バクティヨガ2:日々の生活の中で献身の心を養う

バクティヨガ10:バクティの本質

やがて、私たちは愛の時を見つけ出す・・・

バクタになるとはどういうことでしょう?

花とキャンドルが飾られた祭壇
あなたは自分自身に帰る家路を歩んでいる

バクティヨガはあなたの暮らしをどのように変えることができるのでしょう?バクティヨガの美しさとは、これら全ての問いかけが人生を歩む燃料になっているということです。

何かを切望することはバクティの本質。愛、人間関係、つながり、平和、喜び、創造性を切望すること。何かを求め続けている限り、あなたは自分自身に帰る家路を歩んでいるのです。

「切望」とは何でしょう?

自然の中で手を合わせて祈る女性の横顔
切望する旅路の途中で感じる感情が大切

切望とは、手に届かない何かを欲する気持ちです。普段の暮らしでいうと、それはお金や成功、人間関係、もしくは子どもかもしれません。

何かを望む気持ちが生まれると私たちはその夢を叶えるために行動をおこし、大抵は欲したものを手にすることができます。しかし、バクティとは目標に到達することではないのです。それは切望するために切望すること。つまり、旅路そのもの、その旅路の途中で感じる感情が大切なのです。

バクティヨガの基本概念

ここでインドの詩人、ラビンドラナート・タゴールによって書かれたバクティヨガの基本概念を映し出している物語をご紹介します。

神を見出すことを求め続けた男の物語

インドの寺院の入り口
望みが実現するその扉の向こうには何がある?

かつて、物心のついた頃からずっと神を見出すことを求め続けた男がいました。それは大いなる挑戦であったので、いずれは神を見つけられることを心から望んでいました。

しかし彼は神を探し出すということに夢中になり、ついには神を見つけるということが言い訳に近いものとなり、その探し出す旅路そのものが彼の目標となりました。

しかし驚いたことにある日、はるか彼方離れた星に「神の家」と書かれた表札のある家を見つけます。男は神を探し当てたという歓喜に満ち溢れ、家の扉へと続く階段を駆け上ります。

しかしその扉が近づくにつれ、彼のなかで突然恐怖心が沸き起こりました。

もしもこの家が本当に神の家だとしたら、神を見つけたあと僕はどうしたらよいのだろう?神を追い求めること、見つけ出すことが僕の人生となっていたのに、実際に神を見つけてしまったら、それは自分自身を殺してしまうことになるだろう。そもそも僕は神とどうしたいというのだろう?神を見つけ出す旅を始める前にそれを考えるべきだったのではないだろうか。

神が自分の足音を聞いて入り口に現れ、「何をしているんだい?神はここだ、入るがいい。」と言われてしまうことを恐れた男は、靴を片手に静かにゆっくりと後へ引き返し始めました。

階段を下りきったとき、彼は今までに見たこともないような速さで駆け出しました。その後、彼は再び神を探し出す旅を始め、彼が実際に住む家を避けながらあらゆる方向を探しました。

彼は今もなお探す旅を続け、その旅路を楽しんでいます。

バクティとは一瞬一瞬の至福を感じる旅路

バクティとは楽しむこと、愛、感情、そして情熱をもって欲することです。涙があふれたらそのまま涙を流しましょう。声を歌にしてハートをひらき、美しさであなたの周りを囲みましょう。

一瞬一瞬が至福であり、恩寵なのです。

川面に映る夕日
一瞬一瞬を大切に生きましょう

これまで10回に渡ったバクティについてのお話があなたをインスパイアしてくれたことを願っています。そして私のバクティの実践とバクタの心を皆さんとシェアできたことを嬉しく思います。

ナマステ
レイチェルジンマン

レイチェル・ジンマン バクティヨガ
レイチェル・ジンマン

文:レイチェル・ジンマン

世界でも有数のパワースポットと呼ばれるオーストラリア・バイロンベイに拠点をおき、日本をはじめインド、バリ、ヨーロッパと世界中で活躍するヨギーニ。ヨガ歴20年以上指導歴18年のベテラン講師で、毎年バイロンベイにて日本人向けヨガインストラクター養成コースを開講、今年で9回目を迎える。彼女の実践するバクティヨガは「愛」のヨガ。ヤントラ(形)やマントラ(音)、ムドラ(印相)を用いてヨガに深みを与えることで、アーサナに偏りがちなヨガからホリスティックなヨガへと導いていく。近年ではヨガインストラクターとして更に成長していきたい方のための上級者向けリトリートをバリにて開催するなど、継続的な指導に力を注いでいる。