夜空と少女のイラストと塔に住む魔術師のタイトル

『塔に住む魔術師』に見るタト・アム・アシー

皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、マーガレット・マーヒーの『塔に住む魔術師』を取り上げたいと思います。

『空中の王国 九つの愛の物語』という本に収められている9つの短編集の中の1つで、
とても不思議な美しさが印象に残ります。

絵本、幼年向け童話、ヤングアダルト、SF、ハイ・ファンタジーと幅広い作風を見せるマーヒーの世界は、読めば読むほどのめりこんでしまい、その魅力にどっぷりハマってしまいます。

そんなマーヒーの描いた『塔に住む魔術師』とヨガは、どのようにつながっているのでしょうか。

皆さんと共に考えてみたいと思います。

文学賞の名前にまでなったマーガレット・マーヒー

窓から光が差す図書館
マーガレット・マーヒーは、1936年生まれのニュージーランドの作家。図書館司書として、ニュージーランド各地の図書館を巡り、クライストチャーチ市図書館の児童書担当になります。

1969年に『はらっぱにライオンがいるよ』でデビュー。その後、様々なジャンルの作品を発表し、カーネギー賞、フェニックス賞、国際アンデルセン賞など、数多くの国際的な賞を受賞。

1991年には、児童文学への功績により、マーヒーの名にちなんだマーガレット・マーヒー賞が出来ます。

1993年には、ニュージーランド勲章を授与され、12人の地元の英雄に選ばれました。

魔術師の塔

森の中に立つ塔
季節は冬。主人公のマティルダは、恋人と幸せいっぱいの日々を送っています。

恋人とさよならをして別れた後、ウキウキした楽しい気持ちで、家へ向かって帰ります。

恋をしていたため、マティルダはみなぎる力と幸福を感じていたー自分がほんのわずか願っただけで世界を変えることができる、そんなふうに感じていたので、彼女は突然花が咲いているのにでくわしても少しも驚かなかった。すっかり葉を落とした木の下に、木の根元の影をけちらすように何株もの桜草と一面のわすれなぐさが咲きほこっていたというのに
(『空中の王国 九つの愛の物語』より『塔に住む魔術師』)

冬の最中に、桜草とわすれなぐさが咲いているなんて確かに異常なことです。けれども、恋に夢中でウキウキしているマティルダは、そのことには気がつきません。

自分の幸福が、新しい季節、マティルダの季節を創り出したんだと考えます。

「桜草とわすれなぐさはわたしのものだわ、だってわたしが幸せだから、空気も暖かくなったし、地面も柔らかくなって咲けるようになったんですもの」
(『空中の王国 九つの愛の物語』より『塔に住む魔術師』)

マティルダは、桜草とわすれなぐさを摘み、さらに幸福な気持ちで家へと急ぎます。

ところで、家への帰り道の途中には、魔術師の塔がありました。

魔術師の塔は、マティルダが住んでいる村ができるよりもずっと前からそこにあった古い塔で、そこには、いつでも魔術師が住んでいます。

けれども、肝心の魔術師の姿を見た者は誰1人いません。塔の扉はいつだって固く閉まっていたからです。

ところが、桜草とわすれなぐさを持ち、幸福な気持ちで歩いていた帰り道、マティルダは、魔術師の塔の扉が開いているのに気がつきました。

マティルダはドキドキしますが、魔術師に花をあげようと思いつき、おそるおそる塔の中に踏み込みます。

不思議な絵がかかっているらせん階段を上へ、上へと上がっていくと、てっぺんの部屋に魔術師がいました。

そこは塔のてっぺんとはとても思えないような広い広い空間で、部屋というよりは大きな洞穴のような場所でした。無数のろうそくが揺れており、そのろうそくの灯りで魔術師は、絵を描いていたのです。

これ以降、マティルダは、まるで魔術師に魔法をかけられたかのように、足しげく魔術師の塔に通うようになりました。

塔の世界はマティルダの内面世界

光に浮かび上がる分厚い本
塔のてっぺんはマティルダが訪れるたびに、深い森になっていたり、広い草原になっていたり、あるいは海になっていたりします。

そこで、魔術師は、森の中の鳥になっていたり、草原の馬になっていたり、海の魚になっていたりするのです。

そんな魔術師の塔に行くのは恐ろしいとマティルダは思うのです。

一方、どうしたって、魔術師の塔に行かずにはいられません。

マティルダは毎日塔へ行くようになった。そして毎日何かを持っていったーカタツムリの殻、苔と小さなシダの生えた木の実の殻など。階段の上で彼女を迎えるのは海岸のことも、砂漠のことも、山の頂上のことも、雪と氷の野原のこともあったが、魔術師はいつもそこにいて、マティルダが持ってきたものは何でも受け取り、それを変化させた。魔術師のところへ持っていってからというもの、パンは二度と昔のパンにはもどらなかった。パンを一切れ切るごとに、マティルダはゆっくりとした麦の生長、実の成熟、麦の上に降った雨、照った太陽を感じるようになった。マティルダ自身がパンになり、アーチ形をしたパンの皮の屋根の下に宿るよい精霊のように、少しのあいだパンのなかに生きたのだ。
(『空中の王国 九つの愛の物語』より『塔に住む魔術師』)

