カルマヨガとは?日常での実践方法

カルマヨガの意味とは?行動・人生を変える日常での実践方法

「ヨガ」といえば、ヨガ・スートラなどに書かれているヤマ・ニヤマ・アサナ・プラナヤマ…といった練習方法を考えがちですが、ヨガに関する聖典にはヨガ・スートラ以外にもバガヴァット・ギータ(以下、ギータと呼ぶ)やヴェーダなど様々なものがあります。

ギータは、王子アルジュナとその導き手であるクリシュナの2人の対話から成立しており、「神の詩」とも云われています。同書の中では、「純粋な自分」に戻るための方法は全てヨガと呼ばれており、ヨガ・スートラに書かれている八支則などの練習方法はその1つの方法にすぎません。

ヨガは老若男女、身体の悪い人や忙しい人にも開かれているので、誰でも出来るものでなければなりません。そこでクリシュナは、人の特性に合わせて様々な種類の道を与えてくれました。

その中でも自身の行動を変えるヨガで、より人生に深く影響を与えるヨガが”カルマ・ヨガ:行為のヨガ” であり、今回はこのカルマ・ヨガについてご紹介します。

カルマ(業)とは何?基本的なインド思想

「行動」も「業」もどちらもカルマ
「行動」も「業」もどちらもカルマ

“カルマ”という言葉は、日本語では「業」と訳され、「行為」や「行為の結果」といった意味で使われています。最近スピリチュアルの話題でも使われることが増え、「自分自身に課せられた運命のようなもの」とイメージしている方もいるかもしれません。

確かにインド思想では輪廻転生が採用されているため、前世で背負ってしまったカルマ(業)が今世に影響を与えていると考えられています。当然、今世で生まれてきてからの自分の行動(カルマ)も未来に影響を与えていきます。

カルマとは、「行動」とそれによって生まれた「業」

インド思想では、私たちに起こる全ての事柄は、それ以前に原因があると考えています。私たちの「行動」も、それによって生まれた「業」もカルマと呼びます。「行動」の結果に「業」があり、そのどちらもがカルマです。

例えば、自然界の水で例えてみましょう。

  • 雨が降ると川などを通り海に行く
  • 海や池に太陽が当たると水分が蒸発する
  • 水分を含んだ空気が上空で凍り、雲となり流れる
  • 雲から再び雨になり地上に降りる

このように水は突然現れるものではなく、すでに存在したものが姿を変えて流れています。地上での水の状態と、空気中の蒸気の状態と、上空での雲(氷)の状態が姿を変えながら繰り返しています。

この世に存在する全ての事柄や生命は、原因があって現れます。物質的なものだけでなく、私たちの生命も、偶然と思われる事柄も、全て元になるカルマ(行為・業)が原因と思われています。

良い行いをすれば幸せになれるの?

みなさんも「自業自得」という仏教のことわざを聞いたことがあると思います。「業」は中国語で「カルマ」と同意です。「自分の行いが自分に帰って来る」という意味です。

では、良い行いをすれば幸せになるのでしょうか?

良い行いをすること=カルマ・ヨガ?

答えは「NO」であり、形だけの行動では人は幸せになれません。

ほとんどの人は、良い行いをすれば幸せになり、悪い行いは不幸を招くと考えています。インドの哲学でも同じように考えられて、良い行いをするように教えられます。

しかし、四六時中「良い行為・良い結果」に縛られることさえ、ヨガ修行者にとっては手放すべきものです。また、「良い/悪い」の基準は社会や個人によって違います。

生まれてきた以上、苦しみの強弱はあるものも、病気や死、人との別れなどは回避することが出来ません。どれだけ正しい行動をした賢者でも同じです。

生涯良い行いを心がけていても、生まれてきた以上、身体の衰弱や死は必ず起こります。

カルマ・ヨガの目標は善悪両方から解放されること

目標は善悪両方から解放されること
目標は善悪両方から解放されること

カルマ・ヨガとは、良いカルマ・悪いカルマの両方から解放されることを目標にします。それは、物質的な幸せを得ることではなく、より高い次元の気づきを得ることを目標としています。

極端な例えですが、ギータを例に考えてみましょう。

主人公のアルジュナはとても道徳心に優れた人物だったのに、先生であるクリシュナはアルジュナに戦争で戦うことを強要しました。殺し合いの相手は、親族や幼少期の友人です。

現在を生きる私たちと同じように、戦乱の時代を生きたアルジュナ自身も殺しを望まず、戦わずに殺されることを望みました。

しかし本人が望まない行為でさえ、時に必要な時があります。アルジュナの場合は、アルジュナが戦わないと、国の政治や歴史を変えてしまうからです。

クリシュナは、「戦う」というアルジュナに与えられた義務を受け入れることと、その結果に執着しないことを指導しました。

私たちの行動は、行為とその結果に対する執着心によって業報(行為の結果)を生み出します。私たちは結果をコントロールすることは出来ませんが、結果に対する執着を手放すことで、私たちの魂はカルマから解放されます。

ギータの中でクリシュナは下記のように言っています。

あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果ではない。行為の結果を動機としてはいけない。(BG2/47)

カルマ・ヨガを学ぶ人にとっての全ての行動は学びの道です。

ヨガ・スートラの中でも、下記のように説かれています。

ヨギーのカルマは白くも黒くもない。その他の人のカルマは三様で、黒か白か混ざった色(灰色)である。(PYS4/7)

