仕事に対する目標をもっているか?
近頃「最近のやつは扱いが難しい」「出世欲がない」なんて言葉を会社の中でよく耳にしていた。
一概には言えないが、40歳前後を境に仕事に対しての考え方は大きく異なると思う。高度経済成長やバブル景気などの成長期においては、頑張れば頑張るほどお金がもらえた。そして、出世などの社会的成功や高級車やブランド品、億ションなど、これがあれば幸せだよといった幸せの答えが用意されていた。
そこに資本主義の象徴かの様な、「マズローの欲求5段階説(上図)」が持ち込まれ、「自己実現」に向けて高い目標 (おそらく、社会的成功や、金)を何の疑いもなく設定し、寝る間も惜しんで働いたのだ。
今の日本があるのはそういった先人たちの努力の結果だと、まずは感謝をしたい。
一方、バブル崩壊後はリストラや過労死などのニュースで、頑張っても報われないことがある事を目の当たりにした。また、与えられている「幸せの答え」が正しいのかを疑問を持つ者に対しては、インターネットによる情報革命が後押しし「幸せの答え」は多様化していった。
ただし、そんなに簡単に「幸せの答え」が見つかるはずがない。
今まで与えられていた幸せの答えへの道のりは険しく、それでも頑張る者、自分で新しい答えを模索する者、そして途方に暮れて考えを諦める者も大多数かもしれない。仕事においても、与えられた幸せを自分の幸せと信じ目標を決める人、自身の目標を 決めた人、そして目標自体無い人が大多数なのである。
目標が無いと幸せではないのか?
ヨガ哲学では「プルシャアルタ」という人生の4つの目的が示されている。
- アルタ(精神的、肉体的な安全)
- カーマ(五感の喜び)
- ダルマ(人、環境との調和・使命)
- モークシャ(自由)
(1)〜(3)はマズローの欲求5段階説の1〜4段階目と似ている。
ただし、最高位の(4)モークシャ(自由)は大きく異なる。
マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」と説き、
自己実現のために絶えず努力し成長し続ける
とした。
ヨガでは、自己の本質として「人はすでに完璧で幸せで満たされている」と説き、
幸せを外に探し求め、失うことの恐れからの自由(モークシャ)になること
を幸せと定義している。
しかし、各々が持つ自我によって、自己の本質(自分がすでに満たされていること)を素直に受け入れられず、今の自分と本質とがかけ離れていると思い込んでしまう。
「昇進おめでとう、都心の高層マンションに引っ越してあなたは幸せですね」 に対して、「あなたは何もせずとも、もうすでに完璧で幸せなんですよ」なんていきなり言われても、正直ハテナが沢山頭に浮かぶはず。
これは、5歳の子供に関数を教えるのと同じことで、何事も準備が必要。静かに勉強できる場所、鉛筆とノートを用意し環境を整え、数字の意味、足し算引き算を教え、やっと関数を学ぶ準備が整う。
ヨガも同様に、日々身の回りの環境を整え、 アーサナ(坐法)で身体を整え、やっと静かに心に向き合える。そして、ザワつき波立つ心を鎮 め、自己の本質を知るために心を磨く。この幸せの答えにたどり着くまでの準備段階全てが「ヨーガの道」なのである。
つまり、この教えに沿った時、前述した目標自体が無いことが不幸なのではない。自分で幸せの答えを見つける方法を知らなことが不幸なのだと思う。
幸せになる方法とは?
近年、ヨガを日常に取り入れ仕事で成功を収めている男性著名人は多くいる。 Microsoft創業者であ るビル・ゲイツ、 アップル創業者の故スティーブ・ジョブス、 元テニス世界ランク1位のジョコビッチなどが、瞑想やヨガ支持者である。
瞑想は集中力を高め、波立つ心を鎮める。
ストレスの多くは、自身の自我やエゴや、無知による勘違いなど心の波立ちによるものである。それを瞑想によって鎮め、クリアで純粋な思考のもと仕事に取り組める。仕事の管理はもちろん、優先順位付けや創造性など、生産性の向上効果は多くの瞑想経験者が語っている。
これは、今各企業が行っているような「研修」や「合宿」いった、単発の瞑想では効果は小さいのだと思う。日々ザワつき波立つ心を、日常的に鎮めていくことが必要なのである。
歯磨きを毎日行わなかったら歯石になり、脂肪を溜め続けたらセルライトになり、ドロドロ血を放置すると血栓になったり、人の身体は流れが滞ると固まり、ちょっとやそっとではもとに戻せなくなる。
人の心も同じだ。
日々溜め込むストレス、自我やエゴ、は心の中に垢のようにたまり、クリアの純粋な心を取り戻すのには長い年月がかかる。日常に瞑想・ヨガを取り入れることで、 純粋な心を手に入れることができる。ヨガではこの純粋で調和のとれた状態をサットヴァ(純粋)という。
マズローは晩年に、5段階欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表している。
自我を忘れてただ目的のみに純粋 に没頭する「自己超越」
という段階である。
人の幸せを突き詰めた時、資本主義の先にもお金ではなく、このサットヴァ(純粋性)があるのだ。そして、高い目標を持ち努力するよりも、心を純粋に保つことが、たった一つ、自己 の本質(人は完璧で満たされている)という事実を知るための方法であり、自己の本質に気付いた者ほど、揺るぎない目標を持てるのだと思う。
文・tomoyo