「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)
「平常心こそが、悟りの道である」ざっくり説明すれば、そんな意味の言葉です。ここで言う平常心とは、普段私たちがよく使うような「心が落ち着いた状態」とは、少し意味合いが違っています。
少し意訳すれば、「毎日の心がけ」と言ってもいいかもしれません。「毎日の心がけが、道へとつながっていく」という、ヨガの鍛錬にも通じるものがあるのではないでしょうか。
禅にまつわるこんなお話
宋代の趙州和尚という人が、師の南泉禅師に「(悟りの)道とは何ですか」と尋ねました。南泉はそれに対して「平常心是道」、普段の心が悟りへの道であると答えました。
さらに趙州が「それをめざして修行すればよろしいでしょうか」と問うと、南泉は「めざそうとすると、はずれてしまう」と答えます。趙州が「道をめざして修行しないと、これが道だとわからないのではありませんか」と問うと、「道とは知る、知らないというものではない。知るというのは煩悩妄想、知らないのは何もないことだ。もし真の道に達すれば、大空のようになにもなくなる。是も非もない」と南泉は答えました。
趙州はこの言葉を聞いて、悟りを開いたということです。
問答からわかること
「平常心是道」から始まって、悟りの道についての問答で読み取れるのは、
普段の心が道につながる。
ということ。けれど普段の心が怠惰であったら、道は遠のくような気がします。普段の心とのつきあい方が、大切なのかもしれません。
ヨガと禅
この記事を読んでいる方の多くはヨガをされていると思いますが、だいたいどのくらいの頻度で行っているのでしょう。
- 年に数回、ヨガのイベント?
- 週に一度のヨガレッスン?
- それとも毎日家で?
例えば毎日家でヨガをする習慣があって、定期的にヨガレッスンにも通っていて、時にはヨガイベントにも参加して・・・。そんな日々を何年も続けていたら、意識してめざそうとはしなくても、自然とヨガの理解は深まっていくことでしょう。知らず知らずのうちにヨガの仲間が増えるかもしれないし、気がつけばヨガインストラクターになっていた、ということもあるかもしれません。
何か目標を立てて計画的に行うのもいいけれど、自然と導かれるように開かれていくものは、無理やストレスが少なく長続きするでしょう。そうなるのは、まさに普段からの心がけひとつだという気がしませんか?