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ヨガの練習を続けていると「集中できないな」とか「気持が上手く乗らないな」と感じる時が必ずあると思います。それは、現代に生きる私たちだけではなく、古代のヨガ修行者にとっても同じ課題でした。パタンジャリのヨガ・スートラでは、ヨガ修行者にとっての障害が何かを説明しています。
今回はこの、古典ヨガで説かれた障害につてご説明します。ヨガの練習をするうえでの、参考にして頂けたら嬉しいです。
ヨガ・スートラに書かれたヨガにおける9つの障害
ヨガの障害については第一章で説明されています。
ヨガの障害とは病気、無気力、疑心、落ち着きのなさ、ものぐさ、執着、妄想、サマディに到達できないこと、サマディに留まれないこと、など、全て散乱な心の状態である(1章30節)
つまり、散乱な心の状態によって起こるあらゆる問題です。ヨガ・スートラでは、それらを次の9つに分類しています。
病気
不健康な状態の人は、ヨガの成功が難しいです。インドでは、人間の身体はヨガ修行者にとって、成功へ向かうための渡し船だと例えられることが多く、身体は大事にしないといけません。
ヨガでいう病気とは生まれつきの肉体的な障害に関してではなく、食事や生活習慣などについて指導がされます。また、胃腸などの不調は精神状態に深く関わります。精神的な問題を解決することも、病気への対策となります。
無気力
いきいきとした興味を失い、練習への意欲もエネルギーも喪失。やる気が起こらない状態です。
疑心
ヨガの練習に対する疑い。科学的な見解を聞くことによって、ヨガの実践方法や到達できる超人的な状態に対して疑心をもつことがあります。現代は情報が多いので、ネットや本で見たり、他のクラスに参加することで、自分が師事している先生の指導内容に疑心が湧いてしまうこともあるでしょう。「本当にこの道で正しいのか?」という疑心は、大きな障害になります。
落ち着きのなさ
ヨガの練習に集中できない心。特に忙しい社会生活の中では落ち着いて練習に取り組むことが、難しいかもしれません。
ものぐさ
練習をしようとしていたのに、怠けてしまう心。「今日は身体の調子が良くないから」、「先に掃除を終わらせたいから、明日からやろう」など、さまざまな理由を見つけては決心がすぐにゆらいでしまうこと。
執着
ヨガでは執着を帯びた愛を貪愛(ラーガ)と呼び、苦しみの元と考えられています。楽しみや快楽への執着も同じです。ヨガでは「良い」「悪い」の違いがなく、常に穏やかな心の状態を目指します。そのため、極端に感情を動かす執着を帯びた快楽はヨガにとって障害となってしまいます。
妄想
間違った妄想が生まれてしまうこともヨガの障害となります。たとえば、サマディ(瞑想)に到達したと思い込み。瞑想中に眠りに入ってしまうと、それをサマディと勘違いすることがあります。「これがサマディだ」と思う感覚を味わうと、その妄見によって心が支配され、本当のサマディが遠くなってしまいます。
サマディに到達できないこと
長く練習を続けていても、サマディに到達できないことがあります。始めは一生懸命に練習を積んでいても、あまりに長い間到達できないと忍耐が続かなくなってしまいます。
サマディに留まれないこと
サマディは一度の到達が、ゴールではありません。長くサマディ状態に入れるようコントロールできるようになり、安定して留まることを目指します。
初期段階では、サマディに到達しても長く留まれずにサマディから逸脱し、再びサマディの状態に戻ることができなくなってしまうことがあります。
サマディ状態を一度体験してしまったことでサマディへの執着が生まれ、そこから外れてしまった失望感も心の安定を妨げ、安定したサマディに戻ることが難しくなってしまいます。
ここに書かれた9つの障害は、全て自己の内側で起こる問題であり、心が散漫になっていることが一番の原因で引き起こされます。
では、散乱な心の状態を克服するのには、どうしたら良いのでしょうか。
心を集中させることで障害を断ち切る
