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バクティヨガこそ現代社会に求められるのではないか
数あるヨガの流派の中でも、愛(Love)と献身のヨガと定義される「バクティヨガ」。
ヨガの行いはマットの上を超え、日常生活でこそ実践していけるものです。普段から感謝や愛情の気持ちを大切に自分を慈しみ、相手を思いやる時間や空間を意識しています。
「バクティ(Bhakti)」とは「愛する」「分ける」といった意味
「バクティ(Bhakti)」とは「愛する」「分ける」といった意味のインドの言葉です。ヨガの教典「バガヴァッド・ギーター」[1]ではクリシュナがこう説いています。
アルジュナよ、四種の善行者が私を信愛する。(中略)彼らのうち、常に私に専心し、ひたむきな信愛(バクティ)を抱く、知識ある人が優れている。
ー 「バガヴァッド・ギーター」第7章より
- 美しいものを見て、美しいと感じられる心を養う
- 感謝の心を口に出して伝える
- 自分自身を慈しむことが、大切な家族や友人、自分に関わるすべての人と愛情をもって接することにもつながる
そんな日々の生活で身近に実践できるバクティヨガこそ、この現代において思い返して育んでいくべきヨガなのではないかと思います。
私は万物に対して平等である。私には憎むものも好きなものもない。しかし、信愛をこめて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。(中略)私に意(こころ)を向け、私を信愛せよ。私を供養し、私を礼拝せよ。このように私に専心すれば、あなたはまさに私に至るであろう。
ー 「バガヴァッド・ギーター」第9章より
自分はすべての中に在り、すべては自分の内にある。そのことから、愛し専心すべきクリシュナ(神)こそ自分自身であり、自分自身を愛して大切にすることがすべてにつながっていくのですね。
楽しさの共有も愛のかたちのひとつ
ヨガティーチャートレーニングを受けた直後から、半年間は無料のヨガクラスで経験を積もうとしていた時期があります。その頃から、クラス後に言われるのが「楽しかったです」という言葉。
「気持ち良かった」ではなく「楽しかった」という感想でいいのか?と当時は悩みました。けれども、クラス経験を重ねていくうちに、笑い(Laughter)も少しずつ起こるようになり、わたし自身も楽しくクラスを進めている実感が生まれ、クラスに来てくださる方たちが「楽しい」と感じるということは、「同じ空間と時間をしっかり共有できている、ということなんだ」と納得できるようになりました。
大人になると、純粋に「楽しい」と感じられることも少なくなってくるかもしれませんが、ヨガは高いお金もかからず、自分で自分を楽しませながら自信を育てていけるツールのひとつです。ありのままの自分でいられるそんな貴重な時間を、もっと多くの方に知っていただけたらいいなと思います。
笑いが身体を守る?!
笑いは免疫システムのひとつであるリンパ(Lymph)の働きを高めたり(特に、最強の免疫細胞であるNK細胞が活性化されます)、ストレスを軽減させたり、QOL(クオリティ・オブ・ライフ/生活の質)を高めたりするという研究論文が多く出ているように、笑いはわたしたちの健康にも良い影響を与えることがわかってきています。
- クラスでの仲間との交流
- 苦手だったポーズができるようになってきた喜び
- 継続して練習していることの充足感
- いまこの瞬間に呼吸をし、生きているというマインドフルな感覚
こういった楽しさや嬉しさの感情をもたらすことができるのも、ヨガの効能のひとつでしょう。
愛と笑顔を共有していきましょう
ヨガクラスの最後によく、こうお話しています。
吐く息でその愛を共有していきましょう
「バクティ」に「分ける」という意味が含まれている通り、愛はひとりじめするのではなく、できる限りまわりと共有していきたいものです。
嬉しいことがあった時、楽しいことがあった時、まわりと共有していきます。そのことでまわりがインスピレーションを受け、「自分だったらこうしよう」「こんな目標を設定してみよう」といったように、相手の未来の創造にも想像力をかきたてることができるかもしれません。
相手を変えることはできないけれど、自分自身が変わっていくこと、経験豊かに生きていくことで、関わる人たちの未来も変わっていくかもしれません。そんな素敵な連鎖が生まれる、ヨガマットを超えた素敵な行いが地球上にもっともっと広がっていったらいいなと願ってやみません。
すべてのものに敵意を抱かず、友愛あり、哀れみ深く、「私のもの」という思いなく、我執なく、苦楽を平等に見て、忍耐あり、常に満足し、自己を制御し、決意も堅く、私に意(こころ)と知性(ブッディ)を捧げ、私を信愛するヨーギン、彼は私にとって愛しい。
ー 「バガヴァッド・ギーター」第12章より
参考資料
- 「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳/岩波文庫)