自分に対する暴力とは?「アヒンサ」の実践で心が自由になる理由

自分に対する暴力とは?「アヒンサ」の実践で心が自由になる理由

危害を与えないこと、または非暴力と定義される「アヒンサ」は、聖者パタンジャリが編纂した「ヨガ・スートラ」に示されるヨガの八支則のひとつ、「ヤマ(5つの倫理的・社会的指針)」の中で最初に挙げられているものです。

アヒンサは、一般的には他者との関係において約束すべきこととされていますが、実際に意味するものは、それだけではありません。より正確に言えば、アヒンサとは暴力や危害を及ぼすものを完全に、私たちの身体と心、精神から取り除くことです。

つまり、行動以上に意思と関連したものであり、普遍的な博愛心に関わっています。「非暴力」は考えられている以上に、はるかに“個人的な”問題だといえます。

自分への暴力

私たちは、「自分で自分を傷付ける」行為が珍しくない社会に生きています。あなた自身も他の誰かも、自分を卑下するような発言をしているはずです。

疲れてクタクタなときに、一晩たっぷり睡眠を取る代わりに、大量にカフェインを摂取することで何とか乗り切ろうとしていないでしょうか?もっと「痩せすぎ」になるために、食事を抜いたりしてないでしょうか?また、こうした行動が周囲の人に対するあなたの態度に、どのような影響を及ぼしてきたか考えたことがあるでしょうか。

自己嫌悪は常に、自己愛より受け入れるのが簡単なものです。そして、私たちは誰もがひそかに、自分自身にむちを打ち、それによって否定的な行動を取るようになっています。私たちが暮らしていきたいのは、そのような社会でしょうか。

私たちはまず、日常のちょっとした行動や反応に、暴力の要素が含まれていることを知る必要があります。そうした要素は、私たち自身にも影響を与えています。私たちの思考が「落胆」「恨み」「罪悪感」といった否定的な反応を導き出すとき、恥ずかしさを感じるとき、私たちは知らぬ間に、自分自身に暴力を振るっているのです。

自分自身に過度に期待したり、全てに責任を負ったりすることもまた、一種の暴力です。世界が自分の考えた通りに動くことを期待していることになるからです。そのような考え方をするとき、あなたは自分自身と世界のどちらに対しても、暴力を振るっています。

誰かの取った行動を理由にその人を許せないと思うとき、あるいは自分自身の行動のために自分を許せないと思うとき、そこにあなたの愛はありません。つまり、これらも暴力行為です。

原因は「内なる批評家」

私たちが自分の欠点や弱さ、切望するもの、不足しているものなどに気持ちを向けるのは、人間として避けられないことです。そして、私たちのほとんどは、精神の自由を見つけることができずにいます。ネガティブな感情が生まれることを、止めることができないのです。

それは、私たちが皆、逃れることのできない「内なる批評家」と共に生きているからです。その批評家は私たちのあらゆる行動を評価し、何が間違いだったのかを教えてくれます。

ですが、実は私たちは、この批評家の声に常に耳を傾ける必要はないのです。この声は私たちのネガティブな感情を巧みにつき、私たちが「そのとおりだ」と認めるたびに、否定的な気持ちをどんどん大きく膨らませていきます。

これらの声を無視し、受け入れないことを実践できれば、時間と共にその力は弱くなり、消えていきます。そう、自分が思ったことの全てを、その通りだと信じる必要はないのです。あなたは自分自身に対して「専制君主」のように、自分の好むものを永遠に手元に置き、嫌だと思うものを即座に捨て去るように要求してもいいのです。

ただし、この「好きなものを保ち、嫌いなものを捨てたい」という強い願望は、私たちの人生における苦しみの原因であるとも考えられます。自分自身に対する暴力の根源です。暴力はそうとは分からないような形で、私たちの言葉や行動、考え方の中に存在しています。

姿を偽る「暴力」

私たちの多くは、大切な人たちの気持ちを思いやり、そのことに多くのエネルギーを注いでいます。ですが、そうするなかで同時に、「自分が与えているような愛情は、自分は誰からも受け取っていない」「それを認めないために、絶えず与え続けているのだ」ということに気付きます──自分が持っていないものを、ずっと他の誰かに与え続けることなどできるでしょうか?

そこで、私たちはたとえ物事が今の状態のまま変わらなくても、そのことを受け入れられるようになるための努力を続ける必要があります。それができれば、人生の痛みが軽減されることはなくても、痛みの受け止め方がより良い方向へと大きく変化し始めるからです。

そうなれば、人生に変化を起こすには、「自分が今この瞬間の真実を全面的に受け入れるしかないのだ」ということに気付けるはずです。

自分自身の「平和」のために

内なる平和を見つけることは、平和的な人間関係を築くことも可能にする
内なる平和を見つけることは、平和的な人間関係を築くことも可能にする

自分に対する暴力から解放されるためには、自分自身が変化を望んでいることを「常に、そしてほぼ無意識に」、意識できるようになるよう心掛ける必要があります。また、否定的な感情の「受け止め方を変える」ことによって、そのような気持ちに人生を支配される状態から抜け出すことができます。

ネガティブな感情が単純に生まれたり消えたりする感情や心の状態であると理解できるようになれば、たとえ困難な状況にあるときでも、ある程度の「内なる調和」を見出すことができるようになるでしょう。そして、内なる平和を見つけることは、平和的な人間関係を築くことも可能にします。

ヨガは、日常的な生活においてアヒンサを実践するための素晴らしい方法です。ヨガを練習することで、公平に、また慈悲深い心をもって、自分自身の内なる闇に立ち向かうことができるからです。それは、ネガティブな感情や性質に変化をもたらすことにつながっていくはずです。