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統的に行われているヨガの実践の中でタパス(苦行)というものがあります。仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタも、悟りを開く前に様々な苦行を実践し、生命を維持できないほどの厳しい断食などを行っていました。
しかし、多くのヨガの教典では自分を苦しめるようなタパスを禁止しています。苦行と言う名前から、苦しい修行が必要だと考えている方がいたら、ヨガ的なタパスについて見直してみましょう。
ギーターの説く3種類のタパス(苦行)
バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナは、タパスを3種類に分類して話しています。3種類とはこの世界を構成しているサットヴァ(純質)・ラジャス(激質)・タマス(鈍質)です。
タパスはヨガに限らず多くの求道者が実践してきましたが、やり方が間違っていると逆効果になってしまうこともあります。それぞれのタパスについてみてみましょう。
サットヴァ性のタパス
人々が果報を期待せず、専心して、最高の信仰をもって、三種の苦行を行った場合、それを純質的な苦行と称する。(バガヴァットギーター17章17節)
ここでの3種類のタパスとは、身体的な・言語的な・心的なタパスの3種類を意味します。具体的な実践方法は後にご紹介しますが、ここでは「何を実践するか」ではなくて「どのように実践するか」に重きを置いています。
サットヴァ性のタパスの一つ目の条件は、タパスの結果に対して執着をしないことです。「この断食を行ったら、私は食欲をコントロールできるようになるはず。ついでに体重も減ってダイエット効果もあるはず」このような結果を求めて行うのは、ヨガではなくてただのダイエットですね。
結果に執着しないことは、2つ目の専心することにも繋がってきます。タパスの実践は、自分の心の不純性を燃やしきるために行います。そのためには自分自身の心にしっかりと向き合う必要があります。
断食を行えば空腹を感じたり、継続するか諦めるかの迷いの心が必ず訪れます。そのような心の障害を見ないようにするために、映画を観たりと好きなもので気を紛らわせたら、結局自身と向き合えません。自分の行っている実践と、その経過での心の働きには向き合って乗り越えることが大切です。
最後に、信じることも大切だと説かれます。この信仰心とは、自分の行っているヨガを信じること、自分の師を信じることを意味します。ヨガを信じることができなければ、ヨガの恩恵を受けることは難しいです。
また、教えを与えて下さる師をジャッジする心があれば、どれだけ素晴らしい教えを与えられても受け取ることができません。
ラジャス性のタパス
接待、尊敬、崇拝を得るために、偽善により行われる苦行は、動揺し不果実であり、この世で、激質的な苦行と呼ばれる。(バガヴァッド・ギーター17節18節)
ラジャスとはアクティブさや激しい感情を導く性質です。結果を求めて行うようなタパスは、ラジャス性のタパスだと説かれます。
インドでは古代から現代まで、求道者を深く尊敬する文化が根付いています。悟りを開く直前のブッダにキール(乳粥)をスジャータが差し出したように、修行僧を見かけると食事などを提供することは現代でも行われています。
しかし、中には尊敬されたいから厳しい苦行を行う実践者がいるもの事実です。「私はヒマラヤの雪山で裸で瞑想を1週間行った」と、どれだけ過酷なタパスを行ったのか周囲と競い、賞賛されたいから行うのは、全て自己顕示欲を満たすための行為でしかありません。
現代であれば、毎朝4時半に起きてアーサナの練習をしていると「自分は立派なヨーギーだ」と、練習していること自体に満足してしまうことがあります。しかし、大切なのは早起きでもアーサナの種類でもありません。そこから自分が何を学んだのかを見つめることが大切です。
タマス性のタパス
迷える見解に固執し、自己を苦しめたり他者を滅するために行われる苦行は、暗室的な苦行と呼ばれる。(バガヴァッド・ギーター17章19節)
思い込みによる執着や、アヒムサ(非暴力)に反する実践は全てタマス的なタパスです。タマスとは無知によってなり、暗い状態や怠慢さを呼ぶ性質です。古代インドには、タパスの実践方法に固執して、苦しみしか見いだせない修行者が多く存在していたと言われています。
過度な断食などもそれにあたります。「これ以上の断食はヤバいのでは?」と思っていても、「これは修行を邪魔する悪魔の声だ。まだ自分の心は弱い」と、断食すること自体に固執し、悟りを得ずに命を失った修行僧もいたはずです。
ギーターの中では、過食も食べなさすぎることも両方ヨガにとって良くないと書かれています。サットヴァ性の「信じること」と、タマス性の「固執すること」の2つは、バランスがとても難しいです。だからこそ、信じながらも妄信しないバランスが必要となります。
タパスは自分を苦しめるためのものではなく、自身を磨くための教えだと常に心にとどめておきましょう。
身体的・言語的・心的なタパス
タパスには様々な実践方法があります。ギーターの中では3種類のタパスに分類しています。
身体的なタパス
- 神々、バラモン(聖職者)、グル(師)、知者への崇拝
- シャウチャ(清浄を保つこと)
- 廉直、潔白で正直なこと
- ブラフマチャリヤ(禁欲)
- アヒムサ(非暴力)
ここに上げたのは、ギーターの17章14節に説かれる身体的なタパスです。ギーターでは具体的な方法というより、精神的な実践への姿勢を説いています。
早起きしての瞑想をタパスとして行う人もいれば、断食や食事制限を修行と考えることもできますが、ギーターに書かれたような身体的なタパスの条件を念頭において実践すると良いでしょう。
言語的なタパス
- 不安をおこさせない、真実で好ましい有益な言葉
- ヴェーダ(教典)の学習
日常使う言葉をコントロールすることも言語的なタパスです。例えば、ヨガ・スートラのサティヤ(正直)は最適です。友達との約束に遅刻しそうなときに、つい「バスが遅れた」などと小さい嘘をついていませんか?自分の発する言葉に意識を向け、コントロールすることは案外難しいものです。
また、マントラのように純粋な音を唱えること、ギーターなどの教典を読むことも言語的なタパスに含まれます。
心的なタパス
- 心の平和、温和
- 沈黙
- 自己制御
- 心の清浄
心のタパスは、ダイレクトに自分自身の心をコントロールする実践でとても難しいものです。心を操ることはとても難しいことですが、だからこそ日々のヨガの実践によって少しずつ心を知って快適な状態にすることができるようになります。
毎日の日常生活をタパスの時間にする
ギーターで説かれるタパスの実践は「何を行うか」ではなく「どのように行うか」が最も大切です。タパスを実践するのに、必ず新しいチャレンジをする必要はありません。
すでに継続してヨガの練習を行っている人であれば、サットヴァ性のタパスになるようにと意識することが大切です。また、不注意で食器などを落としやすい人は、アヒムサの実践として物の扱いに意識を向けることでもタパスとなります。
人との会話で「でも、」「いや、」と批判的な言葉を癖で使っている人は、それをやめることが言語的なタパスとなります。簡単に見えて、自分の癖を治すことはとても大変な実践です。
こういった身体的・言語的なタパスを行うことで、自然に心的なタパスも実践できるようになります。自分の身体的な行動や発する言葉は、心の癖と強く結びついていることが多いからです。
このように自身の行動や思考を変えることができれば、自然と自分の人生が変わってきます。ぜひ、自身のタパスについて考えて取り入れてみましょう。