ヨガはエクササイズ?宗教?
日本人の多くの人が持っているヨガのイメージはだいたい2種類。健康法やエクササイズ、そして宗教というもの。実際にはヨガは哲学や人間科学にカテゴライズされる学問と捉えることができます。そして、多くのヨギやヨギーニはその哲学に寄り添うことで、ヨガを「充実した価値ある人生を送るためのひとつのツール」と捉えているようです。
「自力本願」の哲学である
とはいえ、ヨガの多くのマントラにはインドの神様が出てきます。オームの音にもブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの力が宿っていることを学びますし、バガヴァッド・ギータはヒンドゥー教の聖典。そして多くの日本でヨガを学ぶ人が、仏教と教えが似ているのを感じていることでしょう。ヨガと宗教の大きな違いは、他力本願か自力本願かということかもしれません。ヨガにおける神は、自力で修業をし、自分の中の神と出会うこと。愛や光、大宇宙、大自然など、形のない普遍のものを、自らの中に感じることを目指す生き方でもあります。
ヨガは解脱を目指す修行法として始まった
ヨガを端的に表すと「古代インド発祥の修行法」。修行というと宗教を想像してしまいますが、料理人や大工になるために修行をする人もいます。ヨガは「解脱を目指す修行法」というところから始まりました。となると、「解脱を目指すのは宗教ではないですか?」と思うことでしょう。しかし、生命は生まれ変わる・神は存在する・目に見えないエネルギーは存在するということを信じること、イコール宗教という事ではありませんよね。解脱、という言葉にも修行と同じように宗教的なイメージがわくかもしれませんが、「自然の流れに自分を載せられるようになる修行法」という表現だとしっくりくるでしょうか。
ヨガを学び続けて人生を豊かにする
ヨガと宗教。それだけで1冊の本が書けるほど、深いものではあると思います。でも実はヨガを勉強している人にとって、それはどうでも良いことであったりもします。ヨガを勉強するということは、より良い人生を送る勉強をするということだからです。ヨガが、自分や周囲の人にとって、どんなふうに助けになったり、導いたりしてくれるのか、そのことの方が重要です。健康科学であったり、道徳や祈りであったり、様々な側面を持っているヨガという学問をトータルに勉強することによって、より良い人生を構築していく。そしてより良い死を迎える。これこそがヨガの目指す解脱への道なのではないでしょうか。
多くの人が、ヨガをひとつのことに偏ることなくトータルに学ぶ場所ができること。それこそが、ヨガを通して人生を豊かなものにできる人が増えていくことへの大きな原動力になるかもしれません。