みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、『からすのパンやさん』や『だるまちゃんとてんぐちゃん』などの絵本作家であるかこさとしさんを取りあげたいと思います。
我が家にも『からすのパンやさん』シリーズや『だるまちゃん』シリーズはもちろんのこと、『マトリョーシカちゃん』や『あそびずかん』など、かこさとしさんの絵本が数多くあります。子どものころから大好きで、何度も何度も読みました。大人になった今でも、疲れた日には『あそびずかん』を広げて、温かくてかわいらしい絵にじーっと見入って癒されることもよくあります。
……と、私が紹介するまでもなく、彼の絵本のすばらしさはみなさんもよくご存じなのではないでしょうか。
そんなわけで今回は、かこさとしさんの絵本とヨガの関係について考えていきたいと思います。
縛られない自由な絵本
かこさとしさんの代表作といえば、『からすのパンやさん』や『だるまちゃんとてんぐちゃん』ですよね。多くの方が、これらの名作を一度は手にとったことがあるのではないかと思います。
ところで、みなさん。考えてみて下さい。
からすも、だるまも、てんぐも、怖いイメージがありませんか?真っ黒なからすは魔女の手下とも呼ばれますし、悪者のイメージが強いですよね。だるまも怖い顔をしていますし、てんぐなんて、もっと怖い顔をしています。
けれども、『からすのパンやさん』に出てくるからす達は、怖いなんてとんでもないほどチャーミングでユーモラス。とてつもなくかわいらしい様子をしています。
からすは黒というイメージが強いですが、パンやさんのうちのからすの子ども達は、茶色や白、黄色や赤色というかわいらしい色をしているんです。
いいえ、パンやさんの子ども達だけではありません。ここに出てくるからす達は、黒色もいますが、茶色やグレー、白やグリーンと自由な色のからすが多く、さらにはぼうしをかぶっていたり、ネッカチーフをまいていたり、ランドセルをしょっていたり、着物を着ていたり…… 中には頭から三つ編みが生えているからすまでいて、本当に自由で楽しくてかわいらしい姿をしているのです。
『だるまちゃんとてんぐちゃん』のだるまちゃんやてんぐちゃんだって、どうしてこんなにチャーミングなんだろうと不思議になるくらいです。だるまちゃんのお父さんも、威厳はありながらもなぜか愉快で温かいですし、だるまちゃんのお母さんやおばあちゃん、妹となると、エプロンやめがねをかけていたり、背中に人形をおぶっていたりと、もう怖いどころか友達になりたいくらい親しみがわく姿をしています。
からすやだるま、てんぐは怖いという常識は、かこさとしさんの絵の力で軽やかに、そして実に温かくユーモラスに飛び越えていってしまうのです。『からすのパンやさん』や『だるまちゃんとてんぐちゃん』の絵本のページを開く時、私達の頭には、からすやだるま、てんぐは怖いといった考えは微塵も浮かびません。
ヨガの大きな目的は縛りから解き放たれることだと言われますが、これらの名作を読み進めながら、私達読者は、からすやだるま、てんぐは怖いという縛りから自由になることができるのです。
ところで、かこさとしさんは、いったいどのようにして楽しくてユーモラスな名作を生み出すことができたのでしょうか。それは、彼の生涯をふりかえりながら考えてみたいと思います。
終戦後の誓い
かこさとしさんは、1926年生まれ。近所の子ども達とよく遊び回る子どもだったといいます。遊び友達の中でも、特に彼に大きな影響を与えたのは年上のお兄さん的存在だった、あんちゃんでした。
あんちゃんは年下の子ども達に慕われていて、お話がとても上手だったそうです。あんちゃんは色々な物語を面白おかしく話しては、物語の絵をササササーッと描いて見せてくれました。子どもだった彼も他の子ども達も、あんちゃんのお話と絵にいつも夢中だったそうです。かこさとしさんのお父さんは絵を描くのを許さない人だったそうですから、彼が絵に夢中になったのは、あんちゃんとの出会いが大きかったのでしょう。あんちゃんがいなかったら、“絵本作家かこさとし”は生まれていなかったかもしれません。
彼が中学に入る頃に日中戦争がはじまり、時代は次第に戦争色が色濃くなっていきました。彼もまた軍人を目指して、士官学校に入ろうと決意していたそうですが、視力が悪いことが原因で断念。高等学校に進学して、数学や物理などを懸命に学びます。そして、大学生になった頃に終戦を迎えましたが、それまでは軍国主義一色だった世の中はガラリと変わり、大人達は民主主義を叫ぶようになりました。
そのあまりの変わりぶりに彼は深く絶望し、戦争で亡くなった仲間達は何のために亡くなったのかと無力感にさいなまれたそうです。そして、深く考えずに周りに流されて軍人を目指していた自分を恥じるようになりました。そうした中で、彼は遊んでいる子ども達を見て大きな決心をします。
もし、この先も生きることが許されるならば、新しい命をもらったと思い、二十歳までのぼくは死んだと思い、この子どもたちがぼくのようにまちがった判断をしない人になれるよう、自分で考えることができる人になれるよう、そのことにこの一生を使おう。
鈴木愛一郎.2021年.『かこさとし 遊びと絵本で子どもの未来を』.あかね書房,p 52
この誓いが、“絵本作家かこさとし”の活動につながっていくことになりました。
セツルメントとの出会い
化学会社に就職後、かこさとしさんはセツルメントに参加するようになりました。セツルメントとは、恵まれない子ども達を助ける学生のボランティア活動です。彼は、子どものために生きようという誓いとセツルメントの活動がぴったりとつながると思ったのです。こうして平日は会社で働き、休日はセツルメントでの活動に打ち込む日々が始まりました。セツルメントでは子ども達と遊んだり、紙芝居を作って上演したりしていたのです。ところが、彼が徹夜で作った紙芝居を上演してみると、子ども達に全く見向きもされませんでした。
どんな紙芝居なら、子ども達は食い入るように見てくれるんだろう?
