言葉の通じない場所で看病できますか?
国際的な(International)恋愛や国際結婚に憧れるかたも多いのではないでしょうか。わたしもその1人。
ニューヨークで旦那さんと結婚する前、まだ同棲を始めて2ヶ月くらいだった頃、彼が体調を崩したことがありました。時系列でいくと、
- 金曜の夜に体調を崩し、一晩休んでもよくならず、逆に悪化していたので
- 土曜の朝に近所の診療所に行きました。薬も処方されましたが回復する気配はなく
- 土曜の夕方にはめまいが酷く立てない状態になったので、救急車を呼び病院へ搬送されました。それが土曜の夜8時くらい。
- その後、急病人の患者がまず通される仮の場所で付き添いながら、診療を待つこと6時間!(アメリカあるあるなのか、運悪くその病院のシステムがよくなかったのか)夜勤の医師がようやく来てくれ、問診などを行い、ようやく点滴を処置してくれました。それが土曜の夜中2時頃。その後、病室に移してもらうはずだったのに誰も誘導してくれなかったため、さらに待つこと4時間。
- 日曜の朝方、ようやく病室に移され、担当医師による診察が行われたので、わたしは一旦帰宅しました
ストレス性の症状だったことと、めまいの原因がわかったため薬が処方され、その日のうちに退院となり(入院と言えるほど長い滞在時間ではありませんでしたが)、なんとか大事には至りませんでしたが、その後はお互い健康について一層気にかけるようになったのは間違いありません。
救急車で搬送されてから病室に入るまでの約12時間、たまにしか来ないスタッフの英語もよく聞き取れず、「いまどういう状態なのか」と受付で質問してもろくな返事をもらえず、立てない彼の可動式簡易ベッドをトイレまで押していって、トイレが終わるとまたもとの場所へ戻し、彼の家族へメールで安否や状況を伝える英語での連絡をし、彼を励ましながら、眠れない不安な一夜をともに慣れない病院で過ごしたことで、「これからこういう場面も一緒に乗り越えていくんだ」という、初めて彼と家族になるイメージと覚悟が湧き始めたのを覚えています。
意思疎通の大切さ
結婚し、ふたりで生活の場を日本へ移したあと、わたしの乳がんがわかりました。
彼はわたし以上にショックだったはずです。けれども辛抱強く、忍耐強く、明るさを絶やさず、わたしと、わたしに訪れた病いと向き合い続けてくれました。
日本語しか通じないわたしの病院にも一緒に付き添ってくれ、主治医の話を一緒に聞いてくれました。どういう選択肢があり、治療を選び、どういう未来をふたりで生きていくのか、目が覚めて起きている間はずっと話し合っていました。(これは出会った頃から変わらず、わたしたちは何らかの方法で常に会話をしています)
かなりの精神的負担があったと思いますが、いつもポジティブに協力をしてくれました。感謝してもしきれないほどです。
健やかな時だけでなく、病める時ほど、お互いの真価が問われるでしょう。
サティヤ・アヒムサで向き合う対話が大事
大事なことは、対話です。いつでも隠し事なくすべてを話し合い、理解する努力をし、わからないことは正直に聞く。そのお互いの姿勢が未来を築いていきます。ヨガの教えのもと、「正直さ(サティヤ)」「非暴力(アヒムサ)」で相手と向き合いましょう。
対話が大事だという原則は、国際結婚だけに限ったことではなく、日本語会話でもなかなか話が噛み合なかったり、理解し合えなかったりもあるかと思います。家族とですら、しばしば意思疎通に問題が起こることもあります。
さらにお互いの母国語が異なり文化が異なる相手だと、より一層これらのコミニュケーションがしっかりできないと、あとあと深刻な問題に発展する可能性を秘めてしまうでしょう。
お互いがお互いの言語や文化に興味を持てて、尊重し、理解しあえるといいですね。
人生は健やかなる時ばかりではありません。一方で病める時ばかりでもありません。バランスよく、どんな時でもしっかりコミニュケーションがとれる相手を見極めていきたいですね。
結婚を決める前にこれだけは確認しよう
わたしたち夫婦は、結婚について具体的にプランを進めるにあたり、以下のサイトを参考に、13項目あるすべての内容についてじっくり話し合い、同じ価値観や考え方であるか、そうでなくてもお互いを理解し合ってその都度解決していけるか、について人生観を知る努力をしました。
結婚式のプランよりも、人生のプランをどこまで具体的にあらかじめ話し込めるかが大切です。(わたしたちは大勢の人を呼ぶ結婚式をしないという点でも意見が共通していました)
英語のサイトですが、もし相手の母国語が英語だったり、お互いの共通のコミュニケーション言語が英語のカップルの場合は、このサイトに書かれている内容くらいの英語読解力とディスカッション能力は最低限あったほうがよいのではないかと思います。
自分の意見を言うことは日本語ですら難しいことですが、英語ならなおさら難しく感じるでしょう。
英語力はいつからでも身に付きます。わたしは35歳過ぎてから必死で勉強しました。それは自分の「こうなりたい」「こうありたい」という夢や理想を叶えるための努力によるものです。どうしても叶えたい夢がある人は、運を引き寄せる土台となる努力と行動、そして対話力も必要です。