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みなさんは、自分の内側にある可能性を感じることはありますか。
ヨガを練習していると、今までできなかったポーズが出来たり、今まで気がつけなかった自分の可能性に気がつくことがあると思います。
新しいことができたのは、なぜだと思いますか?
新しい場所に出かけたから?新しい知識を教えてもらったから?新しい環境に身を置いたから?
ヨガでは、これらの理由はどれも間違いだと考えます。ヨガでは、可能性はすでに自分の内側に宿っていて、それを発芽させただけだと考えます。
では、自分の可能性が何かを『ウパニシャッド』の教えから考えてみましょう。
『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』のガジュマルの話
古代インドの教典『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』は、全てのヴェーダ聖典を勉強し終わった青年が、真実の知識について父親に質問する対話形式で書かれています。息子は、次から次へと父親に「もっと重要なことを教えてください」と教えを請います。
この中に、有名なガジュマルの話が出てきます。
父親が言いました。
「ここへ榕樹(ガジュマル)の実を一つ持っておいで。」
息子は言われた通りにガジュマルの実を持ってきました。
「それを割ってごらん。その中には何があるかね。」
息子が割ると小さな種子があります。
「その中の一つを割ってごらん。何があるかね。」
「何もありません、父上。」
ガジュマルの種子はとても小さく、それを割っても何も出てきません。
「その中にはお前の眼には見えないくらいの小さなものがあって、それからこのような巨大な榕樹(ガジュマル)も生えてくるのだよ。」
また父は、そのガジュマルの木と種の関係を、世界の真実に例えます。
「だから、おまえ、こういうことを信じなさい。この小さなものこそ万生の本体をなすものであり、サティヤ(真実)であり、アートマン(個自)であり、そしておまえ自身である。」
全てのものには原因となる種がある
ヨガ哲学では、因中有果論(いんちゅううかろん)を信じます。因中有果論とは、あらゆる現象には原因が存在するという考え方です。
日本では因果応報(※)という概念が浸透しているので、原因によって結果が起こるのは当然だと思う人も多いと思います。
因中有果論では全てのものに原因があるので、世の中に偶然はないと考えます。棚から牡丹餅が降ってくるような幸運があっても、不慮の事故にあったとしても、それは必ず原因のある必然であると信じられています。
その原因が何かと突き止めた時、あらゆる現象の全ての原因は、たった一つのサティヤ(真実)でありアートマン(個我)であると『ウパニシャッド』では説きます。
※因果応報:良い行いをすれば良い結果が起こり、悪い行いをすれば悪い結果が帰ってくるという考え。
たった一粒の真実から世界が生まれる
インドでは聖なる木とされ、お寺などでよく見かけるガジュマル、またはバンヤンツリーと呼ばれる植物はとても大きく成長し、15メートル以上になることもあります。しかし、実はとても小さいので鳥やコウモリが食し、消化されなかった種は移動した先で糞として排泄されます。そして、新しい土地でガジュマルが芽吹きます。
『ウパニシャッド』の中で息子は、ガジュマルの種子を割ってみます。しかし、種子はとても小さいので、中は空っぽに見えて何も見つけることができませんでした。小さすぎて何も見えないような種子ですが、その中に全てが詰まっています。芽吹いたガジュマルは大地に根を張り、形の定まらない独特の姿に成長を遂げていきます。
小さな種を見た時、それがきゅうりの種なのか、ガジュマルの種なのか、カーネーションの種なのか、園芸の知識のない素人には判断がつきません。しかし、小さな種の中にはすでに全ての情報が詰まっていて、芽が出て根が張り、立派な幹と枝が育ち、葉が茂り、実がなります。
ヨガ哲学で説く真実は、とても微細なものです。目で見ることができないかもしれません。しかし、微細な真実の中から世界の全てが作られていると考えられています。
自分自身の存在の可能性に気がつく
父親は、最後に最も大切な真実を明かします。それが有名な言葉Tat Tvam Asi(汝はそれである)です。
私たちが見ている巨大な世界は、たった一つのアートマンから生じたのだと『ウパニシャッド』は説きます。さらに、そのアートマンとは私たち自身を指します。
自分自身を目で見ている物質的な体だと考えた時には、この肉体の限界でしか物事を考えられません。背が低ければバスケットボール選手にはなれないと考えますし、歳を取ったからカラフルな洋服は似合わないと考える人もいるでしょう。しかし、それらはすべて思い込みです。
アートマンは完全なものであり、全ての可能性を含んでいます。私たちは、何かを加える必要はありません。自分の内側に宿る可能性を信じて、内側にすでに存在している可能性の種が芽吹くように水撒きをしてあげましょう。
答え探しを外にしないで、内側に意識を向ける
ヨガを始めたばかりの頃には、誰でも答えを外側に求めます。
インドへは、毎年何万人もの人がヨガを学びにやってきます。また、ガンジス川沿いの聖地には、自分探しの旅に来る人がとても多くいます。しかし、多くの人は何年かけても答えを見つけることができません。なぜなら、意識が外に向いているからです。
ヨガは自分の内側の真実を探すものですが、多くの人は、自分の内側の可能性を開花させる方法を自分以外の誰かが教えてくれると考えます。すると、どれだけ有名なヨガの先生に会ったとしても聖地を訪れたとしても何も得ることができなくて、他の先生、他の聖地を探し続けることになります。
先生は、自分の見つけ方のヒントを与えてくれる存在ですが、答えを見つけるためには自分で実践して向き合う必要があります。〇〇の言葉を借りれば、真実は外国に行かなくても、特別な先生に会わなくても、自分の内側から見つけることができます。
ヨガのセオリーを学ぶことは大切ですが、学んだ後は、自分自身と向き合って一人で練習する時間を大切にしましょう。自分との対話によって、今まで知らなかった自分の可能性を見つけることができます。
その時、とても小さなガジュマルの種が芽吹いて巨大樹に成長するように、自分の内側にある無限の可能性が溢れてくるのを感じられるはずです。
古典教典『ウパニシャッド』の教えを現代に生かす
ヨガを練習していても、『ウパニシャッド』のような古い教典はとても難しそうに見えて壁が高いと思います。しかし、一旦読み始めると、古代の人が様々な例え話で真実を説明してくれていることがわかります。全てを原文で読むことは難しいですが、有名な話をピックアップして学ぶだけでも、ヨガ哲学の本質に触れることができて理解が深まると思います。