みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、解剖学者であり発生学者である三木茂夫さんの『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』を取り上げたいと思います。
この本は、進化の観点から、呼吸や胎児、生命記憶について深く考察した本です。私達の祖先はさかのぼれば魚につながっていくのは誰もがご存じだと思います。ところが、その魚の呼吸と、私達人間の呼吸の驚くべきつながりについては、ご存じないのではないでしょうか?
どうやら、魚から人間に進化していく過程で起った現象が、私達人間の呼吸に大きく関係しているらしいのです。
というわけで今回は、その謎について皆さんにご紹介し、呼吸とヨガについて改めて深く考えていきたいと思います。
太古の地球とのつながりを教えてくれる三木茂夫さん
作者の三木茂夫さんは、1925年12月24日生まれ。香川県の出身です。
生前に出版されたのは、『胎児の記憶』と『内臓のはたらきと子どものこころ』の2冊だけですが、彼の死後、次々に遺稿が出版されました。
『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』の本もまた、三木さんの講演会を書き起こしたものや、新聞や雑誌に掲載した文章をまとめたものです。
私たちの祖先はかつて魚であった。もっとさかのぼれば、海から生まれた目に見えないくらいの小さなプランクトンだった……ということは誰もが知っていることですが、三木さんの本を読むと、私たちの身体は全て太古の地球と深くつながっているのだということを心から実感できます。
それでは、早速、本の内容をくわしく見ていきましょう。
ヒトはなぜ、呼吸がヘタなのか?
私たちは普段、何気なく呼吸をしています。三木さんは、私たちが何となくしている呼吸について、進化の観点から考察しています。はじめに三木さんが語るのは、魚のエラ呼吸とヒトの呼吸との違いです。
首のつけ根に並んだ数条のするどい裂け目(エラ裂)がいっせいに「パクッパクッパクッ…」と、その口を閉じては開き、閉じては開き、冷酷なほどの落ち着いたペースで、なにものにも動じることなくその呼吸がつづけられてゆくのである。
『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』
魚たちのエラ呼吸はとても安定していると三木さんは言うのです。エラ呼吸は、冷酷なほど落ち着いたペースで行われており、それが乱れることはまずありません。それに比べて私たちヒトの呼吸は魚のように安定はしていません。
(ヒトの呼吸は)エラ呼吸にくらべてはなはだ変化にとむ。一方では、胸式呼吸、腹式呼吸から、鼻翼呼吸にいたるまで、さまざまの呼び名があったり、他方では青息吐息や赤い気焔など、色とりどりの息が吐き出されたり、さらには息を殺し、息をつめ、やがてホッとため息をつく……
『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』
なぜ、このような違いがあるのでしょうか。
太古の昔、古生代から中生代にかけて、今まで海で暮らしてきた動物たちの中に陸上を目指すものが現れました。陸上で暮らすことに決めた動物たちの身体は、実に長い年月をかけて進化していきました。今まで海の中で使っていたエラの代わりに肺ができ、肺呼吸をするようになったのです。
エラを動かしていた筋肉は「内臓筋」と呼ばれる筋肉です。「内臓筋」は、心臓や内臓などを動かしている筋肉で、疲れることなく昼夜を問わず動き続けます。魚のエラは、疲れ知らずの「内臓筋」が動かしてくれているからエラ呼吸には乱れがないのですね。
ところが海から上陸を果たした時に、エラは使われなくなってしまいました。仕事がなくなったエラの筋肉は、顔面からノドに広がる筋肉に……嚥下、表情、発声などを司る筋肉に変身しました。私たちの表情を動かしている筋肉は、もともとはエラを動かしていた筋肉だったのですね。
一方、肺を動かすためには魚の胸の部分にあたる筋肉が使われることになりました。ところがその胸の筋肉は、魚たちが敵から逃げたり泳いだりする時に使っていた「骨格筋」と呼ばれる筋肉でした。それは、すばやく動くことは得意ですが疲れやすい筋肉です。夜は眠らなくてはなりません。そんな疲れやすい筋肉が、呼吸を司る筋肉になってしまったわけです。
考えて見れば私達の祖先は、大変な危険を冒して陸上に上ったのです。
このように陸上動物の呼吸は危ない橋を渡っています。うっかりしていたら、外の身体の筋肉と一緒に寝てしまうことにもなりかねません。そういうことがないのは、じつは延髄が頑張っているからです。呼吸筋を寝かさないように叩き起こしているのです。
『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』
