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インドの思想では、自身の行いが私たちの未来を作り出すと考えられています。日本人にとってなじみ深い仏教用語には「自業自得」という言葉があります。
この四字熟語の「業」という言葉は「カルマ(行為)」を意味しています。自分の行為(カルマ)が自分の徳となって返ってくる。この仕組みについてヨガ教典の言葉を参照して説いてみます。
天国と地獄に繋がる行為
ハタヨガもしくはタントラの教典と知られている『シヴァ・サンヒター』によると、「私たちの生きる世界は行為の結果である」と定義されています。
功徳ある行為の結果は天界であり、罪の行為の結果は地獄である。万物の創生は行為の束縛によって成るもので、断じて他の何物でもない。(シヴァ・サンヒター1章25節)
教典の中では、世の中の全てのものはカルマ(行為)によって作られていると明記されています。今、私たちが対面している世界の全ては自分自身の行為の積み重ねによって作られたものです。
もちろん、生まれたばかりの子供は自分の生について選択肢がありません。しかし、その後どのように生きるのかは、自分の行動によって自由に作り出すことができます。
行為の結果には二種あると知るべし。天界と地獄である。天界はさまざまであり、地獄も同様である。(シヴァ・サンヒター1章26節)
天界とは、様々な「楽」を受け取ることができる場所であり、地獄とは耐え難い苦痛を得る場所です。インドでは輪廻転生が信じられており、人々は死んだ後にいったん天界か地獄に行き、そのあと前世の行為(カルマ)に応じた境遇の場所に生まれ変わると信じられています。
未来を作り出すのは自分自身の行為
天国と地獄という表現を使いましたが、現在行っている行為の結果を受け取るのは死後だけではありません。今生きているこの瞬間も、自分の過去の積み重ねだからです。
昨日の自分が今日の自分を作り、今日の自分で明日の自分が変わります。だからこそ、快適な人生を生きるための行動を心がけることが大切です。
悪行の力で苦が生じ、善行の力で楽が生ずる。それ故に、楽を望むものはいろいろな善行を励んで行う。(シヴァ・サンヒター1章27節)
良い行いをしたら良い結果が返ってきたという経験は誰もが持っています。
テストに消しゴムを忘れていた友達に自分の消しゴムを半分にして差し出したら、翌日にはお礼にお菓子がもらえたといったような原因と結果が分かりやすいものもあれば、家族に気が付いてもらえなくてもトイレ掃除を毎日頑張っていたら倍率の高い憧れの仕事に就けたという風に、原因と結果がいっさい繋がらない形で帰ってくる場合もあります。
俗世に生きる多くの人は良い結果を求めて善行を行います。
- 勉強をしたらきっと試験に受かるはずだ
- 良い学校に進学できれば希望の仕事に就けるはずだ
- 希望の仕事に就ければきっと仕事が楽しい、もしくは経済的に豊かになれるはずだ
このように行われた行為の大部分は、実際に良い結果を生み出してくれます。もしくは、自分の望んでいた形の結果にはならない場合もありますが、それでも必ず自分にとって好ましい徳として返ってきます。
だからこそ、自分自身の行いには気を付けて生活することが大切です。誰も見ていないからとポイ捨てをしたら、その行為は他人に気が付かれなくても、必ず別の形の苦痛となって自身に返ってきてしまいます。
自分の習慣的な行いに意識を向ける
自身の日常の行いに意識を向けることはとても大切です。私たちが毎日行っている行動の8割から9割は習慣で無意識になされています。毎日同じような行動を行っていれば、その積み重ねは時間とともに大きなものになります。
今行っている行動に意識を向けて考えてみることはとても大切なことです。無意識に行っている行動を観察してみると、変えた方が良い習慣が分かってきます。
例えば嘘をつく人は、嘘をつくことが習慣になってしまい、「人を騙そう」と考えなくても無意識に嘘をついてしまっています。きっかけは悪気のない小さな嘘かもしれません。
しかし、嘘をつくことが習慣になってしまうと、人からの信頼を失いますし、自分自身も他者を信用できなくなります。
疲れている日の上司からの夕食のお誘いに「予定がある」と言ってしまうなど、些細な嘘は10分後には忘れてしまうかもしれません。しかし、それらの行動が全て積み重なって未来を作り出すので、気を付けるようにしましょう。
良い行為と悪い行為の両方から解放される
このように一般的な世間の価値観では、良い行いをすれば良い結果が返ってくるので、悪いことはしないという道徳的な常識があります。しかしヨガの教えでは、良い行為と悪い行為の両方への執着を手放します。
行為の規定家は善と悪の二元を説いたが、霊魂にとってはそれぞれが善きまたは悪しき束縛になる。(シヴァ・サンヒター1章30節)
ヨガでは、全ての執着を手放していきます。その過程で、良い行為に対する執着さえ障害になってしまう時があります。
例えばインドではカルマ・ヨガ(行為のヨガ)として慈善活動を行う団体がとても多くあります。残念ながら、素晴らしい行動をしていても逆に自分自身のエゴや執着を育ててしまうことがあります。
- 私はこれだけのお金を災害支援に募金した
- 私はたくさんの人の前でありがたい教えを説いた
- 私は100人のスラムに住む貧しい人に食事を提供した
自分が他者のために行った善行に対して意識が向きすぎると、自分は優れているというエゴが生まれてしまいます。
また、自分の行いに対して周囲の人から評価されたい、もっと称賛して欲しいという欲望が生まれてしまいます。良いことをしているのに、結果として執着が生まれてしまっては本末転倒ですね。
ヨガで自分を満たすことで、自然と良い行いが生まれる
ヨガでは、自分自身の心を幸せで穏やかな状態に導くことに重視します。自分自身が満たされていない状態で良いと言われる行為をしても「私はこれだけ頑張ったのだから認められたい」「自分がしてあげた分の親切を相手にも返して欲しい」といった心が生まれがちだからです。
自分が今、悩みを抱えている状態であれば、まずは自分自身への親切を心がけるようにしましょう。
自分自身の心に余裕が生まれてくると自然と周囲の幸せに対しても意識を向けることができるようになります。そのような時に他人への親切を行うと、見返りがなくてもとても幸せを感じることができるので、自然と良い行いができるようになります。
特に、アーサナや瞑想などの実践を行った後には心の不純性が弱まって余裕が生まれています。そういった時に自分の行為に意識を向けて、自分が快適になれるために行いについて考えてみましょう。
目の前にいるヨガスタジオの受付の方に笑顔で感謝を伝えるなどの小さな行動でも良いでしょう。気持ちの良い行動を少しずつ習慣化させることで、自身の未来は大きく変わっていきます。