空に向かって両手を広げる絵顔の女性

見逃していた幸福に気づく~一切皆苦から全てが幸せなサントーシャ(知足)へ~

1つ大きな悩みがあると、世界の全てが悲観的に見えてしまうことがありますよね。

心がネガティブになっている時には、良いことがあってもそれに気が付くことができません。

反対に何か良いことがあると、日常のどんな些細なことにも喜びを感じることができます。

ヨガでは、ネガティブな色眼鏡を手放すことで幸せになれるようにアプローチします。

苦しみの正体と、幸福の見つけ方を考えてみましょう。

ヨガは苦しみを手放すことために生まれた

夕日が沈む海の浅瀬で手を合わせて拝むインドの男女
今では世界中に広まったヨガですが、元は古代インドで生まれました。

古代のインドでは、人々が苦しみから逃れるために沢山の宗教や哲学が生まれました。

つまり、「生きることは苦しい」という前提があっての教えです。

例えば仏教には「一切皆苦」という言葉があります。

仏教もヨガと同じ古代インドで生まれ、お釈迦様も悟りを得るまでヨガと同様の修行を行っていました。

お釈迦様が王子様としての人生を捨てて出家をしたのは、「一切皆苦」という世界の真実に気が付いてしまったためです。

それは、どれだけ美しい人、優れた人、富を得た人であっても、いつかは病気になり苦しみ、老いて醜くなり、最期に怖い死を迎えるということです。

それなら、生まれてきた人は全て苦しみなのだと知ってしまいました。

ヨガではどうでしょうか?

ヨガでは5つのクレーシャ(煩悩)によって人は苦しめられると説きます。

全てのクレーシャの元凶は無知(アヴィディヤー)です。

無知とは、「世界を正しく見ることができないこと」です。無知はエゴによって増大します。

たとえば、世界は諸行無常なので、私たちの身体も変化し続け老いてしまうものです。

そこに執着すると必ず苦悩を抱えます。「この身体が自分」だと勘違いする無知があると、身体の変化に一喜一憂して翻弄されます。

だからヨガでは身体に私の本質は無いと教えます。

私たちを苦しめる5つのクレーシャ(煩悩)の弱め方

『バガヴァッド・ギーター』という教典では、私たちの見ている世界の全てはマーヤー(幻影)であると説きます。

個の世界の全ては諸行無常でいつか消えてしまうものです。そこには何の本質もなく、全てがマーヤー(幻影)でしかないと考えます。

「全ては苦しみであるという一切皆苦。」「全ては幻だというマーヤー(幻影)。」このようにインドの哲学はいつもネガティブな真実に対峙するとことから始まります。

では、苦しみから喜びに切り替えるためにはどうしたらいいのでしょうか。

意識を外から内に向けることで見つかるサントーシャ(知足)

自然の中で目を閉じ合掌する女性
「全てが苦しい」と考える一切皆苦に対して、今与えられた全てに喜びを感じることができるのがサントーシャ(知足)の教えです。

サントーシャでは全てに感謝しましょうと教えますが、それがなかなか難しいと感じる人も多いと思います。

ヨガのクラスで自分だけができないポーズがある時に、「5体満足な身体に感謝しよう」と思っても、つい周りと比べて「自分だけが劣っていて恥ずかしい」と感じてしまうかもしれません。

サントーシャを深めるためには、意識を外から内へ移していく練習が必要です。

私たちは、外からの情報に意識が向くたびに不安を感じやすくなっています。

例えば、ヨガのアーサナは自分の内側に向いていれは気持ち良い身体の伸びを感じることができますが、周囲の人と比べてしまうと悩んでしまいます。

食事を食べる時に、食事に集中できていれば美味しいものを食べられて幸せですが、テレビを見ながらだと世界情勢の不安に意識が向いて味が感じられなくなります。

車が好きな人は会社までのドライブでも楽しめるはずですが、出社後の会議のことばかりを考えていると憂鬱で仕方ないかもしれません。空が青くて、美しい花が咲いていてもたぶん気が付けませんね。