これらヨガの障害を断ち切るには、一つの原理に集中することが大切です。
それら(ヨガの障害になる心の散漫さ)を取り除くためには、1つの原理への集中を継続する方法を使う(1章32節)
ここには集中する対象は書かれていませんが、ヨガ・スートラに登場する至高神であるイシュワラが最適だとされています。心から散漫さを取り除くためには、集中する対象は限りなく純粋で穏やかな存在であることが重要だからです。最も純粋なプルシャ(真我)である「イシュワラ」に心を結び付けましょう。
オームの復唱で解決
一つの原理への継続的な集中する、より具体的な方法としてジャバ(繰り返しマントラを唱えること)が挙げられます。
ヨガ実践者はこの聖音(オーム)を繰り返し復唱し、この音が意味するイシュワラを念じるべきだ(1章28節)
この方法を繰り返し行えば、意識は内側に向き、ヨガの障害も克服される(1章29節)
イシュワラについて
オームという聖音がイシュワラ(至高神)と同様な意味であることについて
神秘的な思想に頼らなくても、オームという響きはその波動自体が純粋で、エネルギーに満ちた音です。全ての音の始まりであるA(ア)、終わりであるM(ン)、その中間にあるU(ウ)が全て含まれています。
音は振動です。始まりから終わりまで、全てを含んだ音は私たちの身体や精神に直接影響を及ぼします。オーム(AUM)という音は、宗教的な場面でも使われますが、“A・U・M”という3つの音の組み合わせに特別な意味はありません。その音自体が、とても純粋でエネルギーがあるのです。
瞑想をする前、寝る前、朝起きた時、オームの音を繰り返し復唱してみると、効果を感じられます。ぜひご自身で試してください。
心を落ち着ける3つの方法も把握
ヨガ・スートラでは、心の落ち着け方についても、多数紹介しています。その中より、すぐに実践できる2つの方法を、見てみましょう。
他人への感情を見直す
私たちの心が集中できない理由として、人間関係で心が惑わされてしまうことが挙げられます。ヨガ・スートラでは、他人に対する感情をコントロールすることでも心の穏やかさが手に入ると説いています。
他人の幸せ、不幸、善行、悪行に対して抱く、友情、同情、喜び、無関心の感情は心の寂静を生む(1章33節)
他人と接するときに、相手ではなく、自分自身の心の状態に意識を向けます。純粋な状態で周りの人と接することができていれば、人間関係に心が翻弄されることはなくなります。
呼吸法
ヨガの練習では呼吸法(プラーナヤマ)がとても大切です。それによって心が穏やかになります。
息を吐きだす方法と止める方法でも(心は不動になる)(1章34節)
心の作用と呼吸の関係に関しては、ハタヨガ・プラディーピカの中の一節がとても有名です。
気が動くと心も動く。気が動かなければ、心も動かなくなる。ヨガ修行者は心を止めなければならない。だから気の流れを止める必要になる(2章2節)
ほとんどの人が、呼吸法またはプラーナヤマと聞くと、「吸って・吐いて」の繰り返しを想像すると思います。しかし、ヨガにおけるプラーナヤマとは、呼吸を止めることだとヨガ・スートラで定義付けられています。
アーサナが修得された後、吸う息と吐く息の流れを停止することがプラーナヤマである(2章49節)
呼吸をコントロールすることはとても難しく、自己流での練習は危険です。しかし、ゆっくりと呼吸を整えることなら、問題ありません。効果もすぐに実感できるでしょう。誰もができる簡単な呼吸のコントロールは、とてもおすすめです。
人生の障害にも惑わされなくなる
ヨガ・スートラに書かれたヨガの障害を克服する教えは、ヨガに限らず人生のあらゆるシーンに応用できます。私たちは、何かが上手くいかない時、すぐに外的な理由を探そうとしてしまいますが、あらゆる問題の理由と対策を自分自身の内側から見つけ出すのがヨガの思想です。
どのような問題も、心を集中させて穏やかさを保つことで克服することができます。自身の内側を見つめる習慣をつけて、ヨガのみならず人生の障害に惑わされない自分を育てましょう。