「贅沢貧乏」に生きる森茉莉 ~夢の部屋の中で永遠を見る~

「贅沢貧乏」に生きる森茉莉 ~夢の部屋の中で永遠を見る~

こんにちは!丘紫真璃です。私の名前もマリですが、今回は同じマリという名前の作家、森茉莉を取り上げたいと思うのですが、実はちょっと、このヨガのコラムに森茉莉を取り上げてもいいのだろうかと、内心ビクビクしております。

というのは、森茉莉自身、ヨガのコラムに書かれていることを知ったら、怒るんじゃないかという気もするからなのです。綺麗な文を書けるならまだしも、つたない文章をたどたどしくしか書けない私なんかが書いた日には…。

森茉莉といってもご存知ない方もたくさんいらっしゃると思うので説明しますと、彼女は、森鴎外の長女であり、小説家やエッセイストとして多くの作品を残した人なのです。

鴎外に溺愛されて贅沢に育っており、贅沢を何より愛しているので、ヨガの無欲とはまるで無縁。座っているのもイヤでできれば寝そべって生活したいくらいの面倒くさがりだという彼女は、たゆみないヨガの訓練などもまるで無縁。ヨガというものを知っていたとしても、絶対にやらなかっただろうなと思うくらいです。

森茉莉を、今回、このヨガのコラムで取り上げようと思ったのは、それでも、森茉莉が深いところで、ヨガの世界観とつながっているように私には思えてならないからなのです。

そんなわけで、前置きが長くなりましたけれども、天国の森茉莉に怒られるかもしれないとビクビクしつつ、本文に入りたいと思います。

鴎外と茉莉

森茉莉は、1903年、森鴎外の長女として生まれました。森鴎外といえば『舞姫』などが教科書に載っているので有名ですが、非常に近寄りがたい、とにかく偉い文豪といったイメージがありますね。

ところが、森茉莉のエッセイをめくると、教科書からイメージする硬い文豪とは全く違った、優しく、娘に大甘な父親としての鴎外の姿が浮かんできます。鴎外は、いつも、「フン、フン」と優しくうなずき、茉莉を膝の上にのせて背中をゆっくり叩きながら、「お茉莉は上等、上等」とばかり言い、茉莉が何をしても絶対に叱ったりしなかったのだそうです。

茉莉がこっそり飴玉を盗んでも、鴎外は優しく微笑んで、「泥棒してもお茉莉がしたなら、上等、上等」とささやいたというのだから、相当な溺愛ぶりです。茉莉は、16歳で婚約するまで、鴎外のひざの上に座っていたそうで、「或時期はことに、私は父の恋人代りのようになっていた」(『父の帽子』)[1]らしいのです。

鴎外に溺愛されて何もせずに育ったために、茉莉は、掃除、洗濯、裁縫などの一切の家事がまるでできないまま大きくなりました。それでも、年頃になった茉莉をどこかに嫁がせなければならないということで、茉莉が16歳の時、お金持ちの家から来た婚約の話を、両親は躊躇なく受けました。

お金持ちの家なら家事もしなくてすむ上、毎日、ごちそうも食べられるだろうと両親はふんだのです。そんなわけで、16歳で、茉莉は仏文学者の山田珠樹と結婚しました。

結婚生活とその後

16歳で山田珠樹と結婚し、珠樹の実家で暮らし始めた茉莉ですが、本人が、「何一つ家事が出来ない、内助の功皆無の奥さん、という、ほんとうの無駄飯食いだった」(『記憶の絵』)[2]

と書いている通り、茉莉は、本当に何もできなかったようで、お正月にも、家事の手伝いを何一つするわけでなく、羽つきをしてのんきに遊んでいたということです。そして、19歳の時に、仏文学者であった夫と共にヨーロッパに渡って、それが茉莉に大きな影響を与えました。

