こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、先日お亡くなりになった松岡享子さんの名訳が楽しめる「くまのパディントン」をご紹介したいと思います。
「くまのパディントン」の本を開いたことがないという方も、パディントンのぬいぐるみを1度は目にしたことがあるでしょう。
今や、世界中の人の友達となっているくまのパディントン。そんなかわいらしいパディントンを巡り、ヨガとのつながりを探っていきたいと思います!
はじまりは、1匹のクマのぬいぐるみ
「くまのパディントン」誕生のきっかけは、1匹のクマのぬいぐるみだったそうです。
作者のマイケル・ボンドさんは次のように語っています。
「1956年のクリスマスイブに小さなクマのぬいぐるみを買ったんだ。ロンドンの店の棚に売れ残りとして置いてあるのを見て、それをとても気の毒に思った。
そして妻のブレンダへのプレゼントとして購入して、家に持ち帰り、パディントン駅の近くに住んでいたので、パディントンと名付けたんだ。
そして、クマの話を書き始めたんだが、自分で楽しむために書き始めたら、たった10日後にはお話ができあがっていたんだ」
(サイト「Paddington マイケル・ボンド氏について」より)
パディントンのぬいぐるみはマイケル・ボンドさんの仕事机の上に座って、ボンドさんが2017年に亡くなるまで、ボンドさんの仕事ぶりを見はっていたそうです。
パディントン駅での出会い
「くまのパディントン」の舞台はみなさんご存じの通り、イギリスです。
イギリスのパディントン駅のプラットホームで、ブラウン夫妻が休暇で家に帰ってくる娘のジュディを待っている場面から物語は始まります。
暑い夏の日で、駅は、海へ行く人たちでごったがえしていました。汽車は汽笛を鳴らす、タクシーは警笛を鳴らす、赤帽は人ごみをぬって走りながら、あっちとこっちでどなりあう……それがみんないっしょになって、あたりはたいへんな騒がしさでした。ですから、ブラウンさんが、最初にパディントンに気がついてそういったときも、奥さんは、すぐには話がのみこめませんでした。
『クマが? パディントン駅に?』
奥さんは、あきれてご主人を見つめました。
『ばかなことおっしゃらないで、ヘンリー。そんなことあるものですか!』
(くまのパディントン)
「でも、ぼくはちゃんと見たんだよ」とブラウン氏は言いはって、奥さんの腕をぐいぐい引っ張り、人ごみや雑踏をかきわけて、遺失物取扱所のそばまで連れていきました。
すると、暗いすみっこの方に確かに、小さなフワフワしたクマがいたのです。クマは、古ぼけたスーツケースの上に腰をおろし、首から「どうぞこのくまのめんどうをみてやってください。おたのみします」と書かれた札をぶらさげていました。
これがパディントンだったわけです。
パディントンはペルーから密航をしてはるばるイギリスまでやってきたのでした。
パディントンは、ペルーで、ルーシーおばさんというたいそう賢いクマと暮らしていたのですが、ルーシーおばさんが年を取って、老グマホームに入らなければならなくなったため、ルーシーおばさんのすすめで、イギリスに移民してきたのです。
この出会いがきっかけで、パディントンは、ブラウン夫妻の家で暮らすことになり、数々の楽しい冒険を繰り広げていくことになります。
パディントンと道で出会っても驚かない
ところで、マイケル・ボンドさんによると、パディントンとブラウン夫妻の出会いの場面は、第二次世界大戦下ロンドンに避難してきたユダヤ人の子どもたちから着想を得たのだそうです。
ガーディアン紙で、マイケル・ボンドさんはこう語っています。
「子どもたちはみな、首に名前と住所を書いたラベルを付け、大切な所持品をすべて入れた小さなスーツケースや包みを持っていた。つまり、パディントンもある意味、難民だったのだ。そして私は、難民ほど悲しい光景はないと思っている」
ロンドンの店で置き去りになっていたクマのぬいぐるみと戦争孤児がかけ合わさって生まれた「くまのパディントン」。
物語を書き進めていくにつれ、ボンドさんにとって、パディントンは実在するクマのような存在になっていったと、デイリー・テレグラフで語っています。
