「哲学とは?」と聞かれて答えられる?
「哲学は難しい」そんな言葉を聞いたことがある、もしくはご自身でそう思ってしまうという方もいらっしゃるかもしれません。そもそも「哲学」とは何なのでしょうか?
数学といえば数を、医学といえば医療を、といったように、関連する事柄をイメージしやすく、何をどう学べばそれを習得できるか分かりやすいものもあります。
一方、辞書で「哲学」という言葉を引いて、それをすぐに「ああ!そういうことか!」と理解できるかどうかと問われると、それは難しいかもしれません。
哲学の場合、その名前を聞いただけでは内容を理解することが難しいと考えられることが多いのです。
「哲学」は人生観・世界観を学ぶこと
「哲」とは「道理に明るく、知恵がある」という意味。つまり「哲学」といえば、道理や知恵を学ぶということ。それならば自然の道理や知恵を学ぶのもいいでしょう。また宗教でも人類でも、何の道理や知恵を学んでも哲学となり得ます。
しかし、それを学ぶことがすぐに哲学にならないのが不思議なところ。自然を研究した自然科学、宗教学や人類学は哲学ではありません。哲学が成立するには、別の何かがあるようです。
それは、「人が人生を生きていくにあたって一番重要なことは何か?」ということを中心に据えること。人が生きていく上で、自然の探究が最も必要だと考えれば自然哲学が、宗教が最も必要であるとするなら宗教哲学が生まれます。つまりは哲学とは人生観・世界観を学ぶこと、と言えます。
どんな人でも哲学を身近に感じながら生きているとも言えるのではないでしょうか。
なぜなら、人は誰でも多かれ少なかれ自分の人生観を持って生きています。ただ漠然と生きている人でさえも、「こうなりたい」「こう生きていきたい」という目標や憧れのようなものがあるのではないでしょうか。
例えば「お金持ちになりたい!」という人であれば、その人の哲学は「人生を生きていくにあたってお金が重要である」ということ。「いつまでも美しくいたい!」という人であれば、「人生を生きていくには美が必要である」ということが哲学となり人生の基盤となるでしょう。
いずれにしても、人生でなぜ「お金」が重要なのか、「美」が求められるのか、そして自分の人生にどのようにその価値観を反映し活用していくのか、ということを探求していくでしょう。それがその人の哲学になります。
「ヨガ哲学」とは人それぞれが持つ人生観
さて、では「ヨガ哲学」となるとどうでしょう?
それは「人生を生きていくにあたってヨガが重要である」ということを学ぶこととも言えそうです。
多くの「ヨガ哲学」本の中身を見ると、代表的な6つのインド哲学の考え方や、アシュタンガ/八支則が含まれています。その内容や重要性を学びながら、自分の人生においてなぜヨガが重要なのか、そしてヨガをどのように人生に活かしていくのかというところにまで思索を深めてこそ、初めて「ヨガ哲学」が発生するのかもしれません。
こうしてみると「ヨガ哲学」とは、個々の持つ人生哲学なのではないでしょうか。
ストレスやまわりからの評価、そのほか様々な要因に包まれた現代社会で、自分を見失ってしまう人は多いでしょう。そうならないぶれない軸を、ヨガによって強くしていく。まずは自分の人生においてそのことに思いをはせてみるのもいいでしょう。
ヨガの実践から哲学を深める
教科書から学べる学問的な「ヨガ哲学」はおそらくひとつの方向を指し示してくれることでしょう。加えて、ヨガの実践によって心を静かにし、
- 物事の真実をみる
- 自分の真の姿を理解し受け入れる
- それを各々の人生に活かす
ということが「ヨガ哲学」だとするなら、きっと人の数だけ「ヨガ哲学」が存在していてもよいことになるでしょう。
そう考えると、哲学とはあまり難しいことではなく、自分自身を見つめ直すことからでも学びを深められそうであることも分かります。
自分自身の人生は、どこに焦点があっているのか。そしてその焦点が合っている場所に、どのようにヨガを活かしていくのか。それこそが生きたヨガであり、「ヨガ哲学」のなのかもしれません。