みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、『街路樹は問いかける 温暖化に負けない<緑>のインフラ』を取り上げたいと思います。
この本を知ったのは、私が住んでいる神戸市北区桂木で樹木の伐採問題が持ち上がったことがきっかけでした。
ページをめくるにつれ見えてきたのは、日本が抱えている街路樹の深刻な問題です。それを知ることは、実にヨガ的な体験でした。
というわけで、今回は『街路樹は問いかける 温暖化に負けない<緑>のインフラ』を取り上げたいと思います。
なぜ、私が公園樹や街路樹に注目するようになったのか?
本の紹介の前に、なぜ、私が公園樹や街路樹に注目するようになったのか、その理由をお話したいと思います。
私が住んでいる神戸市北区桂木には、緑道と呼ばれている遊歩道があります。ケヤキやクスノキ、アベマキやカツラなどの樹木が生い茂る遊歩道で、町の真ん中を通っているために多くの住民が散歩道として利用しています。また住民だけでなく、隣町に住んでいる方なども頻繁にこの緑道を利用しています。緑道は、小学校や中学校の子ども達の通学路にもなっており、放課後には多くの子ども達が、緑道の真ん中に位置する公園で賑やかに遊んでいます。桂木住民にとっての生活の中心、住民同士の出会いの場が緑道です。住民が、桂木に愛着を持つ大きな理由の一つがこの緑道であり、この緑道があるからこそ桂木に住んでいるという方も多くいらっしゃいます。
ところが、この緑道の樹木31本に突如、黄色いテープが巻かれたのです。聞くところによると、黄色いテープが巻かれた樹木は、近いうちに伐採予定だということでした。根元からバッサリと切られ、切り株だけになってしまうというのです。しかも、伐採対象とされているのは、非常に大きくて立派に育っている木々ばかりです。大きくて立派な樹木が31本も切り株になってしまったら、緑道の景観はめちゃくちゃです。私を含めた近所の多くの方が驚きに包まれ、伐採反対運動が展開しました。
伐採反対運動をする中で、この問題は決して桂木だけの問題ではなく、日本全国で同じような問題が起こっていることを知りました。私達と同じように、近所の公園樹や街路樹を守るために伐採反対運動を展開している方々が、日本全国にたくさんいらっしゃったのです。
こうした運動をするうちに、私は『街路樹は問いかける 温暖化に負けない<緑>のインフラ』の本の存在を知り、早速、読んでみたのです。
日本の抱える街路樹問題
そこには、全く知らなかったことばかり書かれていました。
例えば、日本では大きく立派に育ったケヤキなどの街路樹を伐採し、代わりにあまり大きく成長しないハナミズキなどに植え替える例が非常に増えていると書かれていました。
これと全く同じことが、私の住んでいる桂木でも起こっています。神戸市北区の建設事務所は、桂木の緑道の樹木31本を伐採した後にハナミズキなどを数本植えると公表しているのです。大きく立派な樹木を伐採して、あまり大きく成長しないハナミズキに植え替える取り組みが、まさしく、私の町でも起ころうとしているのです。
しかしながら、この本によると、このような取り組みを行っているのは日本だけ。世界では全く真逆の取り組みが行われているのです。
街路樹には、多くの素晴らしい効能があります。
例えば、大きく立派な街路樹は、大きな木陰を作ります。夏場、その木陰がどんなに救いになるか、身に覚えのある方も多いのではないでしょうか。夏場の路面温度は50℃を超えるそうですが、木陰の下の路面は20℃も低いという実験結果もあります。近年深刻になっている温暖化現象を緩和するためにも、街路樹は重要な役割を果たしてくれているのです。
アメリカやヨーロッパ、オーストラリア、中国などでは、温暖化緩和のために街路樹は非常に重要だとして、健全な樹木を街中に増やす取り組みが国をあげて行われています。その中で、アメリカやヨーロッパの各国が特に重要視しているのは、「樹冠被覆率」です。
「樹冠被覆率」なんて、日本では耳慣れない言葉ですよね。それもそのはず。日本では、ほとんど使われていない言葉です。「樹冠被覆率」とは、上空から見た時に、どれだけの緑が町を覆っているかということを表す数値なんだそうです。つまり、ハナミズキなどの小さな木よりも、ケヤキなどの大きく枝を広げる樹木の方が、町の「樹冠被覆率」を向上させるために役立つというわけですね。
「樹冠被覆率」が高くなればなるほど、温暖化対策に効果的になります。そのため世界各国では「樹冠被覆率」を向上させるために、様々な取り組みが真剣に行われているのです。
大木をどんどん伐採して切り株にしてしまい、小さなハナミズキを植える取り組みを行っている日本は、「樹冠被覆率」をどんどん下げているわけですよね。
先進国の対応と全く違います!