「道を歩いている時に、パディントンと道でばったり会ったとしても、驚きはしないでしょう。パディントンは私にとって、実在のキャラクターのように感じられる存在ですから」
ボンドさんにとってパディントンは、実在のクマのように感じられるのですね。そのことが、ボンドさんとヨガの大きな繋がりであるように、わたしには思えるのです。
どうしてそう思ったのか、そのワケをお話してみましょう。
目に見えないものを信じる力
パディントンは、実際のイギリスでリアルに生きているクマではありません。ボンドさんの心の中のイギリスで生きているクマなんです。
ボンドさんは、心の中のイギリスで生きているパディントンが、驚いたり笑ったり、おかしな失敗をしたりしている様子に目をこらしながら、物語を描いているワケですね。
ボンドさんが、心の中のパディントンの様子に目をこらすということ。それは、ヨギーでいえば瞑想をするということと同じことではないでしょうか。
瞑想とは、自分の心の中を見つめるということです。
心の中には暗いものや、汚いものや、それはもう様々なものが渦巻いていると思いますが、パタンジャリは瞑想をする時には、暗いものは脇に取り除けて、楽しいものや光り輝くような綺麗なものだけを一心に見つめろと、アドバイスを送ります。
ボンドさんの心の中にも、おそらく様々な思いがあったことでしょうが、パディントンはボンドさんの心の中の楽しい部分であり、光り輝く部分だったのではないでしょうか。
自分の心の中に住むパディントンに一心に目をこらしている時、ボンドさんは瞑想をしていたと言ってもいいと、やっぱり私は思うのです。
そして、心の中に楽しいものを幼いうちからたくさん蓄えておくことがどんなに大切かということを、パディントンの名訳をしてくださった松岡享子さんは言っています。
「目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かはいうまでもない。のちに、いちばん崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ。
別に、サンタクロースには限らない。魔法使いでも、妖精でも、鬼でも、仙人でも、ものいう動物でも、空飛ぶくつでも、打ち出の小槌でも、岩戸をあけるおまじないでもよい。幼い心に、これらのふしぎの住める空間をたっぷりとってやりたい」
(サンタクロースの部屋)
パディントンや、サンタクロースや、魔法使いや、妖精達。目に見えない楽しいものをたくさん信じている子どもの心の中の世界は、どんなに楽しく、豊かなことでしょう!
そしてそれは、つらい時や悲しい時、人生の困難にぶつかった時の大きな助けになってくれるのではないかと、私はそんな風に思うのです。
松岡享子さんは、幼い頃から絵本や昔話で、目に見えない不思議なものたちと遊ぶ大切さを折りにふれ語って下さり、絵本や昔話を広めるための活動を多数行い、楽しい物語を世に送り出して下さいました。
そしてまた、お茶目でかわいくて、心の友にせずにはいられないクマのパディントンを、日本の私達に紹介して下さったのです。
マイケル・ボンドさんと松岡享子さんのおかげで、私達の心の中にも、パディントンはしっかりと根を下ろしました。
どんな災害があっても、悲劇があっても、心の中の友達は絶対にいなくなったりしません。それは、子ども達だけでなく、大人の私達にとっても素晴らしいことではないでしょうか。
今、現実世界は暗いニュースばかりです。そんな時こそ、パディントンと遊ぶ楽しい時間が、つかの間の癒しとなってくれ、明日を頑張る力となってくれるのではないでしょうか?
かわいくて、面白くて、読みだしたらどんどんページをめくらずにはいられない「くまのパディントン」。
パディントンとさあ!楽しい冒険に出かけましょう。
きっと素晴らしいひとときになる事と思います。
参考資料
- マイケル・ボンド著 松岡享子訳『くまのパディントン』福音館(1967年)
- 松岡享子著 『サンタクロースの部屋』こぐま社(2015年)
- パディントン公式サイト:https://www.paddington.com/jp/back-in-1958/michael-bond/