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世界中のヨガ実践者に読まれている教典『バガヴァッド・ギーター』の中には「梵我一如」という概念があります。
これは「自分も宇宙も一体である」と知ることです。
なんだかスピリチュアルで漠然とした印象を受けるかもしれませんが、同じような哲学は『嫌われる勇気』で有名なアドラー心理学でも「共同体感覚」という言葉で見出すことができます。
幸せに生きるためのヒントを、共同体感覚とヨガ哲学を比べながら見ていきましょう。
アドラーの説いた心理学はヨガに似ている?
アルフレッド・アドラーはオーストリア出身の精神科医、心理学者です。日本では岸見一郎著『嫌われる勇気』でアドラー心理学が紹介され有名になりました。
アドラーは対人関係こそがあらゆる悩みの原因だと考えます。また、物事の見方こそが悩みを作り出していると考えます。
例えば、野犬は危ないと母親に言い聞かされていた人が犬に嚙まれると「やっぱり世の中は危険に満ちている」と感じて、その後あらゆることに不安を感じるようになりました。
しかし大人になって「人を信じないと幸せになれない」と学んだ時に、犬に噛まれた後の記憶を思い出しました。通りかかったおじさんが自転車で病院に連れて行ってくれました。
それを思い出したことで、世の中には助けてくれる人がいると知り、不安が弱まりました。
このように、同じ事象に対して、見方を変えるだけで世界が危険な場所から幸せな場所に変わります。
これをヨガの哲学ではマーヤー(幻影)と呼びます。
夜道が危険だと思い込んでいる人は、縄を見ても毒蛇が現れたと勘違いして怖がります。恐怖心や不安を抱いたままだと心の平穏や健康は遠ざかってしまいます。
視野を広げて苦しみを手放すアプローチは、心理学もヨガ哲学も共通していますね。
アドラーの説いた共同体感覚とは?
アドラー心理学では、「自分は仲間に囲まれて生きている」という共同体感覚を得ることで悩みが弱まると考えます。
しかし、実際のところほとんどの人は日常的に自分を中心に考えてしまいます。
例えば「なぜ赤信号で止まらなくてはいけないのか?」という質問をアメリカ人にしたところ、70%の人は「警察に見つかると捕まるから」と答えました。25%は「自分が怪我をするだろうから」と答え、5%だけの人が「自分も怪我をするだろうし、周りにも被害があるだろうから」と答えました。
最初の2つの選択肢は、自分が捕まる、自分が怪我をすると、どちらも自己中心的な考え方です。それに対して、最後の5%の人だけが自分と他者両方の不利益について考えました。
自分単体について考えるのではなくて、自分を共同体の一部だと認識して、自身と他者は支えあって生きているのだと考えることで人は安心感を得ることができます。
この感覚を「共同体感覚」と呼びます。
極端な自己犠牲もよくありませんが、自分と他者の両方の幸福を考えることは幸せのカギです。
共同体とは、自分の属する家族、学校、職場、社会、国家、または人類と広がり、最終的には宇宙全体を意味します。
ヨガの説く梵我一如と共同体感覚
インド哲学の中で最も有名な言葉が『チャーンドギャ・ウパニシャッド』という紀元前800年頃に書かれた教典に書かれています。
“Tat Tvam Asi” (汝はそれである)
「それ」とは宇宙全体の唯一の根本原理であるブラフマンを意味しています。
ヨガ哲学では、個人であるアートマンと宇宙の根本原理であるブラフマンは一体のものであると説きます。私と世界の間にはなんの違いもないのです。
このような考え方を「梵我一如」とも呼びます。
では、どうして私と他者は違って見えるのでしょうか?
それは、土で作られたコップと平皿、水瓶などの違いだと説きます。同じ土から作られたものでも、この瞬間の造形で「これはコップ」「これは水瓶」だと認識されます。さらには、同じコップであっても、作り手や年代によって価値が変わります。
しかし、本質を見れば全てが土であり、いつか壊れて土に戻っていきます。
同じように、あらゆる人間も階級で分けられても、本質的には違いがありません。
真理を学んだ賢者は、バラモン(聖職者)も、牛も、象も、犬も、犬喰いも平等に見る。(バガヴァッド・ギーター5章18節)
また、人間と動物の間にも貴賤の差はありません。
私たち人間が勝手にグループで分けて、「上・下」「善・悪」と評価をします。
ゴキブリに共同感覚を抱くなんて絶対に無理!と考える人も、可愛いペットの犬になら自分のことのように大切に愛を注げるでしょう。
本来はあらゆる生に違いがなく、自分にとって敵対する立場の人であっても敵ではないと知ることができると、自分は周りと支えあっているという安心感を得ることができます。
上下でジャッジすることをやめよう
アドラー心理学では「横の関係」を提唱します。
自分と他者の上下を定義する縦社会は、常に競争を生み、劣等感などの悩みを増大させます。だからこそ、周囲と平等な横の関係を築き、仲間という意識を持つことで心の安定を手に入れることができます。
これは子供に対する教育などでも発揮させます。
子育てや学校教育の場面で、親や教師が「大人は上の立場」だと考えることで、頭ごなしの教育が行われてしまいます。
子供にしつけや教育をする時に、大きな声を出すなど、暴力性や力で言うことを聞かせようとすると、子供は本当の意味を学ぶことができません。暴力こそが問題解決の方法だと覚えてしまうかもしれません。
大人の方が経験や責任が大きく、親が子供にしつけをすることは必要ですが、上から下へと押し付けるのではなく、手間をかけて対等な立場で話をすることで、親の考えを初めて子供も理解することができます。
誰に対しても平等でいる
ヨガでもアドラー心理学と同様に、”誰に対しても平等であること”を勧めます。
親しい人、友人、敵、公平な人、仲介者、執着のある人、縁のある人、または善人と悪人に対して平等に考える人は優れている。(バガヴァッド・ギーター6章9節)
たまたま今の立場でライバル関係にある人も明日には友達であるかもしれませんし、今日同じグループにいる人も明日には敵対するグループになるかもしれません。
もちろん、立場で相手をジャッジすることは良くありません。職場でライバル関係にある部署にいる人を「向こうの部署の人は仕事をちゃんとしない」と批判していても、実際に会って話し合ってみたらとても気が合う人であることなどは日常的に起こり得ます。
自分にとって親しい人と、そうでない人の違いは、自分との関係性だけです。たまたま立場が違うだけで、その人自体が悪いわけではありません。
また、自分と考えや意見が違う人も同様です。世界には様々な考えがあり、正解はありません。自分と違う考えの人も、間違っているわけではありません。
意見が違う人にさえ、同じ共同体の中の一部なのだと繋がりを感じられれば、誰に対しても平等な人になれますね。
ヨガを日常的に生かす
古代の人たちが人生の苦しみを手放すために作り上げたヨガ哲学と、現代の人々の苦しみに向き合う心理学は、何千年という時間の差があっても共通点があって面白いです。
また、ヨガ的に学んだことの学問的な裏付けに心理学や解剖学を学ぶのも楽しいですね。
古典教典は一見とても壁が高い感じがしますが、自分の身近なところに活かせる教えから、少しずつヨガ的な考え方を学んでみましょう。
参考資料
- アドラー心理学入門 (岸見一郎著)