人のカルマを「白」(良いカルマ)と「黒」(悪いカルマ)に分けて話していますが、悟ったヨギーのカルマに色は無いと言っています。それは、「物質的な自分」と「純粋な自分(プルシャ)」を区別出来ているからです。

心の動きを完全にコントロール出来たヨギーは、行為を行ってもカルマ(業)に囚われることはありません。

執着心を手放せばカルマから解放される

クリシュナは、全ての行いを神への祭儀として行うように、神様への供え物として行為を行い、その残り物を食べるようにと教えます。

祭祀の残り物を食べる善人は、全ての罪悪から解放される。(BG3/13)

ギータは、”バクティ(神への信愛)のヨガ”とも云われていますが、これがその理由です。

これは宗教的な絶対信仰を勧めているわけではありません。

通常私たちの思考は、良い行いをする時に無意識に執着の心を抱いています。

  • 人に親切にしたのだから、私は良い人と思われたい。感謝されたい
  • 相手のことを思って行動したのだから、相手にも私のことを思って欲しい

この様な思考は、無意識に起こってしまい、執着の原因となります。例え良い行動をしていても、結果への執着によってネガティブな感情を抱いてしまうのが人の思考です。

クリシュナは、私たちの行動を「神への供え物」として考えること、つまり、その行いの結果にも執着せず、どの様な結果も受け入れることで、カルマが生む苦しみから逃れられると教えています。

自己犠牲を勧めているわけではありません。ほとんどの場合、良い行いは良い結果をもたらしますが、結果を目的にしないことが大切だということです。

ヨガの本来の目的は、「純粋な自分(プルシャまたはアートマン)」に戻ることです。

「純粋な自分」は、常に静寂で、幸せで、永遠と続くものです。例え身体や思考は絶えずに動いていても、自分の芯の部分は穏やかにいるための練習が、カルマ・ヨガで行うべき行為です。

見習うべきインド・アシュラムのカルマ・ヨガ

カーペットの上に仏教具が置いてある様子
インド・アシュラムで行われているカルマには見習うべきところがたくさん

アシュラムなどで行われているカルマ・ヨガ

インドで修行僧が住み込みでヨガの練習をするアシュラムでも、カルマ・ヨガが行われています。

ヨガの聖地リシケシにあるシヴァナンダヨガのアシュラムで生徒たちは、アシュラムの掃除、食事の調理、配膳、洗濯など、それぞれに仕事を与えられて、これらをカルマ・ヨガとして行います。

人のためになる行動をすると清々しい気持ちになります。それが、見返りを求めない行動だと、自分自身の心を磨くことが出来ます。

「面倒だと思うこと」「自分に与えられた、やるべきこと」も自分のためだと自覚して行うことは、思考のコントロールの練習になります。

掃除、炊事、子供やお年寄りの世話など、どれも私たちが日常で行うことです。それをカルマ・ヨガと考えて行うと、日常の中から気づきを得ることが出来ます。

スワミ・サッチャナンダ氏のカルマ・ヨガ

ビハーグ・ヨガスクールの創設者であるスワミ・サッチャナンダ氏がリシケシのスワミ・シバナンダ氏の元で学んでいたころ、シバナンダ先生は弟子にカルマ・ヨガの修業を言い渡しました。

シバナンダ先生はサッチャナンダ氏にハンセン病患者の介護をするように言いました。ハンセン病患者の介護はとても大変です。当時のインドでは衛生的にも難しい環境でしたが、サッチャナンダ氏は患者が亡くなるまで身の回りのお世話を数年間やり遂げました。

サッチャナンダ氏は、介護をしている時、自分がインド三大神のヴィシュヌ神になり、患者をこの世で最も美しいラクシュミー女神(ヴィシュヌの妻)と思い尊敬の念を持って接していたそうです。

その後サッチャナンダ氏は、インドで最も大きいヨガの学校の一つ、ビハーグ・ヨガ・スクールを創設し、今でも沢山の方がそこで学びを続けています。

一見遠回りに見えても、今与えられた仕事に意識を向けて行うことが自分を成長させ、後の大きな成功を与えてくれるのでしょう。

カルマ・ヨガ(行為)とギャーナ・ヨガ(知識)の両方が大事

地面の上で白い服を着た男性が古書を読んでいる様子
カルマ・ヨガ(行為)とギャーナ・ヨガ(知識)の両方が大事

さて、ギータでは、カルマ(業・行為)とギャーナ(知識)は一対のものとして、両方を深めることが必要とされています。

勉学が好きな人、ヨガの実践が好きな人、それぞれ個性や特性が違うため異なる道が用意されていますが、二つは本質部分で同じ意味を持っています。

「知識に基づかない行動」、「行動を伴わない知識」の両方は無意味と云われています。

私たちが取り入れるべきカルマ・ヨガ

今現在、仕事に追われ、もしくは家事や忙しい人は、さらに新しいことをする必要はありません。日常生活の中で行えるのがカルマ・ヨガです。

独学で自分の心だけを変えるのはとても難しいかもしれません。だからこそ、アーサナや呼吸、瞑想で自身を整えることも必要でしょう。これらを先生から学ぶことで、知識につながります。ヨガの練習は、どれも自分の心を整えるのに効果的です。

思考が行動を変え、行動が人生を変える。

自分の行いに対しての考え方を変えるだけで、徐々に生き方を変えることが出来るのがカルマ・ヨガです。

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