もともと、西欧かぶれだった父鴎外の影響で、ドイツから取り寄せた洋服を着て、ドイツ人の少女のような恰好をしていたという茉莉ですが、この時の旅行で、パリ、ドイツ、イタリア、スペインと回ったことで、徹底的にヨーロッパを愛するようになったようです。

特に長年暮らしたパリは、茉莉の性格とピタリと一致したようで、「巴里が自分のほんとうの国であり、自分のほんとうのいる場所である。」(『記憶の絵』)[2]と本人も書いています。

ところが、パリから帰国後、夫とだんだん性格が合わなくなり、24歳の時に茉莉は、二人の子どもを置いて、一人で、家を出ていきます。

その後、二度目の結婚もしたようですが、一年もたたないうちに破局。それからは、一人でのアパート生活がはじまり、鴎外の印税収入と、上等の着物や本を売ることで生活費をやりくりするという貧乏暮らしがはじまります。

いよいよ、鴎外の著作権が切れて、印税収入がなくなってからは、何とか生活費を稼がなくてはいけないということになり、文章を書き始めます。

54歳の時に書いた『父の帽子』で日本エッセイストクラブ賞を受賞。作家生活に入ります。

ここから、鋭い切れ味のエッセイや、長編ロマン小説、茉莉の個性が存分に発揮された『贅沢貧乏』など、次々に発表され、茉莉は生涯、一人暮らしの部屋で書き続けました。

夢こそは永遠

夢こそは永遠
夢こそは永遠

こうして、森茉莉の生涯を追ってみても、どこがどう、ヨガと結びついているのか、さっぱりわかりませんよね。

注目すべきは、森茉莉の『夢』という48歳頃の作品です。この作品の中に、未里(マリイ)という女性が出てくるのですが、これは明らかに、森茉莉本人のことでしょう。とにかく、その作品にはこんな事が書かれているのです。

現在というものは一刻一刻と過去になるものであり、絶え間なく飛び去るもので、あった。

ー 『父の帽子』夢より[1]

そして、

あの珈琲店で、今しがたまで未里の耳の中で鳴っていた音楽は既う今は、無い。その響きの余韻さえもがもう既に、無かった。あれはもう何処にもない。先刻のあの音を聴くことはもうどうやっても、出来はしない。どの日が来ようと、どの時刻が来ようと。(略)

未里は、不思議な心持に襲われていた。現実とはこんなに果敢ないものなのだろうか?こんなに消え易い、ものなのだろうか?

ー 『夢』[3]

こうして、「ヨガと文学探訪」というわかったようなことを書く新米作家のコラムを読んでいる今も、一瞬一瞬のうちに時は飛び去ってしまいます。あっという間にその瞬間は終わっていて、一文字前を読んだ瞬間だって、もう二度とは戻ってこない……。

一瞬一瞬のうちに飛び去り、消えていく時間の流れの中で、未里は不安な気持ちにかられます。

未里は絶えず心細さと感じるように、なっていた。それは現在が無いという事から来る心細さで、あった。

ー 『父の帽子』夢より[1]

だから、一瞬のうちに飛び去って行く時刻を捕まえたい、過ぎ去っていく時間の中に永遠のものを見つけたいと、未里は熱望します。そうして模索した結果、「夢」こそは永遠なんだということに、茉莉は気がつきました。

「夢」には時は関係ありません。「夢」の中の少年は永遠に少年であり続けますし、「夢」の中の家はどんなに時が過ぎ去っても、やっぱり同じであり続けることができると茉莉は思ったのです。

永遠に変わらないもの

現実の少年は、いつか大人になり、年を取り、死んでいきます。現実の家はいつか朽ち、つぶされ、建て替えられていきます。

『ヨガ・スートラ』の中でも語られています。全てのものは、変わっていくのだと。人も、動物も、空も、木も、心というものでさえ、生きている限り、刻々と変わっていきます。