なぜ日本は、町の樹木を育成しないのか?
ではなぜ日本は、世界の先進都市と違って「樹冠被覆率」を向上させようとしていないのでしょうか?その原因に迫る前に、この本では日本における街路樹の歴史を説明していますので、ここでもごく簡単に紹介したいと思います。
日本の近代街路樹の始まりは、1867年。幕末の横浜開港にともない、横浜の馬車道にヤナギやマツが植えられています。明治や大正に入ると、東京の銀座や明治神宮の表参道、神宮外苑などに、ヤナギやケヤキ、イチョウなどが植えられるようになりました。都市景観も重要な国家目標とされた時代、街路樹も近代化への歩みの一部であったのです。
太平洋戦争で多くの樹木が壊滅してしまいましたが、戦後の都市を再生していく中で、日本全国に街路樹や公園樹が植えられました。戦災復興への決意は、明治維新による近代国家建設への決意とも通じるものがあったのでしょう。明治、大正、昭和にかけて、街路樹や公園樹は、都市形成の重要な構成要素として位置づけられ、美しい樹形を保つための確かな管理技術も継承されていきました。
ところが、せっかく緑豊かな都市が実現したのに、緑化事業は劣化してしまいます。戦後、町に緑を増やし、再生させようと努力を重ねてきた先人たちの技術が、うまく引き継がれなかったのです。その原因は、町が緑豊かになって復興したことで危機意識が低下し、使命感が薄れたのではないかと、この本には書かれています。その結果、戦後は美しい樹形を保ち、健全に育つように枝を切って手入れされていた街路樹が、東京オリンピックを終えたあたりから、切り詰め剪定をされるようになっていきました。
みなさんは、街路樹の枝がばっさりと切られ、鉛筆のような姿になっている様子を目にしたことがないでしょうか?私の住んでいる町の街路樹は今ちょうど切り詰め剪定をされ、1本の鉛筆のような哀れな姿になってしまっています。
切り詰め剪定をされた木は、光合成ができず弱ってしまい、病気になってしまいます。だからアメリカなどの世界各国では、決して切り詰め剪定は行われていません。ですが日本では、管理技術がうまく継承されなかったために、切り詰め剪定が一般化してしまったのです。
しかし「杜の都」と呼ばれる仙台市は、街路樹管理の劣化に危機感を抱き、技術継承の在り方を見直しました。そして、街路樹管理の講習会などで木の枝の正しい剪定の方法や管理方法を伝えていったのです。そうした努力の甲斐があって、仙台市では建設事務所の職員自らが木に登り、剪定ができるようにまでなりました。仙台市の青葉通りのケヤキ並木は枝を広げ、見事ですよね。樹木を健全に育てる技術が継承されている証でしょう。
おそらく、神戸市も含めた他の多くの建設事務所の職員は、自ら木の剪定が出来るほど樹木のことを学んでいないのではないかと思われます。神戸市の建設事務所の方とお話をして、私はそう感じました。
立ち現れた街路樹の世界
身近で伐採問題が起こるまでは、緑道の樹木も街路樹もそこに当たり前に生えているものでした。どんな人が手入れしているのか、どのような問題を抱えているのか、緑道の樹木や街路樹がどのような効能をもたらしてくれているかということを真剣に考えたことは、全くなかったのです。ところが今回、身近で伐採問題が発生したことによって、そうした認識はガラリと変わりました。
町の樹木がそこに生えているのは、決して当たり前のことではありませんでした。丁寧に管理して育成していかなくては、すぐにも弱り、伐採され、切り株状態にされてしまうものだったのです。町に樹木がスクスクと育っている裏側には、それを管理している存在があったのです。
まさしく、街路樹の世界に目が見開かれたという感じです。ヨガ的に言えば、街路樹は当たり前に生えているものという縛りをほどかれて、街路樹の奥深い世界が見えてきたというところでしょうか。