私たちの肺を動かしている筋肉は、延髄に叩き起こされながら無理やり動いているのですね。それだから私たちの呼吸は乱れやすく、無呼吸症候群なんて病気にもかかったりするわけです。
息詰まりと息切れ
三木さんは上陸してからの動物たちの呼吸について、こんな風に言っています。
上陸してからの動物は、呼吸の営みを一種の十字架として背負いながら、大げさにいえば息もたえだえの生活をつづけてきたことが想像されるのです。
『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』
もちろん、両生類やハ虫類、鳥類や哺乳類などに進化していく長い年月の過程の中で、さらなる進化がなかったわけではありません。哺乳類になると、胸の底に一枚の筋肉が張り巡らされるようになりました。「横隔膜」です。この「横隔膜」は吸うための専用の筋肉でした。
吐くための専用の筋肉は哺乳類にはいまだに備わっていません。ですから「吸うは易く吐くは難し」ということになってしまったのです。
吸ってばかりいて吐くことを忘れているので、肺はしだいに空気が詰ってくる。不慣れな仕事をする時はもちろん、いわゆるハラハラし通しの時なぞ、それだけ息をのみ続けるので、肺はタイヤのようにパンパンになるのです。それだけではない。たんにそうした無理難題を頭に浮かべただけで息は詰りはじめ結局最後は大きなため息をつく
『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』
あるいは「横隔膜」があるとはいえ、人は時には吸うこともままならず息切れ状態になっていることもあると三木さんは言います。
大事な仕事をまかされたような時は、思わず息を凝らしています。どうやら緊張のあまり息を止めたままでいるようですが、それも吸った状態で止めている時とか、反対に吐ききったところで止めている時とか、あるいはその途中で、それも吸いながら、また吐きながら止めている時とか、いろいろあるわけです。(略)
しかし、こうした不規則な呼吸も、よく見ると、時にはそれすら満足にできていないことがある。いわゆる呼吸が浅いのです。あるかなきかの呼吸が途切れ途切れにつづいて、時にはほとんど止まったまま、かなりの時間がたつというのに本人はそのことに気がついていない。まるで息をすることを知らぬ間に放棄してしまったかのように……。そこではですから、一種の慢性呼吸不全の、いわば酸欠状態が静かに進行してゆくことになる。いわゆる大息をつくというのは、まさにこの時です。
『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』
この息詰まりや息切れの状態が慢性的に起こるようになると、酸素が十分に身体にいきわたらなくなって、慢性的なだるさに襲われたり肩こりがひどくなったり、頭痛やめまいが起ったり風邪をひきやすくなったりとありとあらゆる不調に見舞われてしまうわけです。
太古の知恵
このような科学的な事実を知ってか知らずか、約6,000年以上の歴史を持つヨガでは昔から呼吸法が非常に大切だと言われてきました。
呼吸を整えることで身体が整うのはもちろんですが、心もまた穏やかに落ち着きます。人の脳の中にある「扁桃体」という部分は、呼吸と感情と両方を司っています。そのため呼吸と感情は意外にもつながっているのです。
先程の引用の部分にも書かれていましたが、人は緊張すると思わず息を詰めています。また、とても怒った時には、無意識に息を吸いすぎて吐くことを忘れてしまっています。同様に、ストレスがかかっている時にも呼吸は浅くなっています。
ですからヨガでは、呼吸を整えることを大切にします。呼吸を整える事で、身体はもちろん心も整っていくからです。特に息を吐くことが大切だと言われるのは、息を吐くと副交感神経が優位になり、リラックスができるからなのです。
呼吸を整えるということを、大昔のインドの人は大切に思い、それを伝えて広めました。それがヨガの呼吸法につながっていったのです。
現代では、『ヨガ・スートラ』の中身はよく知らなくても、ヨガの呼吸法は実践したことがあるという方が多いのではないでしょうか。日本のヨガ教室でも必ず、呼吸法を行いますよね。呼吸法は、時代を超え国を超えて人々の間に広まっているのです。
三木さんの本を読んでいると、人間にとって呼吸法を実践することがとても大切だということがよくわかります。人間は、すぐに息詰まりや息切れを起こしてしまう生き物なのです。だから、古代の人々は、呼吸法を編み出しました。そうして、意識的に呼吸を安定させたのです。
魚は意識しなくても安定した呼吸ができますが、陸に上がった生き物はその力を失ってしまったのですから。
この本を読むと、人間は魚から進化してきた生き物で、海を泳いでいるあの魚たちと驚くほど深くつながっているのだということがとてもよくわかります。
まだまだ『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』を語りつくせていないので、次回も引き続き取り上げていこうと思います。