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筆者がヨガ哲学を勉強し続けることができたのは、ヨガに生きている先生たちから直接頂いた教えがあったからです。
伝統的なインドのヨガでは、先生から直接学ぶことをとても大切にしています。本で学ぶ知識も貴重なものですが、実際にヨガの実践を長く行っている先生方からの言葉は重みが違います。
普段はヨガの経典からの教えをご紹介していますが、今回はインドの先生たちから直接頂いた、ヨガと人生に役立つ言葉をご紹介します。
僕は君をジャッジ(評価)しない。
インドという国は、日本以上に上下関係の厳しい国です。ヨガに限らず、師弟関係はとても厳格で、一方的な指導を行う先生が多い中、私の先生は生徒からも学んでいるとおっしゃっていて、生徒のことを悪く言いませんでした。
君がクラスに遅刻するとするだろう。でも僕は君を悪いとジャッジすることはしないよ。もしかしたら、ここに来るまでに困っている人がいて、人助けをしていたのかもしれない。
もしかしたら、君は病気で立ち上がることも困難だったのに、なんとか頑張ってここまで来たかもしれない。僕は君の全てを知らないのに、悪いという称号を君に与えるべきではないね
また、他人の評価(ジャッジ)をすべきでない理由を次のように話していました。
僕の与えた悪いという評価で、君の人生を変えてしまう
先生が生徒に「悪い」という評価を与えたとします。それによって、先生はその生徒に対面する度に「悪い生徒」に対する態度をとってしまうでしょう。
一方、その言葉を受けた生徒は、自分は「悪い」という自己評価をいつまでも拭えないかもしれません。たった一言の評価が相手の人生を変えてしまう可能性さえあるのです。
では、「君は良い生徒」というポジティブな評価ならどうでしょうか?
一見、素晴らしいことのように思えますが、「良い」という評価を与えたことによって、その生徒への期待が常に高くなってしまいます。
一度評価した相手が、期待と違う行動をしたら…通常よりも失望してしまいますね。良い評価を与えられた本人も、それがプレッシャーになってしまい苦しむことがあります。つまり、先生は良い評価もしないのです。
ヨガでは「良い・悪い」という、二極評価をできるだけ避けます。そこにある現実をシンプルに受け入れるのがヨガです。
瞑想はするものではない。起こるもの。
古典ヨガの目標は深い瞑想でサマディに到達して自身の心を克服し、解放されることです。ヨガ実践者はそのために長時間座りますが、瞑想は行うものではありません。突然やってくるものです。
瞑想とは一般的に、ディヤーナ・ダーラナ・サマディの3つを合わせたサンヤマの状態を意味します。
ヨガスートラで言うと、八支則の後半の3つです。この3つの段階は、五感による感覚を完全に制した後に自然発生します。
サマディという目標があると、人はそこに向けて努力をしようとします。ところが、サマディに到達しようとするほど、成功が遠ざかってしまうでしょう。「思考を止めろ!無になれ」と考えれば考えるほど、それが思考となって心の働きが生まれてしまうからです。
さらに、なかなかサマディに到達できないと、「サマディに到達したい!」という欲望まで、どんどん強まっていきます。悲しいかな、サマディを目指し、求めるほど、その思いが障害になってしまうのです。
では、どう向き合えばいいのでしょうか。それは、淡々と目の前の実践をするしかありません。それだけが目標に到達する方法です。自身が今どこまで到達したのか、結果に目を向けてはいけません。必ず訪れるサマディを信じて、ひたむきに実践を続けます。
これは瞑想だけではありません。アーサナの練習でも、日常の目標でも、結果に執着しないで自身の行いに集中することが大切です。
決心したときにすでに50%は叶っている
何かを本気で達成したい時には、願うだけではなくて決心しなくてはいけない
できるか分からないけれど“とりあえず”挑戦する、希望するというのは、その夢が現実になるか分からないという曖昧さを含んでいます。それでは、叶うものも叶いません。