そしてまた、街路樹が私の暮らしにとってどんなに大切かということが、街路樹の奥深い世界が見えてきて初めて身に染みて実感しました。
夏に犬の散歩をする時、私と犬は緑道の大きな木陰の下に走っていきます。木陰の下でないと、暑くてとても歩けないからです。木陰があるのは当たり前だと思っていましたが、そうではなかったのです。とても大切な場所だったのです。
また、樹木の葉は水分を放出するため、大きな樹木がそこにあるだけで周りの温度が下がるのだそうです。つまり、緑道の大きな樹木たちは、私達の住んでいる町の温度までも下げて、過ごしやすくしてくれていたのですね。
道路が冠水するような豪雨の時にも、街路樹は役立ちます。雨水を吸って、都市洪水を緩和してくれるのです。街路樹は集中豪雨からも、私達を守ってくれる存在なわけです。
身近で自然を感じることができるのも、町の樹木の大きな魅力です。大きな木々に鳥が巣を作る様子を楽しみ、セミが止まって鳴く声に耳を傾け、風が緑の葉を揺らす音を楽しむ……。そうした森林浴を身近で楽しむことができることは、ストレス社会の今、どんなに大切なことでしょう。
私は身近な街路樹が失われようとして初めて、そのことを知ったのです。
私の町の緑道の伐採計画を推進している建設事務所は、大きな樹木は、台風などで倒れてしまった時に人的や物的被害が大きくなるから、今のうちに伐採しなければならないと住民に説明しました。行政から「危険だから伐採します」と言われたら、そうなんだなと普通は思ってしまいますよね。けれども、この本にはこのように書いてあります。
人命と緑の選択を迫られれば人命であることは当然です。そのうえで、重要なのは「人命を守りつつ、いかに緑を育てるか」という姿勢であり、そのために行政は努力すべきであると、すでに50年前の豊岡市の青木助役が述べているのです。
地球温暖化がますます深刻化している今日では、街路樹を小さく切り詰めることもまた熱中症や集中豪雨などによる人命への大きなリスクとなります。アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどの先進都市ではすでにそのような考えのもとに街路樹の樹冠拡大への取り組みが始まっています。日本でも街路樹の枝葉を少しでも広げていくことが、景観のみならず人々の命を守るための喫緊の重要課題といえます。『街路樹は問いかける 温暖化に負けない<緑>のインフラ』
『ヨガ・スートラ』には、正知とは自分で見て自分自身で考えたことのみだと書いてあります。行政が、政府が、偉い人が、そう言ったからといって、決して鵜呑みにしてはいけないと。大事なことは、自分自身で見たり聞いたりしたことを、自分自身で考えて答えを出すことなのだと。
街路樹や公園樹の問題も、行政や政府の発言を鵜呑みにするのではなく、自分自身が正しいと思う答えを探すことが大切なのだなと、本当にそう感じます。
街路樹の問題だけではなく、今の日本や世界各国には、正知と向き合わなければならない問題が山積みです。それらを全てやることはとてもしんどいことですし、また難しいでしょう。
けれども、出来る限り、縛りをほどいて、世界を見つめること。
少しずつでもいいから、正知と向き合うこと。
そして、一人一人が必要な時には声をあげていくこと。
これらは、本当に大切なことなんだろうなと感じます。
みなさんも、身の周りの公園樹や遊歩道の樹木、街路樹を見つめてみて下さい。切り詰め剪定がされていないでしょうか。今にも、伐採されそうになっていないでしょうか。いつの間にか、切り株になっていないでしょうか。
そして、なぜそのようなことが起こったのかと少しでも疑問に思った方は、ぜひ『街路樹は問いかける 温暖化に負けない<緑>のインフラ』を開いてみて下さい!みなさんの疑問を解決する答えが、きっと、この本に書かれていると思います。