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インドに来たばかりの頃、サドゥと呼ばれる沢山の出家修行者に出会いました。彼らはヨガ修行者として知られていますが、多くは「タパス」と呼ばれる苦行を行っています。
『ヨガ・スートラ』の中で、ニヤマの一つとして書かれているタパス。一体、どのような実践方法なのでしょうか。
決意の強さで、“不純性を燃やし尽くす修業”のこと
タパスの語源は、サンスクリット語で「熱」を意味する「タプ」という単語です。そのまま訳すと「熱業」と呼ぶことができます。つまり、タパスとは熱をもって自身の不純性を燃やし尽くす修業のことなのです。
ヨガでは純粋さを上げることが、とても大切とされます。世の中はサットバ(純質)・ラジャス(激質)・タマス(鈍質)の3つのバランスで成り立っていますが、サットバが最もプルシャ(真我)に近く、タマスはもっとも真理と遠い性質です。
ヨガでは不純物であるタマスを取り除いて純粋さを磨き、私たちの本質であるプルシャに到達しようとアプローチします。
浄化の行為タパス(の実践)を通じ、不純性が消滅し、肉体と感覚器官に超自然能力が生じる。(ヨガ・スートラ2章43節)
タパスによって不純さを取り除くことによって、隠されていた私たちの潜在的な能力が発揮できるようになります。
不純性を燃やす“熱”とは?
タパスで使われる熱とは、自分に課した誓いを守る決意の強さのこと。インドの修行僧が過酷な苦行を行うのは、難しい課題を成し遂げてこそ、心を克服できると信じているからです。
例えば、一般的にタパスとしてよく行われている断食は、「食べないこと」に意味があるわけではありません。「食べない」という誓いをたてたら、それを守る意志の強さが重要なのです。
通常の状態では人は感覚器官に支配されています。感覚とは、外の世界と自分自身を繋げる架け橋です。精神を集中させて瞑想を行おうとしても、気温や騒音、足の痛みなどが気になると瞑想に集中することはできませんね。このような感覚器官による妨害はタパスによって燃やされるべき不純性です。
タパスの実践によって、心は感覚器官に邪魔されなくなります。心の中の障害が焼き払われた人には、本来の潜在的な能力が発揮できるようになります。
タパスの具体例を見てみよう
インドで行われていた苦行
現在でも、バラナシやリシケシ、ガンゴートリーなどのガンジス川沿いの聖地を訪れると沢山の修行者に出会います。彼らの多くは、日常を山奥や森の中で過ごしながら、修行を行っています。親しくなると、ヨガのアーサナやプラーナヤーマ、瞑想などを指導して下さることもあります。
昔ながらの修行者の中には、非常に過酷なタパスを行う人がいます。伝統的に有名な方法には、「断食」、「熱い太陽の下に座る」、「水の中に立つ」、「雪の地方での裸での生活」、「両手を上げて片足で立つ」、「沈黙の誓い」……などがあります。
現代でも、苦しい行いがタパスだと信じて実践している人は、沢山います。
苦行=タパスではない
厳しい修業に耐えることがタパスだと信じる人が多い中、ギーターではハッキリとそれを否定しています。
経典で勧められていない禁欲や苦行を行う人、プライドやエゴが強く、激情や執着が強く、知恵がなく、物質的な身体や内に宿る精神を悩ます人は、阿修羅である。(バガヴァッドギータ17章5・6節)
タパスは厳しい制約に耐えることでもありますが、自分自身を傷つけるような実践はアヒムサに反することになり、自分自身への反逆的な行為となってしまいます。ギーターの中では、そのような行為を行う人は阿修羅(アシュラ)であると書かれています。
現代社会にフィットするタパスとは
インドの苦行者が行っているような極端な行法は、私たちが参考にするうえで、全く現実的ではありません。では、どのような実践が現代社会で効果的なタパスなのか。その一例を紹介しましょう。
- 自分自身にルールを設ける、自身への誓いを立てる。
- 五感から生まれる精神的な要求に負けずに、誓いを守る。
- 五感から生まれる要求に打ち勝つことで感覚器官をコントロールして克服する。