彼は、目の前にいる子ども達の様子を観察したり、自分が子ども時代に夢中で遊んだ体験を思い出したりしながら、試行錯誤で紙芝居を作り続けます。目の前の子ども達が面白がるものを作ろうと必死で試行錯誤をしていく中で、彼の紙芝居は徐々に面白く、かわいく、愉快になっていきました。そして次第に、セツルメントの子ども達に喜ばれるようになっていきます。
彼の紙芝居が面白いという評判は次第に広がり、福音館書店の編集長の耳にも届きます。福音館書店の編集長は、彼に絵本を作ってみませんか?と声をかけました。
こうして彼は33歳の時、福音館書店から『だむのおじさんたち』という絵本を出版しました。この絵本はたちまち人気となり、“絵本作家かこさとし”が誕生したのです。
そして、亡くなる直前までセツルメントの紙芝居をもとにした物語絵本や化学の知識を活かした科学絵本など数多くの絵本を制作し、日本中……いや、世界中の子ども達を夢中にさせました。
貫かれた誓い
かこさとしさんが、縛りのない自由な絵本を次々に生み出すことができたのは、言うまでもなくセツルメントでの活動がとても大きいと思います。
彼はセツルメントで子どもと真正面から向き合ったり、自分の子ども時代にあんちゃんの話を聞いてワクワクした気持ちを掘り下げたりして、子ども心というものを徹底的に研究したのでしょう。そういうことが、のちの絵本制作に活きているのだろうということは、私が言うまでもないことだと思います。
ヨガでは、子どものように無邪気な心であることをサットヴァといいますが、彼がセツルメントで子ども心を研究していたことは、サットヴァを研究していたということもできるでしょう。
サットヴァは、自由で無邪気で、どんな常識にも縛られたりしません。サットヴァを知り尽くした彼がだからこそ、からすやだるま、てんぐは怖いなんていうつまらない常識に縛られない、自由で楽しいユーモラスな絵本を生み出すことができたのだと思うのです。
彼は92歳で亡くなる直前まで、心血を注いで子どもに愛される名作絵本を制作し続けました。亡くなった後すぐに放送されたNHKの番組(2018年6月4日放送)『プロフェッショナル仕事の流儀 ただ こどもたちのために かこさとし 最後の記録』を私も見ましたが、自分の力がもうほとんど残っていないにもかかわらず、水に関する科学絵本の制作に打ち込んでいる彼の姿に胸を打たれました。
番組の中で、彼は絵本で使われる文章を見つめ、「やさしく……子どもにわかりいいように…」とつぶやいては、何度も何度も絵本の文を推敲していました。その様子は、放送から5年以上経っている今でも鮮明に記憶しています。
周りに流されて軍人を志した自分を恥じ、子どものために一生を使おうと決めた二十歳の誓いを、彼は一生涯、貫き通しました。自分というものを深く研究し、周りに流されずに自分の絶対的な尺度を持つこともまた、ヨギーの目指す姿勢です。そうした意味では、二十歳の誓いを亡くなる直前までブレることなく貫き通した彼そのものがヨギーだと言うことができるのではないでしょうか。
もちろん、かこさとしさんの絵本は、お子さまやお孫さまと一緒に楽しむことができますが、大人がひとりで読んでもとても楽しめます。疲れたなと思った時や辛いことを忘れたい時にはぜひ、彼の絵本を開いてみて下さい。
ユーモラスでチャーミングな『からすのパンやさん』や『だるまちゃんとてんぐちゃん』が間違いなく、あなたをとーっても癒してくれることと思います!
参考文献:『かこさとし 遊びと絵本で子どもの未来を』(2021年)初版 著:鈴木愛一郎協力 鈴木万里 あかね書房