限りある人生の時間を有効に使っていますか?
「魔法は真夜中の12時に解けてしまうから、それまでに帰ってくるように」
そう言って、魔女はガラスの靴をシンデレラに用意してくれました。
知らない人がいないほど有名な「シンデレラ」のお話。
諸説ありますが、実は原作のグリム童話には、魔法使いも、かぼちゃの馬車も、ガラスの靴も登場しないのです。時計が普及し始めた16世紀頃から、「時間とは有限」なものであり、そこには価値があるという考えが広まり、時間制限付きのシンデレラの魔法が後付けされたと言われています。
ぼーっとしていても、忙しくしていても一定に過ぎていく時間。しかしその時間は人それぞれに与えられた、死ぬまでのカウントダウンであり、有限なもの。
あなたは1分1秒を大切にしていますか?
あなたは無意識のうちに、人の時間を奪って(盗んで)いませんか?
無駄話、遅刻というのがわかりやすいですが、ビジネスシーンでも実は知らず知らずに人の時間を盗んでしまっているケースがあります。
例えば、最近時短勤務で働くママが多く活躍しています。1日5〜6時間の限られた時間で、1分1秒を精一杯働いていらっしゃいます。一方、普通に働く人もいれば、自分がやりたいだけ、時間をたっぷりかけてやりたいペースで終電まで働く人も多くいると思います。
もしその2人が、同じ1時間のミーティングを行った場合、その1時間の1分1秒はどんなものになるでしょうか。もしかして、自分がダラダラとやった1時間で、時短で働く人は2〜3時間分の仕事ができたかもしれない。アイディアを生みだすチャンスとなったかもしれない。
1分1秒に対して、同じ「価値」を感じていないということで、すでに協働する人たちの時間を奪ってしまっているのです。
会社からは、「時短で働く人たちをサポートするように」なんてアドバイスがありますが、そもそも通常時間で働く人たちが同じく「時間に価値を感じる」ことが一番のサポートになるのだと思います。
なぜ、人の時間を盗んではいけないのか
ヨガの教えには、生きる目的である「モークシャ(自由)」になるために、「自分がすでに幸せであるということに気がつき、幸せを追い求めて苦悩することから自由になる」ために、心と体を整える8つの段階・行法があるとしています。それを「アシュタンガ・ヨーガ(ヨガの八支則)」といい、紀元前4〜6世紀に記されたヨガの基本的な教えです。
教えは、以下の大きく3つの段階に分かれています。
- 日常を整える
- 身体を整える
- 心を整える
その手はじめに「ヤマ(禁戒)」が「日常やってはいけない心得」として記載されています。つまりこの禁戒を誤って行ってしまうと、どんなに上手なアーサナ(座法)ができても、どれだけ瞑想体験ができたとしても、それは世界との調和ではない。ただのエゴになってしまうのです。
先述している、「時間を盗まない」というのもこの禁戒の一つです。
他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。
遅刻してはいけない、人の時間を奪ってはいけないというのは頭ではわかっているものの知らないところで盗んでしまっているかもしれません。
そのためにも相手に感謝し、与えられた時間に感謝の心を持てれば、アスティヤ(不盗)を実践できるはずです。
時間を大切にするということ
時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。
出典 ミヒャエル・エンデ(1976)『モモ』、大島かおり訳(2005)岩波少年文庫、83ページ
「時間」について綴られた物語『モモ』の一節です。
「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」
出典、同上236ページ
人の時間を奪ってはいけない、1分1秒を大事にしないといけないと、毎日毎日一心不乱に働き続けること、決して悪いことではないと思います。
しかし、そこに心はありますか?
目標のために一心不乱に働き続ける中に、ご自身の心はありますか?時間を大切にし、1分1秒に愛を。そして、その大切な時間を周囲と共有し、時に与える(=相手のために時間を使う)ことがバクティ・ヨーガ(愛と献身のヨーガ)の実践にもつながるはずです。