目の前のやるべき仕事に没頭して集中し、数少ない楽しみをひねりだして、毎日笑いを作ります。
いつの時代でも、どこの国でも、つらいことは絶対にあります。パタンジャリが生きていた古代インドでも、アンが生きた1900年代のカナダでも、2019年に生きる日本の私達にも同じことが言えるでしょう。
けれども、パタンジャリやアンがしたように、不安なことを心から追い出して、目の前の楽しいことに精一杯集中すること。瞑想をすること。それこそが、つらいところを通るとき、びっくりするほど私達の助けになるのかもしれません。
瞑想は、高い精神世界を目指すヨガ修行者だけでなく、日常を生きる私たち一人ひとりが、つらい世の中を航海していくための魔法の切符にもなるのです。
参考資料
- ルーシー・モード・モンゴメリ著、村岡花子訳『赤毛のアン』新潮文庫、昭和29年
- ルーシー・モード・モンゴメリ著、村岡花子訳『炉辺荘のアン』新潮文庫、平成20年
- スワミ・サッチダーナンダ著、伊藤久子訳『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガスートラ』めるくまーる 、1993年