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ヨガ哲学の教典と知られる『バガヴァッド・ギーター』では、ダルマ(職務)について学びます。
誰にでも行うべき職務があって、それを遂行することが良い人生だと説きます。
しかし、中には頑張りたくてもなにをしたらいいか分からなくて悩む人もいますよね。
周りが頑張っている時には特に、焦りを感じてしまいますね。そのような時に、ヨガ哲学ではどう考えるのか見てみましょう。
何もしないダルマ(職務)もあると知ろう
バガヴァッド・ギーターでは「自分がやるべきこと」としてダルマが説かれています。そのため多くの人が、自分がやるべきことを一生懸命探します。
自分がやるべきことが分からないと、自分の周りの友達の頑張っていることを自分もやってみようと思い、今の時代に行うべきことを一生懸命探します。
しかし、「これからの時代はこれだ!」と情報を集めて頑張っても上手くいかない人は沢山いますね。
人にはそれぞれに与えられたダルマ(職務)があります。
確かに時代の波に乗っている職業もあれば、斜陽産業と呼ばれてしまう業界もあるかもしれませんが、全ての人が全員やるべき仕事なんてものはありません。
これからは IT の時代だと言われて、全ての人が IT の仕事を目指しては、私たちの食べる食料がなくなってしまいます。IT 業界のエンジニアが時代の波に乗っていると思っていても、突然 AI が発展して仕事が激減する可能性もあります。
ますます、私が何をするべきなのか分からなくて悩んでしまう時代なのかもしれません。
ヨガ哲学では、「自分に与えられた職務を行うべき」だと説きます。
つまり、やるべきことは突然与えられるもので、自ら奪い取りに行くものではないのです。
「何をやるのか」もですが、「どれだけやるのか」もダルマで決められています。
インドにいる何もしない人たちから学ぶ
インドにきた外国人の多くは、街角で見かける、ただ座っている人たちの多さに驚かされます。
もしかしたら軒先で店番をしているのかもしれませんし、雑用がある時には急に呼び出されてお買い物に行ったりするのかもしれませんが、毎日何時間も座っているだけの人たちが本当に沢山います。
日本では、週に1度の休日であっても、1日中なにもしないでいれば家族に小言の1つも言われてしまうかもしれません。もしくは、仕事がない人は後ろめたさを感じてしまうこともあるでしょう。
会社で自分だけが早く仕事が終わったら、一生懸命やることを探して時間いっぱいまで働く人もいますね。
しかし、インドでは平気で何もしない人がとても多い。
インドのヨガの先生たちは、そのような何もしない人を見て「何もしないこともダルマ」なのだと説きます。
その人は、何もしないながら周囲の人たちとの調和を取っています。
例えば来客が来たけれど主人が忙しければ、お茶を出しながら暇つぶしの雑談相手になります。
インドは家を留守にするのも危ないのですが、留守番をする人がいるととても助かりますし、子供の相手もできます。
集団の中で何もしなくてもいい人がいる余裕があると、なんだか周囲も余裕を持てるようになります。
人生の中の余裕を味わう
私たちの人生の中でも同じです。
効率を重視する資本主義の中では忘れがちですが、人生を生きていく中では余裕がとても大切です。
常に生産性のある時間を求めて効率的に生きるのはとても窮屈なことです。
長い人生の中には、すごく頑張らなくてはいけない数年間もありますが、余裕のある時期もあります。
それは、人生の充電時間だと知りましょう。
人生がマラソンのようなものであれば、どのように走るのかは個々に特徴が見受けられるものです。
本当のマラソンであれば、最初から最後までペースをあまり変えずに走るのが効率的かもしれません。しかし人生では、同じ距離を進むのであっても、緩急をつけた方が良い場合があります。
それは、私たちの人生が平坦な道ではないからです。
人生には坂道もあれば、嵐や強い風の日もあります。そんな中で、平均的に同じペースで走り続けることは難しいですね。
ある年は仕事が目も回る忙しさかもしれません。そのように必死に坂道をダッシュした後には息も上がってしまうので、ペースを落として疲労を回復する時間も必要になります。
今は貧困で苦しんでいるわけではないけど、何かしていないと何となく不安。だけど、何をしたらいいのか分からない。
そんな時は、無理に頑張らなくていいタイミングなのかもしれません。
余裕をもって毎日の平和生活を営むことが与えられたダルマなら、それ以上に幸せなことはありません。
時代の流れに流されずに、自分の流れを感じる
世界には流れがあります。
平和が続く時代、変化が激しい時代、努力することが良いという風潮、スローライフが流行るなど、その時々の時代に合わせた生き方の傾向が世間では話題に上がります。
しかし、全ての人に共通した正解があるわけではないと理解しましょう。
例えば、流行病のパンデミックがおこれば、医療従事者は過酷な労働化で自分の役割を果たすために一生懸命働きます。
オンライン上のビジネスが活性化したため、IT 係の仕事の人など、急なビジネスチャンスを掴んだ人もいるかもしれません。
しかし多くの人は、外出する機会が減ったことで、急に暇な時間を手に入れました。
リモートワークで働き続けても、通勤の時間の分だけ自由になったと感じる人もいるでしょう。
それを不安だと感じた人もいれば、一時的な収入減でも気にせずに満喫した人も沢山います。
今まで仕事が忙しく外食ばかりだった人は、自宅にいる時間が増えたことで料理をしたり、部屋の掃除を楽しんだりする余裕ができたかもしれません。
家族との時間が増えて嬉しいと感じる人もいれば、苦痛だった人もいるかもしれません。どちらにしろ、今までないがしろだった大切な人との関係に向き合うことができたことでしょう。
外出しなくても読書をしたり、良いテレビを買って自宅で映画を楽しんだりすることを覚えた人もいるでしょう。
パンデミックの様に時代が急に変化した時に、急に忙しくなるのか、暇になるのかは、自分では選ぶことができません。
今までは、自分が努力すれば自分の目指した人生が得られると信じていた努力信仰の人も、自分では変えられない運命のようなものがあるのだと気が付いたことでしょう。
大切なことは、その時に自分に与えられたものを楽しめるかどうかです。
どのような人生を生きるのかは、人によって千差万別の価値観で、万人に当てはまる正解はありません。
たまたま与えられた自分の人生の流れを感じて、自分だけの流れに乗ることが大切です。
何をするか?から、どのようにするかに切り替える
人生の中で何が与えられるのかは自分で選ぶことができません。
それなら努力しなくていいのかというと、それは違います。
与えられたダルマ(職務)をどの様に遂行するのかが、私たちの人生を充実したものにするのか、後悔の残る苦しいものにするのかの分かれ目です。
例えば、背が高くて運動神経のいい人はバスケットボールに向いているかもしれません。
ただ、どれだけ才能とバスケットボールに向いた体型を与えられても、全く努力しなければ与えられた才能は無駄になってしまいます。
自分の才能を伸ばしたい、自分に何が与えられているのか知りたいと思っても焦る事はありません。まずは自身と向き合う時間を作り、自身を見つめる事が大切です。
ある人は運動神経が優れているでしょうし、ある人は頭の回転が速いかもしれません。容姿端麗で得をする人もいれば、どれだけ勉強をしても絶対に追いつけない秀才がいるのも事実です。
自分の才能に気が付きにくい人もいますが、人の相談に乗ることが得意かもしれませんし、家庭料理を作るのが得意な人もいます。
あくまで、人と比べるのではなく、自分に今与えられたことを感じて、それを精一杯味わうことがヨガ的な人生です。
時には何もしなくていい時間もあります。そんな時は不安を感じなくても大丈夫です。どんな時でも楽しめると良いですね。