ゴミひとつない電車の社内にカルチャーショック
早くから海外に出てしまった姉の影響で、わたしは逆に「生涯日本で生きていくんだ!」と決めていた10代。日本(Japan)で生まれ、日本で育ち、日本大好き!英語なんて話せなくてもいい!とまで思っていたのに。
なぜだか30代後半から海外へ飛び出し、紆余曲折を経て、姉のいる同じニューヨークで結婚して暮らし始める、という未来が待っていました。人生は不思議です。
そんな海外生活から日本に帰国したあとに気づくのは、電車の綺麗さ!車内設備(電子案内板、長椅子のクッションや床、ドア、優先席付近など)の整い方が素晴らしいのはさることながら、ゴミひとつ落ちていないクリーンな環境に、海外から旅行でやってくる友人達の間でも「ニホンのデンシャとトイレはキレイダヨネー」が話題です。
完璧さを追求して疲れていない?
わたしが海外へ飛び出した当時の理由のひとつは、「生きるのに窮屈さを感じた」ことでした。まわりと同じようにすることを無意識に求められる環境や、まわりの目を気にして生きることへの違和感。完璧な「こうあるべき」という人間にはなれない自分にコンプレックスだらけの劣等感を感じていたのです。
それでもどうにかこうにか日本で社会人を13年ほど務めましたが、「人と違っていいじゃない!」という感覚が幼い頃からあったため、ある時「もっと外に目を向けよう」と思い立ち、最初はヨガの師がいるハワイを目的地に定め、移住計画を練りました。
相手を尊重しながら、相手をそれほど気にしない外国の空気感
最初は英語という言葉の壁がありつつも、生きるのが楽になったのを覚えています。とにかく自分のやるべきことをこなして、日々を精一杯生きるだけで充実していました。
誰もこちらを気にしていないし、こちらも他の人を気にしないでいられる。どんな服装でも、自分がいいと思うものを着ていることができる。(毎日寝ても覚めてもヨガウェアで過ごしていました)
まわりを尊重しながら、自分も尊重してもらえる心地良さに、日本へのホームシックはまったく感じないほどでした。
適度な手抜きもいいじゃない
そして、海外で生活すると、外から見た日本の良さにも改めて気づきます。
- 乗り物のスケジュールは超正確で、送れると丁寧に車掌さんがお詫び放送をしてくれる
(一方、ハワイのバスも、ニューヨークの電車も、いきなり行き先変更したり遅れは日常茶飯事で丁寧なお詫びなんかなし) - サービスは一流できめ細かく細部まで行き届いている「おもてなし」文化
(一方、スピードと合理性第一で、接客はけっこう雑なハワイやニューヨーク) - トイレやバスルームは綺麗でお湯が出ないなんてことはほぼない
(ニューヨークの古いアパートでは真冬でもシャワーのお湯が出なくて困りました)
けれど、良い意味での適当さがある海外生活もやはり大好きです。
- なんといっても料理はワンプレートでOK。どーんと主菜から副菜まで乗せて召し上がれ!
(日本の食卓は、小鉢で何品も用意したり、お弁当も凝ったり、わたしには無理です) - 洗濯は1週間に1回、コインランドリーで乾燥までおまかせ
(日本だと天気がいいと毎日のように洗濯できますが、それはそれで大変です) - カード社会のため、現金での支払いが不要なところが増えてきていてお財布が軽くてすむ
(日本でもカードや電子マネーが普及してきているのでこのあたりは共通かもしれません) - 満員電車には、みんなそんなに頑張って乗ろうとしないで見送り、次の電車を待つゆとり
(実家のある横浜の沿線は超満員電車で、それでもギュウギュウに乗る人を尊敬します)
自由を求めて海外へ飛び出した経験から、「自分の望む自由とは何か?」ということを深く考えるきっかけができ、そのおかげでどうすれば自分の望む自由が得られるのかが具体的にわかりました。いまでは日本生活の中でもバランスをとり自分なりの自由度が増して以前より生きやすさを感じでいます。
生活の中心にヨガがあることも、自由に生きる意味や生き方を示唆してくれ、役立っています。(日本でも四六時中ヨガウェアで過ごす自信と自由を得られました)
自由な生き方は自分次第です。どこにいても自由は自分の中にあります。いま居る場所でまわりの変化を期待するのではなく
- その場所でいかに自分自身の自由を見つけるか
- どんな自由なら自分は満足できるのか
というバランスを知る作業が、ヨガの生き方を通して学んでいけるのだと今では実感していいます。