2021年8月30日はクリシュナ生誕祭(クリシュナ・ジャンマスタミー)でした。
クリシュナ神は、愛の神様として知られていますが、ヨガの神様でもあります。カルマ・ヨガ(行為のヨガ)、ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)、バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)について書かれた教典『バガヴァッド・ギーター』は、クリシュナ神の説いたヨガの教えです。
私がインド古典音楽を学んでいるヴリンダーヴァン・グルクル(学校)では、毎年クリシュナ生誕祭を盛大にお祝いします。
コロナ禍の今年も、限られた人数の生徒たちと一緒に祈りを捧げました。その様子をご紹介します。
クリシュナ生誕祭の24時間の音楽奉納
私がインド古典音楽を学ぶムンバイのヴリンダーヴァン・グルクルでは、毎年クリシュナ生誕祭に24時間のバーンスリー演奏を捧げます。
今年のクリシュナ神の誕生日は8月30日の深夜24時でした。
多くの女性生徒やグルジ(師)の奥さんは30日には1日断食を行います。そして、夜23時頃から、パンディット(司祭)と共に、クリシュナ神に向けたプージャ(儀式)を行います。
そして、24時を迎えた時から、バーンスリー(竹笛)の奉納が始まります。
必ず最初の演奏はグルジが行います。また、24時のお誕生日の時間が訪れた瞬間から、そこにいる人たちにプラサード(お供物)のキール(乳粥)やミターイー(甘いお菓子)が配られます。キールはお釈迦様が悟りを開く瞬間に口にした食べ物としても知られ、インドでは祭日には欠かせない食べ物です。
キールを頂いた生徒は次々とグルジの周りに座り、グルジの笛の音に合わせて演奏を始めます。
何十年も前からグルジに師事しているシニアの生徒たちは、普段のクラスに顔を出すことはありません。地方で活躍している生徒もなかなか会えません。
1年に1度、クリシュナ生誕祭の時にだけ会うことのできる、沢山の大先輩たちがグルジと一緒に笛を吹いている姿はとても感動的で、毎年私は一緒に笛を吹きながら涙を流してしまいます。
24時間演奏することで感じる自然の偉大さ
インド古典音楽には、時間ごとに定められた音楽を奏でるルールがあります。
深夜には深夜の華やかなムード、夜明け前の未明には神聖なメロディー、朝の清らかな夜明けには少しずつ昇る太陽のようなムードのメロディー。
24時間演奏するのはクリシュナ生誕祭1度だけです。この24時間は、1日の時間の流れとともに、その時間にふさわしい情景をバーンスリーの音で感じることができます。刻々と変わる時間のエネルギーが、演奏している私たちを染めていき、不思議と疲れを感じにくいです。
本来、インド古典音楽は自然と一体になれるものでした。時間の流れ、太陽や月の動き、移り変わる季節、その時のエネルギーをそのまま音で表現します。
自然のエネルギーと一体になることで、私たちも自然の一部であることを知ることができます。
クリシュナ生誕祭の音楽奉納の始まり
グルジは、自分が演奏しない時間にもグルクル(住み込みの学校)内のお寺に来て、生徒たちの演奏を見守ります。その際、グルジが音楽奉納を初めた時のお話を聞くことができました。
バーンスリーを演奏する人たちにとってクリシュナ生誕祭の音楽奉納は今では有名ですが、初めて行ったのは私のグル(師)である Pt.ハリプラサード・チョウラシアです。
1986年、35年前には、まだグルクルはありませんでした。グルジは一軒家の家に家族と住んでいましたが、ある時突然、天から降ってきたように、「クリシュナ生誕祭には24時間バーンスリーを吹かないといけない」と思ったそうです。
グルジの当時のご自宅では、テラスにクリシュナ神のお寺がありました。グルジはたった1人でクリシュナ神の前に座り、照明もない真っ暗な屋外でバーンスリーを吹き始めました。
毎年クリシュナ生誕祭はモンスーンの真っただ中で必ず雨が降ります。どれだけ雨に降られても、グルジはたった1人で、クリシュナ神のためだけに音楽を捧げ続けました。
1986年から毎年、どれだけ忙しくてもグルジは24時間の音楽奉納を続けています。
少しずつ生徒も一緒に演奏するようになり、タブラ(打楽器)も加わり、グルクルが建設されてからは100名以上の生徒が演奏しに来るようになったので、グルジ自身が24時間通しで演奏をすることはなくなりました。(コロナ禍の昨年からは限られた生徒のみで行っています)
しかし、生徒だけで演奏している時間でも、グルジは責任をもって確認しに来てくれます。
バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)で手放すエゴ
クリシュナ神への信愛をバクティと呼びます。教典バガヴァッド・ギーターの中では、繰り返しバクティの大切さについて説かれています。
ギーターの中では、自分自身の行いを神への捧げものとするようにと説かれています。
あなたが行うこと、食べるもの、供えるもの、与えるもの、苦行すること、それを私への捧げものとせよ、アルジュナ。(バガヴァッド・ギーター9章27節)
通常の人の行いは全て、自分自身が何かを得る目的を動機として行います。しかし、それは自分の得を願ったエゴの強い行動です。
クリシュナ神は、エゴによる行動をしてはいけないと説きます。また、目的のための行動もよくないと説きます。
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。(バガヴァッド・ギーター2章47節)
何かを得るための行為と考えると、その瞬間は未来の自分のための犠牲となってしまいます。その結果が、求めていたものと違うと苦悩を生んでしまいます。だから、未来のためではなく、今この瞬間自分に意識を向けて精一杯に生きよとクリシュナは説きます。
グルジも同じように話してくれました。
「ジャンマスタミー(生誕祭)の演奏を始めた時には、ただやらないといけないと思っていたんだ。どんなエゴもなかった。自分と、クリシュナ神と、バーンスリー。それだけしかなかった。だけど、それが全てを与えてくれた。こうやってグルクルができて、あらゆるものが与えられた。」
グルクルはムンバイの一等地にある、とても美しい建物です。その土地は知事から与えられ、建物はタタ・グループの創設者であるタタ氏から与えられたものです。
グルジは、ただ自分の音楽を奏でるダルマ(職務)を遂行することで、沢山の人を感動させ続けて、大きな富となって返ってきました。
いつもグルジは、バーンスリーを演奏することはクリシュナ神への祈りだと言います。
それは自分の部屋で1人で練習しているときも、私たち生徒と吹いているときも、何万人もの聴衆を目の前にした舞台の上でも同じだと言います。「聴衆の前にでれば、目の前の人たちに必要な音楽が自然と現れるから、それを演奏するだけ。それも祈りの時間。」と話してくれました。
「夢を持て、目標を持て」と育てられてきた私たちにとって、この瞬間だけに集中して何かをすることは難しいかもしれません。しかし誰にとっても、祈りの時間だけはエゴを手放して目の前の神聖な存在に向き合える瞬間ではないでしょうか。
わざわざ神社やお寺に行く必要はありません。ヨガの時間、瞑想の時間、少しずつ日常の中で祈る時間を増やしていくことができます。
祈りは、特定の神様に向けなくても大丈夫です。美しい地球の自然、太陽や月、自分と周りの人の平和。食事を頂く時にも、ちゃんと手を合わせて感謝をしてから食べる。そういった日常の全てが祈りです。
エゴを捨てた行為の積み重ねは、必ず幸せな人生に繋がります。
このように、忙しい社会生活の中では忘れがちなバクティの心を思い出させてくれたクリシュナ生誕祭でした。