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みなさんは、どうしてヨガを始めたか覚えていますか?
健康のために。友達に誘われて。たまたまジムに入っていて。
様々な理由でヨガに出会った人がいると思いますが、今もヨガを続けているのであればそれにも何か理由があるのではないでしょうか。
今では世界中でヨガが実践されていて、異なる国籍、文化背景、宗教観を持った人がヨガを行っています。
価値観が異なる人であってもヨガに魅了されるのはどうしてなのでしょうか。
このように、ヨガの目的について考えることも、ヨガの一部です。
知識のヨガと呼ばれるギャーナ・ヨガで、ヨガの目的について考えてみましょう。
ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)とは
ヨガとは、ストレッチのようなポーズを行うことだと思って始める人はとても多いのですが、実はそれだけがヨガではありません。
ヨガには様々な種類があり、その中の1つに『ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)』と呼ばれるものがあります。サンスクリット語読みでにジニャーナ・ヨーガと表記されることも多いです。
知識のヨガ、つまり勉強することがヨガになると聞いてもピンとこないかもしれません。
しかし、古い経典の中でも、知識のヨガと実践のヨガは同等のものであることが書かれています。
賢者はサーンキャ(哲学)によって得られるものはヨガ(実践)によっても得られると考え、サーンキャとヨガを等しくとらえる者は真実を見る。(バガヴァッド・ギーター5章5節)
ここで書かれているヨガとは、アーサナ(ポーズ)の練習をしたり、プラーナーヤーマ(調気法)で呼吸をコントロールしたり、瞑想を行うような、現代でも行われているヨガです。
それに対してサーンキャ(哲学)では、古い教典を勉強し、理解しようとします。
この全く別物に見える2つのアプローチは、実は同じ目的を持っています。それは、自分の本質を知るということです。
自分の本質と言われてもピンとこないかもしれませんね。もう少し深く考えてみましょう。
ヨガの練習を哲学する
哲学とは、教科書を読んで古代の知識を暗記することではありません。
物事の本質について深く考えることです。
ヨガ哲学であれば、ヨガの練習の先にあることを探究して、深めていくことがヨガ哲学をしていることになります。
もちろん理解を深めるためにヨガ哲学の用語を知っていると役に立ちますが、大切なことは自分自身で考えて本質を理解しようとすることです。
まずは、ヨガをする目的から考えてみましょう。
ヨガの目的を深めてみる
ヨガに関わらず、何かをするときに「どうして私はこれをしたいのだろう?」と考えることはとても大切です。そこから自分自身への理解が深まります。
例えば「健康になりたい」と思った時に、自分が考える健康な状態が見えてきます。
最初は「肩こりがひどいから」「腰痛をなんとかしたい」「猫背を治したい」とピンポイントな目標があるかもしれません。ヨガを練習した結果、悩んでいた腰痛が改善されることもあるでしょう。
しかし、ヨガのクラスの直後だけスッキリして、1週間経つとまた元通りなのであれば、ヨガをしていない1週間について考えなくてはいけません。
仕事をしている時の姿勢が悪いのではないか、全く動かずに同じ姿勢で何時間も働いていないか、不調の本当の原因が見えてきますね。
そして、解決策もいくつか思い付きます。1週間に1回のクラスだと改善しないのであれば、週に2回ヨガ教室に行こうと考える人もいます。
そもそも、腰痛になりにくい姿勢で仕事をしようと考える人もいるでしょう。または、長時間残業する働き方を見直す人もいるかもしれません。
こうやって、自分の健康とは何か、健康になるためには何が必要なのかをじっくり考えることも哲学の始まりです。
もっと深く自分に向き合う
例えば腰痛の原因が分かって、少しずつ筋力をつけて姿勢改善をすると、もっと先が見えてきます。
それは自分の生き方の見直しです。
姿勢を何時間も気をつけるというのは、簡単なことではありません。
今までの楽で歪んだ姿勢に戻りたい、怠けたい気持ちは頻繁に訪れると思いますが、そこで「私は楽をすることを捨てて、自分の習慣を変えたい」という決意が必要です。
この決断をするときに、自分の本当に求めるものが見えてきます。
自分は身体を大切にしたいから、そのために強い意志を持って努力して生きよう。という生き方の選択に繋がります。
または、自分はそこそこちゃんとしたいけれど、たまには楽をしたい。厳しすぎるのは窮屈だから、なんでも程々にと選択するのも1つの生き方です。
人によっては、「私は今の楽しみが1番大切!」と考えるでしょう。
自分でする努力は大変だから、お金を使って整体に行く、それも自分自身で決めたことであれば、その人にとっての選択です。
腰痛に対してどうアプローチするのか、たったそれだけの選択にも生き方が現れます。
この選択を普通は無意識に行います。
普段は無意識に一瞬で決断することを冷静に見返すだけで、自分の人間性が見えてきます。
ヨガ哲学は、普段無意識だったことを客観的に深掘りして考えることです。
すると、日常の小さな選択の積み重ねが自分の人生を作っていることに気がつくことができます。
ヨガ哲学で見つけるのは本当の自分
自分自身の選択について真剣に向き合うことは簡単ではありません。
自分で選択していることを認識すると、全ての責任は自分にある事に気が付きます。
本当の自分とは何か?頭の中で考えているだけではなかなか見えてきません。
例えば本を読んだり、SNS をみたりして他人の価値観に影響を受けている時には、人を羨ましがっているだけで、自分自身が見えていません。
自分は実際に行動を行う日常生活の中でこそ見えてきます。
だからこそ、ヨガでは必ず実践と哲学の両方が必要です。
アーサナ(ポーズ)を練習している時は自分を見つめるとてもいい練習です。
難しいポーズで「自分を限界までチャレンジしたい」と思うのか「そんなに頑張りたくない」と思うのか。
頑張って挑戦したいと思ったのであれば、それはどうしてなのでしょうか?そこにも個性が現れます。
「自分の壁を壊せるようになりたい」という人もいれば、「周りの人よりも出来ない自分が許せない」という人もいます。
「周囲に取り残されるのが怖い」と感じる人もいれば、「なんでも目標が高い方がワクワクする」という人もいます。
同じようにチャレンジするのであっても、感じていることは本当に人それぞれですね。
それに気がつくことができると、ヨガの練習は身体的なものではないと見えてくるのではないでしょうか。
身体を使うポーズを通して、自分自身の内面に向き合います。
自分を見つめて生き方を見つけるギャーナ・ヨガ
このように、ギャーナ・ヨガでは、身近なところから自分を見つめ直して、どんどん深い自分の本質を探していきます。
難しそうに見えるヨガ哲学の理論も、瞑想の目的も、全て自分探求の先にあるものです。
そしてそれは、文化や宗教に捉われない本当の自分探しです。
自分自身で答えに詰まった時には、古代のヨガの先生たちが解いてくれた言葉がヒントになります。
それが、ヨガの教典と呼ばれる『バガヴァッド・ギーター』や『ヨガ・スートラ』です。
古い教典を読むためにはサンスクリット語のヨガ用語も必要になってきますが、すでに考える土台ができていれば、理解しやすくなっているはずです。
自分の快適さを探すために、ヨガ哲学的に物事を考える習慣が身につくといいですね。