初めまして。今回から新連載を担当することになりました、童話作家の丘紫真璃と申します。童話作家が一体、どうしてヨガのコラム?と不思議に思われる方もいらっしゃると思いますが、私が長年触れてきた児童文学の世界と、ヨガの世界には、どこか通じるところがあるように思うのです。
児童文学の名作というものは、人間の真理を掘り下げ、人生を描くものです。そしてまた、ヨガも人間の真理を追究する、心理研究的な側面を非常に濃く持っております。そう考えると、一見、関係のないように思える、この二つの世界が、多くの共通点を持っていることは、当然のことともいえるのかもしれません。
児童文学の世界も、ヨガの世界も、とても奥が深いので、まだまだわからないことがたくさんありますが、この連載では私なりに、児童文学とヨガが語る真理について、考えてみたいと思います。
第1回目は、アニメでも有名な「ムーミンシリーズ」のスナフキンを取り上げます。スナフキンの言葉は、まさにヨガの体現者が語る言葉のごとく真理が散りばめられているのです。
ムーミン童話は、ヨガ好きも楽しめる
『ムーミン』は、フィンランドの著名な作家トーベ・ヤンソンによる全8巻から成る童話です。世界中で翻訳され、読み継がれている不朽の名作で、日本でもムーミンを知らない人はまずいないでしょう。それほど、世代を超えて、幅広い読者に親しまれています。
『ムーミン』シリーズは、子ども向けの童話と思われる方も多いかもしれませんが、本作の生まれたフィンランドでは、大人向けの純文学としても高い評価を得ているほど、人生の暗い一面にも切り込んだ描写が、多く見られます。
『ムーミン』シリーズは、きわめて個性的なキャラクターが数多く登場するのも特徴です。今回取り上げるスナフキンは、主人公ムーミントロールの親友ですが、もっとも個性を放つ印象的な存在ですね。
物を持たない放浪の旅人、スナフキン
スナフキンは、テントをかつぎ、たった一本のハーモニカだけを持って、いつも自由気ままに放浪の旅をしています。春から夏にかけては、ムーミン谷にテントを張ってそこで暮らし、秋になると、南を目指して、孤独な放浪の旅に出発します。
自由を心から愛するスナフキンは、物を持つことを嫌います。
「もちものをふやすというのは、ほんとうにおそろしいことだ」と言い、売店に立ち寄っても、何も買わず、古くなった服を新調することさえしません。
ー 『ムーミン谷の彗星』第6章より[1]
旅の途中、スナフキンのテントをかついでいた友達のスニフが、「くたびれたよう。つかれちゃったよう。もう、このテントをかつぐのを、かわってよ」と泣いた時、
「それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ」と、ものすごく簡単にあっさりと言い、本当に、テントを谷底に捨ててしまいます。
ー 『ムーミン谷の彗星』第5章より[1]
こんなこと普通の人ではありえない驚きの行動ですね。凡人なら、気が狂ったと思ってしまうところですが、ヨガの教典『ヨガ・スートラ』でも、非所有の重要性、物に執着せず、物事に縛られず、自由でいることの大切さが語られています。
それでは、スナフキンとパタンジャリが、同じように口をそろえて語る、この「非所有」について、考えてみましょう。
スナフキンは、ヨガの体現者!?
