街の中で目を閉じる女性の横顔

『治りませんように』~治さない医者~

皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。

今回は前回に続き『治りませんように』について、語らせていただきたいと思います。

『治りませんように』とは、べてるの家をテーマにしたドキュメンタリー本なのですが、
べてるの家についてのくわしい説明は、前回の『治りませんように』~病気が唯一の財産~をご覧下さい。

精神障害を患う人々が集うべてるの活動の1番の基本方針は、病気を治さないということ。

医者や家族によって保護され、代弁される存在としてしか生きることを許されなかった患者が、病の苦しみや悩みを自分自身の言葉で語り、1人の人間として苦労して生きることがべてるの家のモットーだといいます。

そんなべてるの活動を長年支えてきたのは、べてるの本拠地がある北海道の浦賀町の精神科医川村敏明先生です。

今回は、長年べてるの家を支え続け、治さない医者を名乗る川村先生にスポットを当て、べてるの活動とヨガのさらなる関係に迫りたいと思います。

治さないよ

注射を持った医師
べてるのメンバーを支え続けてきた川村先生は、数々の講演を行っています。

その講演の中である時、先生は、べてるのメンバーになるために浦賀にやってきた1人の患者さんについて語っています。

その方は、最初浦賀にきたときに、やっぱりつらいときに、注射してもらいにきたんです。注射してくださいって。
(『治りませんように』)

その方とは統合失調に悩まされている30代の女性、林園子さん。彼女はつらくなると、いつも注射をしてもらっていたから、どうか注射をしてくれと川村先生にしつこく頼み込んだといいます。

でも、川村先生はそれを断りました。先生は、林さんに注射をしてほしくてここにくるなら、地元に帰りなさいと告げたのです。

そして、浦賀に来たのは、それまでのやり方を変えるためだったんじゃないかと彼女に言います。

つらくてつらくてたまらなくなると、林さんはいつも注射をしてもらい、そのつらさから逃れていました。

けれども、注射の効き目が切れると、またつらさが襲ってくる。そしてまた、注射を打ってもらうというループの中にいたのです。

川村先生が注射を打たないと言ったことは、そのループを切り崩す試みでもありました。

彼女は、先生に注射を打ってもらえなかったことで、自分のつらさと直に向き合わなくてはならなくなり、べてるのメンバーとミーティングを重ねました。そして、自分のつらさと真摯に向き合っていったのです。

そして、その結果、症状がつらくなってくるのは、「悩んでいる」、「疲れている」、「ひまで」、「さびしい」、「お金がない」、「おなかがすいたとき」だということを発見したのです。

それぞれの頭文字をとった「なつひさお」は、たちまち、べてるの家の名言の1つとなり、べてるのメンバーに浸透していきました。

「なつひさお」の時に症状が襲ってきてつらくなるから、これをなるべく回避したらいいという発見は、林さんだけでなく、多くのメンバーをも救ったのです。

そうして注射がなくても症状が落ち着いてきた林さんは、川村先生にこう言いました。

先生、これ以上もうわたしの病気を治さないでくださいね。私は幻聴も聞こえてます。ときに被害妄想が頭のなかにいっぱいになったりするときあります。だけど、もうわたし、これ以上病気をなくしてほしいとは思っていません。むしろ病気をなくされたらこまると思っています。
(『治りませんように』)

林さんは、病気があったからこそ、べてるの仲間に出会えたのですし、様々な発見をしたのだと自分自身で気がついたのです。
そんな彼女に、先生は驚きながらもこう答えました。

先生は治せる医者だってみんないってる?しっかり病気、治してくれるっていってる?
(『治りませんように』)

その答えは、たとえ医者だって患者の病気を勝手に治す権利はないと信じ、「治さない医者」を名乗っている川村先生らしい答えでした。

この病気と出会った意味

部屋の中で目を閉じて座る女性
また別のインタビューで、川村先生は、こんなことを言っています。

医者にだけまかせてしまう、先生がいったからっていってぜんぶ決まっちゃう、そういうところは……一見、悩みも少ないように見えますけれども、だれの悩みだったんだろう、だれの病気なのこれ、と。だからぼくら、悩みを減らすより悩みを増やすっていうのは、つねにあなたが主役だよねって、スポットライトをあてつづけたいという思いが(あってのことで)、そこからしか、この病気と出会ってしまった、しかしそれがけっして否定的じゃないという、そういう答えが生まれようがないと思うわけですよね。
(『治りませんように』)

