心で感じるバクティ・ヨガ(信愛のヨガ)で人生が変わる

心で感じるバクティ・ヨガ(信愛のヨガ)で人生が変わる

『バガヴァッド・ギーター』のヨガの中で、私たち日本人にとって最も解釈が難しいのは、バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)ではないでしょうか?どうしても宗教的なイメージが色濃く、なんとなく避けてしまう方もいるかもしれません。

しかし、バクティ・ヨガは全てのヨガ実践者にとってとても大切なパートになります。バクティ・ヨガの本質をとらえて、ヨガがどのように生き方を変えてくれるのか、紐解いてみたいと思います。

バクティ・ヨガはあらゆるヨガと共に存在する

『バガヴァッド・ギーター』を読むと、1冊の本全体がクリシュナ神へのバクティ(信愛)に溢れています。この神へのバクティはギーターの中の最も重要なテーマの一つです。

しかし、どうしてヨガにとってバクティが大切なのか。このことを理解するには、バクティについてもう少し深く考えてみることがポイントになります。

「知識・行動・感じること」は一体である

ギャーナ・ヨガ(知識)、カルマ・ヨガ(行動)、バクティ・ヨガ(感じること)の3つの関係からご説明します。

ギーターの3章の冒頭を読んでみて下さい。第2章でずっとギャーナ・ヨガ(知識)の話をしていたクリシュナが、急にカルマ・ヨガ(行動)について話し始めたので、アルジュナは混乱し、クリシュナに質問します。

今、知識の大切さを説いたのに、どうして急に行動について話すのですか?どちらが最適なのか、ハッキリしてください。

そこでクリシュナは下記のように答えます。

世の中には、ギャーナ・ヨガ(知識)の立場とカルマ・ヨガ(行動)の両方の立場がある。

つまり、知識と行動は常に共にあるべきもので、どちらか片方に傾倒してしまうと良くないことをクリシュナは教えたかったのです。

【ギャーナヨガ(知識のヨガ)】どうしてヨガ哲学を勉強した方がいいの?

知識と行動に併せて、もう一つ忘れてはいけないのが「感じること」です。行動も、知識も、それぞれ単独では意味のないものになってしまいます。

私たちは、学んだことを感じ、感じた通りに行動し、行動した結果を感じます。そして、心が動いたことでまた知識を得ます。

「知識・行動・感じること」の3つはトライアングル。つねに3つがバランスよく共存していることがとても大切です。

行動のプロセスを理解する

例えば、「ストレスにヨガが良い」という情報(知識)を聞いたとします。知識を得た時に「やってみたい」という感情があれば、それによって「ヨガを習ってみる」という行動に繋がります。

しかし、感情が動かなければ、同じ情報が入ってきても行動に繋がりません。その人にとっては役に立たない知識で終わってしまいます。

一方で、たった一つの知識が人生を180度変えることがあります。

例えば、私の哲学の先生はギーター第6章のたった一つの言葉で生き方が変わったと繰り返しおっしゃっています。

自ら自己を高めるべきである。自己を沈めてはならぬ。実に自己こそが自己の友である。自己こそ自己の敵である。(『バガヴァッド・ギーター』6章5節)

ヒンドゥー教徒である先生は、幼少期からその言葉を何度も耳にしていましたが、若い時は知識として知っているだけでした。しかし、人生のある時期にその言葉を耳にして、急に胸に深く刺さったそう。その日から、自分で自分の人生を変えることができると知り、自身の行動を改めて、生き方が急変しました。

「知識・行動・感じること」の3つはトライアングル
「知識・行動・感じること」の3つはトライアングル

頭で理解しただけの知識には全く意味がありません。その知識を心で感じることによって、行動が変わり、人生が変わります。その感情こそがバクティの本質です。バクティとは本来「神への信愛の感情」ですが、必ずしも対象は神である必要はありません。

ヨガは宗教や国を超えて、あらゆる人の生き方を教えてくれる知恵です。ヨガでは「感じること」を大切にしましょう。

バクティ・ヨガとは、人生を味わうこと、ともいえるでしょう。忙しさなどで、自分の感情にフタをしてしまっている人は特に、このことに意識を向けてみてください。どれだけ長時間、仕事や勉強をしていても、感情が働いていなければ、自分の人生を歩むことが難しくなってしまうからです。