大切なことは「何をするか」ではありません。心と感覚をどれだけコントロールできるのか。そこに重きを置く、とても内面的なトレーニングなのです。
また、タパスの実践では感覚器官をコントロールする目的があります。5つの感覚は「臭覚・味覚・視覚・触覚・聴覚」です。この5つの感覚器官で捉えた感覚によって心は働きますが、感覚器官と心のパイプを断つことで心は惑わされなくなり、心の中の不純さが消滅していくからです。
すぐできる! タパスの実践例
タパスは具体的な行動ではなくて、「どのように行うか」という精神的な部分が大切である、と考えると、私たちの行う実践の全てがタパスとなり得ます。例えば……
毎日のアーサナの練習
ヨガをすでに実践している人にとっては、とても行いやすい実践方法です。「毎日朝行う」と決心したら、その誓いを守ることでタパスの実践となります。
毎日継続しようとなると、必ず心の中に障害が生まれます。「眠たい」、「疲れた」、「筋肉痛がある」、「やる気が湧かない」、「忙しい」……など。
これら心の中に生まれてきた不純性を強い意志の火で燃やして打ち勝つことがタパスの大切なプロセスです。
○○断食
健康に害のあるような極端な断食は良くありませんが、節度のある断食もとても有効です。
例えば、スイーツがとても好きな人が一切のスイーツをやめることもタパスとなり得ます。健康のための断食との違いは、精神的な意識の高さです。
自身の内側から訪れる欲求と向き合って、打ち勝つことがタパスの成功に繋がります。
形だけの実践では意味がない、内面的な修行の難しさ
すでに述べた通り、タパスはとても内面的な実践方法です。形だけの行いには意味がありません。1日30分アーサナを行うと決意したとしても、全く気持ちが入っていない形だけの練習では本来の効果がありません。スイーツを断つというタパスの成功のために、他のスナックを食べていても意味がありません。
タパスの修業は、五感と深く関係しています。感覚のコントロールに意識を向けましょう。
タパスと五感の関係
どのように五感が関係するのか、断食を例に上げてみます。「食事への執着を手放そう!」と思っても、様々な感覚器官が邪魔をします。
- 嗅覚:隣の人の飲んでいるココアの香りがとっても美味しそうで甘いものが欲しくなる。
- 視覚:SNSを見ていたら、友人のアップしていたランチの写真がとても美味しそう。
- 触覚:とても暑い日なので、冷たいジュースやビールが欲しくなる。
- 聴覚:隣の席の人が人気のスイーツの話をしていて、すっごく行きたくなる。
- 味覚:いつも砂糖を入れているコーヒーの味が、砂糖を抜いたらもの足りなく感じる。
たとえ「食べない」という誓いが守れたとしても、心の中に食への願望が渦巻いているなら、タパスが達成できたとは言えません。感覚から要求が起こるのは自然なプロセスですが、そこに負けず、心の中から変えることが本当の目的です。
私の出会ったタパス実践者
これまで、沢山のタパス実践者に出会いましたが、もっとも感化させられたのは、沈黙の行を行っていた「サイレント・サドゥ」と呼ばれる修行者です。聖地巡礼中に出会ったのですが、同行していた修行者によると、言葉を話さない修行を10年以上続けているとのこと。
数週間~1ヵ月の短期間だけ言葉を発しない修行をしている方には、沢山会ったことがあります。ただ、実践期間が終わると、とてもお喋りになっている方が多く、効果を疑っていたのも事実。
しかし、聖地巡礼で出会ったサイレント・サドゥは、言葉を音に出す「発声」だけでなくて、人の内面である思考そのものが、お喋りをしていないような穏やかさがありました。言葉を発しなくても、必要なコミュニケーションには不自由しなかったことも不思議です。
内側からタパスの実践を行っていると、実際の行動も無駄が省けてシンプルになるのだろう、と感動しました。
自身と真に向き合う、タパスを日常で
タパスの実践は、「これをしなくてはいけない」という、物質的、時間的な制約がありません。自分にとって、精神的にちょっと難しいと思えるチャレンジを課すことで、どんな課題でもタパスの修業になります。
大切なのは、タパスの実践の途中で生まれてくる、自分自身の弱さに気が付き、それに立ち向かう強さを築きあげることです。