でも、たった一つ、永遠に変わらないもの…それが「プルシャ」なんだとパタンジャリは言うのです。ヨガの修行は全て、「プルシャ」を探し求める修行だと、『ヨガ・スートラ』の中でも、くりかえし語られています。

そう考える時、変わらないものを探し求めて「夢」というものの中に陶酔していき、そこで生きた茉莉は、意外にも、ヨガとつながっているといえるのではないでしょうか。茉莉が「夢」と呼んだもの。それは、ヨギーが求める「プルシャ」と同じものではないでしょうか。

茉莉は、この夢のことを、空想と呼んだりもしていますが、『贅沢貧乏』の中で、次のように語っています。

現実。それは、「哀しみ」の異名、である。空想の中でだけ、人々は幸福と一しょだ。私は現実の中でも幸福だ、という人があるかも知れないが、そういう人は何処かで、思い違いをしている。

現実に幸福な人間が幸福を感じる時、その幸福感は、その人間の空想部分の中に、少なくとも空想の混り合った所に、存在しているのであって、決して現実そのものの中には存在しないのである(略)

ビフテキをナイフで切ってたべるということは「現実」であり、ビフテキ自身も「現実」であるが、ビフテキを美味しいと思い、楽しいと思う心の中にはあの焦げ色の艶、牛酩(バタア)の匂いの絡みつき、幾らかの血が滲む薔薇色、なぞの交響楽があり、豪華な宴会の幻想もある。

又は深い森を後にした西欧の別荘の、薪の爆ぜる音、傍らで奏する古典の音楽の、静寂なひびき、もあるのである

ー 『贅沢貧乏』[3]

森茉莉は、そのようにして、一切れのビフテキを、深い森や交響楽、西欧の別荘で彩ります。そうして、現実生活の全てを「夢」に変えていったのです。

「夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石」と、森茉莉は書いていますが、まさしく、茉莉の『夢』こそは、茉莉にとっての現実なのでしょう。


夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石
夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石

一人暮らしをしてからの茉莉は、「上に赤の字がつくほどの貧乏」で、しかも、家事ができないものだから、相当、散らかり放題の部屋で暮らしていたといいます。

黒柳徹子も、森茉莉の部屋に招かれたことがあるそうですが、新聞と雑誌と紙くずが足の踏み場もないくらい積みあがっていて、コーラのビンとコップを探すのに、大騒ぎだったと語っています。

けれども、その散らかり放題の部屋のことを、森茉莉は、彼女だけの目に映る「幻の豪華」で飾られているのだと言いきります。

そして、壊れかけた古い安物のスタンドに彫られている天使の若者を見ては、イタリアのフィレンツェを想い、長い間、棚ざらしになって色がはげてしまった壁掛けを部屋にかけては、本物のゴブラン織りを想って、空想の世界を繰り広げて、陶酔の時を送っているというのです。

そこは、他の人にとっては、部屋ともいえないような場所かもしれないけれども、彼女にとっては、イタリアを思わせるスタンドや、本物のゴブラン織りで飾られた美しい、夢の部屋(『贅沢貧乏』[3]だったのでした。

茉莉は、その夢の部屋の中で、夢の世界を築き続け、その夢を作品に書き残しました。森茉莉の小説は、茉莉の夢の連続で、茉莉流のロマンスにあふれています。

それだけではなく、強烈な個性と独特の物の見方で、ユーモアたっぷりに自分の生活を描いた作品や、鴎外の意外な一面を描いたエッセイなど、面白く読めるものもいっぱいあります。


森茉莉の永遠の夢の中に浸って、一瞬一瞬飛び去っていく時を忘れるのも、時には素敵です。一見、ヨガとは関係のないような森茉莉の夢の部屋を、ぜひ、訪れてみてください。

参考資料

  1. 森茉莉著『父の帽子』講談社、1991年
  2. 森茉莉著『記憶の絵』ちくま文庫、2001年
  3. 森茉莉著『贅沢貧乏』講談社、2003年