バクティ・ヨガが人々の人生を変えた話

日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、世界的に有名なイスコン(ISKCON)というバクティ信仰の団体があります。

創設者のバクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ氏は、クリシュナの教えを世界に伝えるために、アメリカに行きました。その時のアメリカにはヒッピーと呼ばれる人たちが沢山いました。

彼らは、小汚く不衛生な状態で、薬物を常習したり、堕落した生活を送っていました。初めてバクティヴェーダンタ氏が彼らと会った時、インドから来た宗教家に対して、暴言を吐いたり、暴力をふるおうとした人もいたそうです。

そこでバクティヴェーダンタ氏は、まず、食事やスイーツを彼らに提供しました。その後、少しづつキルタンを歌いました。「ハレ―・クリシュナ、ハレー・ラーマ」というキルタンは、アメリカの人にとって全く意味の分からないものでした。

しかし、キルタンを一緒に歌うようになったことで、「心地いい」と感じる人が出てきて、自ら率先して、「それが何なのか?教えて欲しい」と、説法を求める人が出てきましたそうです。

なんとなく惰性で生きていた人たちも、「心地よく生きたい」という感情をキルタンから学び、バクティヴェーダンタ氏からギーターの教えを学び、生き方を自ら変えたそうです。身なりを清潔に保ち、食生活を改め、規則正しい生活をし、掃除をするようになりました。

現在、世界中にあるイスコン寺を訪れると、どこも美しく掃除されて、とても心が穏やかな人々に出会うことができます。

イスコン寺のキルタンで、メインで歌われるマントラはクリシュナへの讃歌ですが、重要なのはどの神を信仰するかではありません。マントラなど、強いエネルギーを持った音の力によって、感じることを忘れてしまった人々の心を動かすことです。

欧米でポピュラーなキルタン歌手であるクリシュナ・ダスのコンサートに行くと、とても多くの人が涙を流し、自然と踊り始めます。バクティ・ヨガは、特定の宗教に妄信するためのものではなくて、自身の感情を自由にしてあげるものだと考えましょう。

バクティ・ヨガは友愛の感情

バクティ・ヨガは友愛の感情
バクティ・ヨガは友愛の感情

ギーターの12章は、バクティ・ヨガの章として知られています。その中でクリシュナは、どのようなヨガ実践者が好ましいかを説いています。

すべてのものに敵意を抱かず、友愛あり、哀れみ深く、「私のもの」という思いなく、我執なく、苦楽を平等に見て、忍耐あり、常に満足し、自己を制御し、決意も堅く、私(神)に意(こころ)と知性(ブッディ)を捧げ、私を信愛するヨーギン、彼は私にとって愛しい。(バガヴァッド・ギーター12章13・14節)

ここで書かれている通り、バクティ・ヨガの目的は自我意識(エゴ)を静めて、友愛や同情の感情を抱くことです。

人の心は、自分のことを中心に考えてしまい、他人の立場でものごとを考えにくい性質があります。しかし、自分以外の対象に対して深く信愛を抱き、常に心を結び付けておくことで、自己中心的な思考に惑わされにくくなります。

自分に対するエゴが弱まることで、自然と自分と他者を平等に愛せるようになるのです。

バクティ・ヨガの実践方法には、神の名を唱えたり、お布施や捧げものをするものもありますが、それらも全てエゴを弱めるための実践です。

ヨガに対するバクティ

アイアンガーヨガの創設者として有名なB.K.S.アイアンガー先生を、バクティ・ヨガの一つであるダーシャの実践者として呼ぶ人がいます。自分自身の生涯を神に捧げて奉仕することをダーシャと呼びますが、対象が必ず神である必要はありません。

ヨガを信愛して、自身を捧げることもバクティ・ヨガの一つの形です。

今、ヨガを実践しているのであれば、常にその教えに対して敬意を表すこともバクティ・ヨガの実践となるのではないでしょうか。

大切なのは、実践の形ではありません。自分の心が、どれだけ愛をもって感じることができているかです。感じることを大切にして練習や勉強を行うことで、自分自身を大きく成長させることが可能です。

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