川村先生がこう発言するのは、川村先生が扱っている病気が、精神病だということが大きく関係しているでしょう。

精神病を発症してしまう原因のほとんどは、この生きづらい現実社会での悩みや、人間関係のストレスなどが関係しています。

病気となった原因である現実社会での生きづらさや、人間関係のストレスに向き合わないまま、薬や注射を打って症状を抑えるだけでいいのか、と川村先生は問うているのです。

そんなことをしても、薬や注射の効き目がなくなれば、症状はぶり返してしまう。それは根本的な問題解決にはなりません。

大事なことは、注射や薬に頼りきりになるのではなく、患者さん1人1人が、なぜ、自分はこの病気に出会ってしまったのかという問題や、病気の症状や苦しみと向き合うこと。

そうして、自分の病気というものと、自分自身がしっかり向き合った時にしか、病気と出会った自分の人生を肯定できないだろうと、川村先生は言うのです。

わたしは精神科医として、患者さんといっしょに考える精神科医でいたいと思います。あるいは治療についても、患者さんに相談する。これはサービス業のたいせつなところだと思いますけれども、ユーザーの意思をたいせつにして、『治していいの?』という、相手の意思をひじょうに取り入れる、たいせつにする医療をしたい。
(『治りませんように』)

治さない医者川村先生のもとで、べてるの人々は、ただ病気を治してもらうという立場から抜け出していき、病気と共にいかに生きていくかを考え、語り合うようになりました。

そうして、べてるの家では、精神病の当事者同士のミーティングが数多く開かれるようになったのです。

それが、林さんの「なつひさお」の発見や、前回ご紹介した清水さんの「病気は私の唯一の財産」の悟りにつながっていったといえるでしょう。

他人の価値に生きない

白い人型の模型の中に1つだけある緑の人型模型
べてるのミーティングについて、作者は次のように語っています。

精神病という病気は、そのさまざまな位相を通して、病を担う人の姿を浮かび上がらせる。金や地位や名誉や肩書きといった社会的属性をすべてはぎ取られ、あるいは最初からそんなものを無縁とした人びとは、浦賀の文化と出会い、べてるの家の人間関係のなかにおかれることで、その人そのものの姿をあらわし、また見いだされてゆく。べてるの家のミーティングに出るということは、自分が丸裸にされる経験だといった当事者がいるが、それはあらゆるものをはぎ取っていったすえに、自分に残るものはなにかを見つめる経験でもある。そこで人間にとってほんとうにたいせつなものはなにかという問いかけに、直面することでもある。
(『治りませんように』)

べてるの人々が探し求めた「人間にとってほんとうにたいせつなもの」とは、1人1人の中で、その答えは違っているでしょう。

でも、その答えはおそらく、医者でも家族でもなく、自分が自分の苦労を生きるという「自分の人生は自分が生きる」ということであり、「他人の価値を生きない」ことではないかと作者は言います。

他人の価値に縛られずに自分の価値を大事に生きるということ。それはまさしく、ヨギーの目指す境地ではないでしょうか。

他人の価値観という縛りから解放され、自分自身を見つめなおして、自分自身の尺度を大事に生きるということは、『ヨガ・スートラ』の中でも1番大切なことだとされています。

そう考えた時、弱さをさらけだし、自分をさらけ出しながら、苦しみ、もがき、人間にとってほんとうに大切なものは何かという答えを探し続けて、自分の道を見つけていくべてるの家の人びとは、皆さん立派なヨギーであると十分言えると思うのです。

自然体でいい

芝生の上で手をつなぐ白い人形
他人の価値観を生きず、自分自身の尺度を大事に生きようとするべてるの人々について、川村先生は次のように語っています。

人からの評価だとか世間の価値観だとか、そういうんじゃなくて、やっぱり自前の感覚が出てきているぶんだけ、べてるのメンバーはおとなっぽい、なんかこうゆったりと生きている感じがします。そのへんの生き方のなかに、たくさん教えられることがあるし、ぼくらの価値観のほうが単純すぎたなと思うことがいっぱいありますよ。だから、あんまりぼくは働きたくないんだという人と、僕はあんまり治せない医者なんだということと、そう差がない。働くことだけが大事だとか、病気を治すことだけが大事だとか、そういうふうには思っていないということですね。もう少し自分たちの存在や相手の存在も役割も、広く見てみようよと。そういう感覚で見てみたら、精神病をもって生きる世界も、いままでよりはずーっと広く見えてきたという感じじゃないかと思うんですよ。
(『治りませんように』)

人からの評価や価値観から抜け出して、自分自身の感覚で生きていくべてるのメンバーと接するとき、川村先生自身もまた「ぬくさというか、人肌の感覚のなかに暮らす」という思いを持つようになってきたといいます。

それはもう病気を治してあげる医者と、治してもらう患者という従来の関係を通り越し、人間と人間とのつきあいになっているのです。

川村先生はこう言います。

長くかかわっていると、だんだん自然体になってこれるところだなあと。だから、ただつきあっていればいいんですよ。治すっていうよりはね。
(『治りませんように』)

医者でさえも患者の病気を勝手に治さず、患者の苦労を奪わないという川村先生の姿勢は、苦労の哲学を基本としたべてるの真髄とも深くつながっています。

苦労の哲学とは何か?

これについては長くはなりますが、べてるシリーズ第3弾に託したいと思います。

斉藤道雄『治りませんように べてるの家のいま』みすず書房(2010年)