記事の項目
ハワイ×ヨガの生活はどんなふう?
フリータイムは、プライベートのお客さんに教えたり、友人と会ったり、食事や海に行ったり……。日曜は午後だけ、土曜は完全オフにしています。
“いい先生”と“そうじゃない先生”の違いはどこにある?
それに、「練習しないで教えるのはダメじゃない?」というのが私の持論。経験したことを伝えるのが、ヨガの先生だと思っているから。いろんな考えがあるとは思いますけどね。
教えることは、おもしろい!
だから例えば「今度のTTでは、この夏に自分が座禅で経験したことを上乗せして教えよう」とか、生徒さんの反応によっていろいろ変えています。
3種類のインストラクター像
私も最初はマニュアルをびっちり作っていたんだけど、だんだん「こう言ってみたらもっと伝わるんじゃないか」とか、試したくなっちゃって(笑)インプットとアウトプットに関しては、たぶん3種類の先生がいると思うんですよね。
- ヨガがうまくて、教えるのもうまい
- ヨガがうまくて、教えるのはヘタ
- ヨガがヘタで、教えるのがうまい
この3つのうち、マニュアル通りに教えるなら3でもいけるのかもしれないけど、私はちょっとイメージできないなぁ。2は結構いますよね。先生自身はヨガを極めているんだけど、伝えるのがヘタだったりちゃんと伝えるつもりがなかったりすると、独りよがりになっちゃって生徒はついていけない。
私は一応1だと自負しているんだけど、そのためには、生徒さんそれぞれに伝わるよう表現を変えることが大事だと思うのね。「このアプローチでダメならこっちからいってみよう」と。その表現のバリエーションって、自分のプラクティスがないと出てこないんですよ。
プラクティスは”聞く準備をすること”でもある
“聞く準備ができていないと聞こえない”ことって、結構あるんですよね。だから、教えるのって楽しいんです! こんなに毎日好きなことをやれる仕事で、本当にありがたいですよ。
“マットの上は安全”だから、ヨガでは安心していろんな感情を出して
プラクティスのしかたもすごく性格が出ますよ。負けず嫌いの人はすっごく頑張るし、いい加減な人はすぐあきらめるし、強引な人は強引。でも、ずっとは続かないと思うんですよ。特にアシュタンガなんてきついプラクティスだから。そこで、だいたい2つに分かれます。1つはヨガをやめてしまう。
もう1つが、“自由になる”です。「あれ、自分は何を今まであがいていたんだろう?」とか「今までなんて適当だったんだろう」とか、ふっとゆるんだときに自分自身の生き方にも気づいて、すごく自由になれるはずです。
現実社会でそれをやると、周りを傷つけたり気をつかわせたりするかもしれないけど、マットの上なら、どんな感情を出してもいい。
そうやって続けるうちに、マット上の経験が現実社会にも反映されるようになると思う。マットの上で行動を修正すれば、日常の行動も修正されるようになるわけです。これは私も経験してきたことだし、誰でも確実にそうなると思いますよ。ただし、“練習を続けていけば”ですけどね!