「自分はやりきるのだ」と決心をすることは簡単ではありませんが、覚悟を決める必要があります。そうして自分に対しての覚悟が決まった時、すでに50%は叶っているのと同じだと教わりました。
心は行動を変えて、行動は未来を変えます。自分自身の心を変えることが成功への一番の近道です。
成功者は自分を騙さない
嘘はいけないことです。ヨガスートラの八支則の一つ、ヤマの中にもサティア(正直)の教えがあります。その中でも特に注意しなくてはいけないのは、自分自身への嘘です。
何かをすると決心したのに、理由を作って誓いを破ることは自分を騙すことです。毎朝瞑想を30分行うと決めたら、その決心を守れる人が最も自分にとって誠実な人です。
- 眠い
- 昨晩は遅くまで仕事をしていた
- 今日は頭痛がある
決心を揺るがす言い訳は、いくらでも作り出すことが出来ます。
「今日は嫌だな…」と頭によぎっても、決心したことを続けることがタパスであり、自身に誠実なサティアを行える人です。まずは自分自身に誠実であること、自分を騙さないことが、自身で目標を叶えることのできる人の条件です。
良い先生を探すことは難しい。しかし、良い生徒を見つけることはさらに難しい。
こちらは、ヨガシャラ(道場)に貼られた張り紙に書いてあった言葉ですが、グサッと心に刺さった言葉です。
私がヨガを学んでいたインドのリシケシは、世界中からヨガを学びたい人が集まる場所です。ほとんどの人が、すでに自国や別の国でヨガを学び、さらに良い先生に出会いたいと思ってリシケシを訪れます。
ほとんどの生徒は、リシケシに来てからも有名な先生を次々と訪れ、どの先生が良いかと議論を繰り返します。これだけインターネットが普及して情報があふれていても、まだ人々は先生を探し続けているのですね。
私の先生は、「本物の先生はインターネットでは見つけられない」と、いつも言っていました。本当にヨガに生きて、深いヨガの恩恵を授けることが出来るような先生と出会うことは奇跡に近く、難しいことだそうです。
しかし、同時にこのようにも言っていました。
生徒が良い先生を探すように、先生も良い生徒を探し続けている
伝統的なヨガは、すべて口伝えで継承されてきました。沢山の情報を本やDVD、インターネットで手に入れることのできる現代でも同じです。深いヨガの恩恵を受けるためには、プラーナ(生命エネルギー)をコントロールして、心を完全に制する必要があります。
その知恵は、実際にそれを学んだ人からしか享受できません。だからこそ、伝統を繋げるためには、その教えを受け取る準備のできた生徒が必ず必要です。
ヨガの先生は、自身が先生から受け取った知恵を、次の世代に受け継ぐ義務があります。沢山の生徒に広く普及することよりも、たった一人の生徒に全てを授けることを願います。
沢山の弟子がいたとしても、自身の持つ知恵全て・本質を授けるのは、ほんの数人の生徒だけ。インドの古典ヨガは、そうやって何千年もの間、奇跡的に継承されてきました。
深い教えを持つ先生ほど、深い教えを学ぶことができる生徒を求めます。
ではどうしたら、そのような生徒になれるのか。そして理想の師に巡り会えるのか。それには、生徒自身が自分を高め続けることが必要です。瞑想と同じで、自ら求めて探し回るのではなく、自身の準備が整った時に自然に表れるのだと言います。
今はお金さえ払えば好きな先生から学べるようになりましたが、もっと深く学びたいと思うと、どうしても先生と深く関係を築く必要があります。良い先生を求めるのならば、先生を評価するのをやめて、自身を磨く努力をしましょう。
直接先生からしか学べないこともあります
今回ご紹介したのは、経典ではなくて先生から直接頂いた言葉です。自身がヨガの実践者である先生たちの言葉は、その言葉の土台になった経験を感じることができ、とても胸に刺さります。
ヨガのクラスなどで良いなと思った言葉はメモを取るようにしています。みなさんも、自分自身が受け取った言葉は、大切に記録しておくと、人生でつまずいた時に助けてくれるかもしれませんよ。
(写真:筆者撮影)