サントーシャの戎行を守ることからは、無上の喜びが得られる。(ヨガ・スートラ2章47節)

サントーシャは、今与えられたものに気が付くだけの実践です。それだけで得られる幸せは最上のものだと書かれています。

ヨガ哲学の説く幸福とは、外から何かを足すものではありません。今まで見逃していた幸福に気が付くことなのですね。

情報を得すぎると思考ファーストになって感性が弱まる

自然の中でたんぽぽの綿毛を吹く子供の横顔
世の中はどんどん便利になっています。1年を通して安全で美味しい食材が手に入って、安価で質のいい衣服が店頭に並び、便利な道具も沢山ありますし、病院では誰もが医療を受けることができます。

ほんの百年前の人たちが「こんなものが欲しい」と願ったほとんど全てがすでに手に入っているのに、どうして私たちは常に苦しみを感じ続けるのでしょうか。

それは、意識がネガティブな不安と恐怖に結びつきやすいからです。

人の心には強い防衛本能があるため、危険を伴う情報を得ると、それが自分に関係ないものでも緊張状態になりがちです。

会社で新しいシステムが採用されて業務の効率化ができると言われると、「システムに仕事を奪われて職を失うかもしれない」「今まで通りの仕事をしないと、問題が発生してクレームになるかもしれない」と、まだ起こっていない苦悩に囚われてしまうことがあります。

ニュースで円安と聞けば、海外製品の価格が奮闘して今後買えなくなると思い、今すぐに必要ないものをまとめ買いしようとしてしまうかもしれません。

そんな状態だと、危険を早く察知するために、常に思考は外側に向きがちです。自分と関係のない情報が増えるほど、思考で物事を判断しようとします。

思考はネガティブな想像が得意なので、ますます人生が苦しいと勘違いをしてしまいます。

思考を弱めて感性に切り替えてみよう

沢山情報を得て、論理的に考えると幸福は感じにくくなります。

「これだけやったから大丈夫」という、安心感は得られることもあります。しかし、危険を回避した安心感は長くは続かず、次の危険な情報が入ってくれば、また対処し続けなくてはいけません。

マスメディアは人に沢山見てもらうことで収益を上げることができるので、より人の関心を引きやすい、不安を煽るような情報を故意に選んで流しがちです。そこに囚われないように気を付けたいですね。

過剰に恐怖心を感じないためには、マインドフルに生きることがとても大切です。いつもストレスを抱えて頑張って戦って、自分へのご褒美が欲しいから収入が足りないと思っている人は、収入を上げる前に幸せを見つめなおすことが必要かもしれません。

子供のために入場料の高い遊園地に連れて行ってあげても、子供にとっては道端のタンポポの綿毛をフーっと吹くのが楽しくて、アトラクションよりもそっちに夢中になってしまうかもしれません。

私たち大人は、楽しむためにわざわざお金を使おうとしますが、何でもない道端の雑草でも楽しめることを忘れがちです。

遊園地のアトラクションの行列に疲れてベンチに座った時に、春の風の心地よさに気が付くかもしれませんし、疲れている時には普通のおにぎりがとても美味しく感じるかもしれません。

スマートフォンの画面を見るのをやめて、忙しい思考を止めるだけで感じられる喜びに気が付くことができると、世界はとても美しいと感じられるでしょう。

毎日サントーシャ(知足)を実践しよう

サントーシャは、マルチタスクをやめて1つのことに集中することで感じやすくなります。

忙しければ、わざわざ散歩に出かけなくても感じることができます。

例えば、寝る前の時間はスマートフォンを見ずに、お布団の感触と暖かさを感じるだけでも幸せかもしれません。

歯を磨いた後の口腔内のすっきり感、ドライヤーで乾かしたばかりの髪の毛の触り心地、クリームを塗った肌のしっとり感、そんな当たり前の気持ちよさに意識を向けてみましょう。

最初は、わざわざ意識しないと難しいかもしれません。しかし、少しずつマインドフルに生きられるようになると、今の自分に関係のない不安や恐怖が弱まっていくのを感じられるようになってきます。

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