手のひらを向けて断りを表す女性の手元

アヒムサー(非暴力)出来ていますか?シーン別で考えるヨガ哲学

アヒムサー(非暴力)はヨガの教えの中でも特に有名なものです。

『ヨガ・スートラ』という教典に書かれる5つのヤマ(やめるべきこと)の最初に書かれています。

アヒムサーの実践は、単純に他者を叩いたり殺したりすることを禁止するわけではなく、精神的に攻撃することも良くないと考えられています。

日常の様々な場面でアヒムサー(非暴力)が守れているか考えてみましょう。

アヒムサーの基本的な教え


ヨガ・スートラにはアヒムサーについて下記のように紹介されています。

暴力などの妄想には、すでに実行したもの、実行させられたもの、甘んじて承認したものなどの区別があり、貪(貪り)、怒り、愚かさに基づいて温和、中位、最上位の段階があり、尽きることのない苦とむちという結果をもたらす。(ヨガ・スートラ2章34節より)

アヒムサーと言うと、とにかく暴力的なことは良くないと簡単に考えがちですが、「何が暴力か」と考えるのは簡単なことではありません。

ヨガ・スートラの言葉を見ても、3種類のパターンがあることに気が付きます。

      自分自身が実行した暴力
      人に実行させられたもの
      人が行う暴力を容認したもの

より具体的に考えるために、学校でのいじめを例にしてみましょう。

1番目は、自分自身が率先してクラスメイトをいじめることです。誰が考えても良くない暴力ですね。

悩むのが残りの2つです。

2番目は、いじめっ子に「あいつを無視しないと、お前のこともいじめてやる」と言われて、自分もいじめに加担させられてしまう状態です。

ここで、自己防衛で仕方なく実行した場合も、暴力に入ってしまいます。

3番目は、自分自身はいじめをしていなくても、「あの子がいじめの対象になっている間は自分は安全」だと思い、人の行う暴力を甘んじて容認している状態です。

自分が望んでいなくても、無意識の暴力は生まれてしまいます。

自分が望んでいない暴力であっても、心の中にはモヤモヤとした不純性が蓄積されます。

幸せに快適に過ごすためにも、無意識の暴力はできる限り減らしたいですね。

日常シーンのアヒムサー

次は、日常のシーンでのアヒムサーについて具体的に考えてみましょう。

ダラダラ夜更かしがやめられない


朝が来るのがもったいなくて、毎晩ついつい夜更かししてしまう人は結構いるかもしれません。

特に有意義なことをしているわけでもなく、テレビやスマートフォンで時間を過ごしていたら遅くなってしまったという経験は誰にでもあると思います。

ストレスが溜まった時には、何も考えないでダラダラとするのが1番嬉しいと感じることもあるでしょう。無理に有意義な趣味を持つ必要もありませんが、問題なのは睡眠時間が削られてしまうことです。

睡眠時間を削ることは、身体的にも精神的にも、大きな負債となってしまいます。5時間睡眠でもなんとか大丈夫だと思っていても、蓄積された疲労は確実に自分を苦しめています。

ちゃんと時間を決めて、しっかりと睡眠をとるというのも大切なアヒムサーの実践です。

嗜好品が自分を傷つけているかも


自分にご褒美のつもりが、自分を傷つけてしまうことはとても多いです。

分かり易いのはタバコなどの嗜好品です。自分のストレスを取り除くためにと、自分のための嗜好品であるのに関わらず、自分自身を傷つけているのは本当に悲しいことですね。

アルコールを飲む時も同じです。自分の心は「美味しいワイン」と思い込んでいても、飲む瞬間の顔の筋肉は緊張して、無意識に一瞬渋い顔になりませんか。それは、体か「これは毒だ」と認識して警戒しているからです。

沢山飲むようになると感覚が失われてその反応も弱まります。

1週間でもアルコールを避けてみると、久しぶりに飲むアルコールへの反応が顕著に現れるので感じられます。

他人の不幸が蜜の味

直接的に誰かを攻撃していなくても、他人の不幸が蜜の味になってしまっていることは実は結構あります。

特に相手が自分にとって敵対する相手だったりすると顕著です。

例えば、自分のところに来てくれていた生徒さんが、近所にできた安いヨガ教室に行くようになってしまうと、悲しくなりますよね。

「あんなに安く提供しているのだから、品質は良くないに決まっている」「きっと経営が上手くいかなくなってしまうに違いない」と妬みが生まれてしまいます。

数ヶ月後に良くない評判が広がって生徒さんたちが戻ってきたら「ほらやっぱり!」と喜んでしまうでしょう。

私の立場から見たら間違ったことをしている相手でも、私と同じように精一杯生きていることを知っていれば、他人の失敗を喜ぶことは起こりませんね。

嫌なことを嫌だと言えない


自分の意見を言ったら嫌われてしまうのではないかと極度に恐れて、嫌なことを嫌だと言えないのも自分に対する暴力になってしまいます。

疲れるだけで好きでもないグループの集まりを断れない、面倒な仕事を断れない、上司が好意で勧めてくれるお酒を断れない、そんな場面は誰にでもあると思います。

多くの場合は「人に嫌われるのが怖い」と思って我慢をしてしまいますが、自分のことを大切に出来ない人のことを、他人が大切にしてくれることはあまりありません。

まずは自分自身が自分を大切に、意見に耳を傾けてあげることが大切です。

ファストファッションの洋服を買い漁る


最近はファストファッションと呼ばれる安価な衣服を売るブランドも、サステナブルなコンセプトの商品を売り出すことが増えてきました。

だからと言って、安価な商品を大量に買って、短いスパンで廃棄することはアヒムサーに反してしまいます。

例え材料をリサイクルしたとしても、何かを壊して作り直すためには貴重な資源を浪費しています。また、安価で販売できる商品を作るためには、不当に安い賃金で働く労働者が必要です。

私たちが手にするものが、作ってくれた人たちの犠牲に成り立っていると考えると恐ろしいですね。

ちゃんと良いと思えたお気に入りの物を、大切に何年も着てあげることもアヒムサーの一環なのかもしれません。

不機嫌になって相手を無視する

身近な人の言動にイライラしてしまったとき、「どうせ言っても理解できない」と思って長時間無視を続けるのも静かなアヒムサーですね。

相手が本当に鈍感で気が付かないことも稀にありますが、大概私たちの心の中では「どうして私が無視をしているのか悩んで、もっと苦しめばいい」と思ってしまっています。

相手を殴るような暴力をしたり、汚い言葉を言ったりしなければ良いと思って、無言の暴力をしてしまうことは多々あります。

例えば、大きな高圧的な音を出して激しくドアを閉めて部屋を出て行ったら、相手は不安になってしまいますね。

こう言ったとき、自分の感情を無視して良い人でいることも、自分に対する暴力になってしまいます。

しかし、相手に傷ついて欲しいという暴力的な思考は何も良い結果を生み出しません。

一旦感情が静まるまで、1人になって心を整理する時間を取ることも大切かもしれません。

日常の中でアヒムサーを考える

人は生きている限り、誰も傷つけずに生活することはできません。

極端なことを言ってしまえば、野菜を育てて食べているだけでも、植物や元々その土地で生活していた他の生命を傷つけています。

しかし、できるだけ苦しみを生み出さないようにしようと心がけることがアヒムサーの実践に繋がり、心の浄化となります。

日常生活では無意識の暴力が沢山あります。自分に対しても、人に対しても、できる限り優しく生きられるようになりたいですね。

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