まずは哲学に触れてみよう
はるか昔の紀元前、
という疑問を持った人がいました。
それに対して、ある人は、
別世界に見本があるから「木」だとわかるんだ。だからこの世界にあるものは造り物だ。
– プラトン
と言い、ある人は、
成長したり枯れたりするのに造り物はおかしい。ひとつひとつが本物だから「木」だとわかるんだ。
– アリストテレス
と言いました。
プラトンとアリストテレス、ふたりの名前はみなさんも聞いたことあるかもしれませんね。
このようにひとつの事象や事柄に対して、いろいろな角度で証明しようとした偉人たちの自由で面白い考え方が「哲学」という学問に発展したのです。
哲学は考え方を考える学問!?
哲学とは?の問いに「ずばり〇〇です!」という説明が出来る人は少なく、調べても調べても多種多様な異なる説明にたくさん出会います。「結局何なの?」と結論を急いでしまいがちですが、そこに「哲学たるや」が現れているのです。
ある人は「哲学は人生観」と説き、ある人は「物事の本質を筋道だって考えること」と説いています。このように人によって言うことが違うことが多々あります。ただ、ここに哲学の面白さがあります。
「哲学」がなんたるかをそれぞれがそれぞれの考え方で「ああでもない、こうでもない」と証明していることが、まさに「哲学」を哲学たらしめているのです。
ポイントは真理に辿り着くこと
ただ闇雲にそれぞれ好き勝手に考えているわけではありません。哲学者はみな「真理」の探求に基づいて物事を考察します。超入門編的に言えば真理とは、「誰でも同じように理解できること」です。
哲学は、誰にでも通用する物事のとらえ方を模索している学問と言えます。
絶対主義と相対主義
みんながそれぞれ違う考え方や物の捕らえ方をすることは、自由でいいのですが、秩序を保つことができません。そこで考え方のスタンスとして「絶対主義」と「相対主義」という考え方も発展しました。これも紀元前に築かれた考察です。そんな昔から哲学が議論されていたと思うと、ロマンを感じますね。
絶対主義
「俺が正しい!!」「いや俺だ!!」は絶対主義。物事の本質は一つだと主張します。
相対主義
「どちらも正しいですよ」「人によって違うんじゃない?」は相対主義。個々の考え方を尊重する反面、社会のバランスを保つ必要がある考え方です。
絶対主義に偏ると、譲らない人同士の争いに繋がってしまうため、戦争が起きます。
現代社会では比較的、相対主義が根付いています。ただ、自分自身を押し殺して社会にあわせている傾向があり、それがアイデンティティの崩壊やうつ病のような現代病といわれる心の病に繋がってしまうとも言われています。
まとめ
紀元前600年くらいでは「神様が世界を作った」というのが常識でした。そんな中、タレスという人が、ふと「この地球は何から始まったんだろう」と考えたのが哲学の始まりです。
この記事を読んでいるみなさんの多くはヨガを楽しんでいるかと思います。素晴らしさも難しさも感じながら、それぞれのヨガの向き合い方が広がっています。ヨガの真理の探究がヨガ哲学です。
ヨガの教典であるヨーガスートラやウパニシャッドを読み解くのもいい勉強になると思いますが、かつてタレスが疑問に思ったように、「ヨガってなんだろう?」と疑問を持ってみるのも、ヨガプラクティスをさらに深く面白くするのではないでしょうか。