ヨガの教典『ヨガ・スートラ』では、非所有を意味するアパリグラハについて次のように語られています。
非所有が堅固に定まると、自分がどのように生れて来たのか、ということが判明する
ー 『ヨガ・スートラ』第2章39節より[2]
パタンジャリの言葉は、スナフキンよりもさらに難解ですが、所有欲から解放された時、今まで知らなかった、新たな世界が開けることを教えてくれます。
一切のものを手放し、膨大な物から自由になった時、私達に残るものは自分自身だけです。その時、私達は、自分自身を深く見つめるようになり、かつ自分自身の内面にこそ、世界の真理の謎を解くカギが隠されていることが、腑に落ちてきます。ヨガの目指す突極の状態、「サマディー」に達するには、自分自身を深く見つめ、それぞれの無意識世界を探究するより他にはないといえるでしょう。「アパリグラハ(非所有欲)」を徹底するのは、サマディーに達する第一歩です。
スナフキンは、ヨガを学んでいるわけではありませんが、ごく自然に、このアパリグラハを徹底し、所有欲というものから完全に解放されています。だからこそ、スナフキンは、本作の中でも徹底的に自由であり、それが主人公ムーミントロールをはじめとする、登場人物達のあこがれの的となるのです。そしてまた読者も、所有欲から解放され、自由の道を歩んでいるスナフキンにあこがれを抱きます。
物を持たない先にある幸せとは
『ムーミン』の著者トーベ・ヤンソンは、ワクワクするようなストーリーの中にさりげなく、人生の真理を解くカギとなる名言をちりばめます。スナフキンがなぜ、そのように、アパリグラハを徹底できるのか。その秘密も、ドキドキするストーリー展開の中で、スナフキンの口からごく自然に語られるのです。
例えば、スナフキンが、ムーミントロール達とガーネットの谷のそばを旅している時のこと。仲間のひとりであるスニフが、ガーネットをたくさん拾って、持って帰ろうとしますが、失敗してしまいます。ガッカリしているスニフに、スナフキンは、優しくこう言い聞かせるのです。
「なんでもじぶんのものにして、もってかえろうとすると、むずかしいものなんだよ。ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、たちさるときには、それを頭の中にしまっておくのさ。ぼくはそれで、かばんをもち歩くよりも、ずっとたのしいね」と。
ー 『ムーミン谷の彗星』第3章より[1]
続けて、
「じぶんで、きれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界じゅうでもな」というのです。
ー 『ムーミン谷の彗星』第3章より[1]
スナフキンが、「古シャツ一まいで、すみからすみまで幸福」になれる秘密は、この言葉から、読み取れます。ガーネットをポケットの中にしまいこんで、自分の物だと言わなくてもいいのです。ガーネットの放つ美しさに目をとめ、その美しさを頭の中の宝石箱にしまっておくだけで、もう、そのガーネットは、あなたの物になるのです。
執着を手放して得た真の幸せ
また、スナフキンはこんなことも言っています。
ぼくのママのおばさんはね、持ちものがすくなくなるにつれて、どんどんあかるい気持ちになっていったんだって。最後には、おばさんはからっぽのへやを歩きまわって、自分を風船みたいに感じたんだって。いつでもすぐとんでいける幸福な風船みたいにさ……
ー 『ムーミン谷の仲間たち』スニフとセドリックのことより[3]
スナフキンのママのおばさんは、あなたの命はいくばくもないと宣告されていました。それまでは、たくさんの美しいコレクションで、家じゅうをいっぱいにしていましたが、それらの物を天国に持っていくわけにいかないと悟った時、おばさんは、たくさんの親類や、友達に、自分の美しいものをプレゼントしたのです。不思議なことに、誰に何をあげようかと考えることは、楽しい遊びのようにワクワクして、スナフキンのママのおばさんは、とても幸せな気持ちになったのです。
そうして、たくさんのコレクションが、美しいプレゼントとなって、いろんな人に贈られた時、おばさんは、寂しく不幸になるどころか、心底、幸福に満たされ、かつ風船のように、自由な気持ちになったんですね。
所有欲を捨て、沢山の美しいものを人に贈って喜んでもらった時、スナフキンのママのおばさんは、知らないうちに、ヨガの教えを実践していたのです。その物の持たない美しさ、素晴らしさを仲間に伝えようとするスナフキンの姿は、太古から脈々と口伝えに伝えられてきたヨガと重なるところもありますね。
児童文学の傑作と呼ばれるものは、老若男女全ての人が読んで楽しいものです。『ムーミン』シリーズも、気楽に読むだけでもワクワクと楽しい作品ですが、ヨガのある日常を送る人が読むとまた、違った味わいが生まれるでしょう。読むたびに新しい発見が生まれる作品、それが『ムーミンシリーズ』です。ぜひ、ヨガを学ぶ皆さんにも一度、ムーミンの世界を楽しんでいただきたいと思います。
参考資料
- トーベ・ヤンソン著、下村隆一訳『ムーミン谷の彗星』講談社、1981年
- A・ヴィディヤーランカール著、中島巌訳『ヨーガ・スートラ パタンジャリ哲学の精髄』東方出版、2014年
- トーベ・ヤンソン著、山室静訳『ムーミン谷の仲間たち』講談社、1979年