魔術師は、マティルダに「変化の書」という本を渡し、魔術師が塔の中で行っていることについて、このように語ります。

「わたしたち(魔術師)は世界について考えるのだ。そして、しばらくすると今度は世界そのものになる、あんたが見たようにね。わたしたちは鳥のなかに、泥のなかにはいり、馬のなか、アザミのなか、蛍のなかにはいっていく。わたしたちは石になり、蜘蛛の巣になり、海の波になる。何度も何度もくりかえし生まれては、また朽ちていくのだ」
(『空中の王国 九つの愛の物語』より『塔の住む魔術師』)

マティルダは、魔術師にもらった「変化の書」を読むのは怖いような気がしましたが、それでも読まずにはいられませんでした。

そして、それを読み続けるうちに、マティルダ自身、いろいろなものに変化していく不思議な体験をしはじめたのです。

マティルダは自分が地面に埋もれている種であるかのように感じはじめた。彼女もまた、種とともにぽんとはじけ、下に向かって曲がっていく白い根と、上に向かって伸びていく薄緑の芽を解き放った。そして彼女もまた、初めての葉、盲目の双葉を、両手のようにさしあげたのだ。マティルダは小さな卵になり、這いまわる貪欲な毛虫になり、宝石をちりばめたさなぎに、そして蝶になった。
(『空中の王国 九つの愛の物語』より『塔に住む魔術師』)

「変化の書」を読んでから、マティルダはまわりの世界を今までとは違うように感じ始めます。

マティルダのまわりの人びとは、ろうそくの炎に飛びこんで死ぬ蛾のように、一瞬きらめいては色あせて消えるようになった。塔の外の世界では、何もかもが彼女の目の前が変化をくりひろげはじめた。裸の木々に花が咲き、一面に葉をつけ、緑の果実をたわわに実らせる。果実は熟し、落ち、葉は金色に変わって、これもまた落ち、水のように地面にしみこむと、木は再び裸になった。
(『空中の王国 九つの愛の物語』より『塔に住む魔術師』)

マティルダは、「変化の書」を何度も何度も読みこみます。もうそうせずにはいられなくなってしまったのです。

そこに書かれていたことは、こんなことでした。

すべては変化する、とそれには書いてあった。人も植物も動物も、生まれては死に、腐敗という魔法の力によってぼろぼろに崩れさっていき、山も風雨にさらされていつかはその形を失い、月も冷たくなり、星はそれ自身の上におちこんで、つぶれ、ひしゃげ、空無と化す。

タト・ワム・アシー

広がる宇宙のような空間
すべては変化するということは、『ヨガ・スートラ』でも言っていますよね。

この世界のすべてのものは変化するのです。変化しないものはありません。

人も植物も動物も、山も、月も、星も、どんなものだって絶えず変化するのです。

けれども、たった1つ変わらない永遠のものがあると「ヨガ・スートラ」では語られています。

決して変わらない永遠のものとは、ヨガで言えば、プルシャです。

プルシャは、世界の全てのものの中に存在しています。

人の中にも、植物の中にも、動物の中にも、山の中にも、月の中にも、星の中にも、世界の生きとし生けるすべてのものの中に存在しているものです。

ですから、本当のことを言うと、変化し続けているのは上っ面だけなのです。

人や、植物や、動物や…世界の生きとし生けるすべての中に存在するプルシャだけは、いつの時代にも、決して変わることはありません。

だって、プルシャというものは、決して変わらない永遠のものなのですから。

マティルダも、植物も、動物も、この世界のすべては何もかも永遠のプルシャです。

ですから、マティルダは、植物であり、動物であり、種であり、パンであり、石であるといえるのです。

なぜって、全てのものは、同じプルシャなのですから。

マティルダが、自分が種そのものになったように感じたり、蝶になったように感じたりしていたのは、自分が種であり、蝶であるという真理を会得していたからではないでしょうか?

他者=自分=プルシャという真理の会得は、古代インド語で「タト・ワム・アシー」と呼ばれ、ヨガでも悟りを開くための重要な道筋と言われています。

彼女がその真理をつかむことができたのは、塔の扉という瞑想世界の扉を開いて中に入り、魔術師というグルに教わりつつ、瞑想世界の探求を続けていったからこそでしょう。

とうとうある日、マティルダは塔の魔術師になります。

彼女のグルであった魔術師は、次のステップへと旅立っていき、マティルダは塔の中で1人、世界について考え続けます。

マティルダは鳥のように考え、空高く飛翔した。石のように考え、世界の胸の下の黙した心臓のようにじっと横たわった。(略)彼女は葉のように考え、太陽の光をその緑の細胞にとらえた。暴風雨と嵐が塔のまわりで黒いライオンの群れのように荒れくるった時も、マティルダは夏のように考え、金色になった。
(『空中の王国 九つの愛の物語』より『魔術師の塔』)

魔術師となったマティルダの瞑想世界の探求は、これからまだまだ続いていくのでしょう。

『塔に住む魔術師』は、詩を読んでいるような美しさがあります。

難しいことはさておき、とにかく、マーヒーの作品の美しさと魅力にどっぷりハマってみて下さい。

著 マーガレット・マーヒー 訳 青木由紀子 『空中の王国 九つの愛の物語』岩波書店(1994年)