自分以外の力が大きく動いていると感じることがある?
どんなに逆らっても抗えないような、大きな力が自分の人生に影響をしていると感じる場面はありますか?傘をさしてるはずなのにすぐ壊れてずぶ濡れになり、穴を避けているはずなのに落とし穴にはまってしまうような。
そんな人生に訪れる不可抗力な出来事が起きた時、あなたはどうしますか?
わたしにとってそんな場面はこれまでいくつもありましたが、最もショックだったのが、乳がんと診断を受けたことでしょう。
なぜいま?
あんなに食事も気をつけていたし、ヨガもしていたのに、なぜ?
なにがいけなかったの?
そんな疑問が次から次へと押し寄せ、考えても答えのみつからないもどかしさに泣きつかれて、それでも向き合わなければならない日々の仕事はある。生活がある。悲しんでばかりいられないほど、精密検査や入院手術、治療法の選択などが迫って来る。
怒濤の日々でした。
宇宙の導く力を信じる
わたしはこういう経験が襲ってきた時に、自分ではコントロールできない、宇宙(Universe)が導いている大きな力であると覚悟するようにしています。その時はそう思えなくても、あとから思い返すと「宇宙の力だったな」と納得できることも多々あります。
そんな時、ヨガをやっていて良かったな、と心から実感できるのです。
ヨガをやっていたとしても、病気になる時はなります。それは「何かが正常ではありませんよ、ちょっと立ち止まって確認してくださいね」という身体からのメッセージであり、その声に耳を傾けることが大切であり、ヨガをしていたからこそ、その身体の声も無視せずに受け入れて対処していくことができるのだと信じています。
どんなまわり道をしても行き先は同じ
困難な出来事は、わたしたちに回り道をさせていると感じさせるかもしれません。進んでも進んでも目標に近づいている気がしなかったり、正しい道を歩んでいるのかさえ自信が持てなくなったり。
けれどもヨガは、わたしたちに
- 「自分を信じる」強さ
- 人に助けを求める勇気
などを与えてくれます。また、目の前に次々と現れる選択肢を柔軟な視点で決定し、それに向き合っていく決意をもたらします。
すると、遅遅とした歩みであっても、必ずどこかへたどり着くでしょう。それが自分が最初に望んだ場所ではなかったとしても、回り道だとしても、逃げずに向き合ってきたという自分の強さを誇りに感じ、振り返った時に過去からここまで伸びている道に、「自分自身しか見えなかった景色、経験」という豊かな時間を誇りに感じることができるはずです。
その場所こそ、わたしたちそれぞれが果たすべき使命の通過点であり、どんなことも宇宙の大きな流れがそこへ導いてくれて経験できたのだと実感できるでしょう。
大きな力に委ねてみるのも主体的な人生の選択肢のひとつ
生まれた者に死は必定(ひつじょう)であり、死んだ者に生は必定であるから。それ故、不可避のことがらについて、あなたは嘆くべきではない。
ー 「バガヴァッド・ギーター」第2章より
親族の軍と戦わざるを得なくなったアルジュナが、恐れや悲しみから戦意を喪失し、クリシュナに向かって「自分はどうすべきか」と教えを乞うた時のクリシュナの言葉です。[1]
こうも続きます。
物質との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、来たりては去り、無常である。それに耐えよ、アルジュナ。
それらの接触に苦しめられない人、苦楽を平等(同一)のものと見る賢者は、不死となることができる。ー 「バガヴァッド・ギーター」第2章より
乳がんに出会ったことで、新たに「ヨガフォーキャンサー(yoga4cancer)」に出会い、がん経験者や治療中の方を対象としたヨガメソッドを学ぶことができました。
このヨガ哲学の教えを自分の人生に照らし合わせ、前向きに生きる道を模索したからこそ、病にただ悲嘆するだけでなく、ヨガフォーキャンサーを自身の心身のリハビリに活用し、またヨガフォーキャンサー認定講師としてヨガクラスを提供する機会も増え、同じような困難を乗り越えてきた仲間とのコミュニティとしても活用できています。
自分の思い浮かべていた未来とはまったく違う道のりでしたが、宇宙にここまで導かれたと信じています。
何も考えずに流れにまかせて漂うのとは異なり、宇宙の力に導かれつつ意識的に人生を創っていく。ヨガはその創造性を豊かに育んでくれるでしょう。
今回のブログに掲載した写真は、どれも同じ時期のハワイ島の景色です。ひとつの島の中でも、火山による黒い海岸があれば、青い海とグリーンに覆われた海岸も共存する。山の上では雪が降っているけれど、麓には花畑が広がっている。自然ですらこれほど創造性に満ちています。宇宙に浮かぶ地球という惑星に生まれ、人生を歩んでいることの奇跡を感じずにいられません。
参考資料
- 「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳/岩波文庫)