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ヨガの経典として有名なバガヴァッド・ギーターは、人間として生まれてきたクリシュナ神が、主人公アルジュナに、この世の真理を説く話です。
ギーターの教えについては連載で少しずつ紹介してきましたが、今回はギーターの教えを説いてくれたクリシュナについて深く見ていきたいと思います。
インドで最も人気のある“愛の神様”
クリシュナは、実際に存在していたとされる人格神。人格神とは、神様が人間の姿を借りて生まれてきた姿です。インド中部に実際にいたヤーダヴァ族の英雄が、死後に神様として祀り上げられたとも言われています。
インドでは最も人気がある神様の一人で、愛の神様として知られています。クリシュナの特徴は、青い肌、孔雀の髪飾り、手にはフルートを持って、白い牛を連れています。
神の化身であるクリシュナは、生まれた時から怪力でした。赤子のクリシュナを殺しに来た沢山の悪魔の使いを、一瞬で倒してしまった逸話などはとても有名です。
ヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)
インドには、ブラフマン・シヴァ・ヴィシュヌという三大神がいます。クリシュナはその中の、ヴィシュヌ神の化身(人間界に降臨する時の姿)の一人。神の化身をアヴァターラと呼び、ヴィシュヌ神の化身は、次の10通りあるとされています。
- マツヤ(魚):水の流れに反して進める。
- クールマ(亀):カメが甲羅に手足頭を収めることは五感を制する象徴。
- ヴァラーハ(猪):心理を追求する者のひたむきさと力の象徴。
- ナラシンハ(人獅子):魔王を倒す。神・悪魔・人・動物のどれにも当てはまらない遍在性。
- ヴァーマナ(矮人):エゴを破壊する。
- パラシュラーマ(賢者):奢り高い王族を倒す。3グナの調和。
- ラーマ(王子):邪悪を滅ぼすために産まれた王子。ラーマーヤナの主人公。
- クリシュナ:人々を至高に導く存在。
- ブッダ:深い瞑想により悟りを拓く。
- カルキ:まだ表れていない。世界が終わる時に出現すると言われている。
この10種のアヴァターラ(化身)は、人間の進化を表しているとも言われています。それぞれの化身には深い意味が込められていて、ヨガの教えとも繋がっています。
クリシュナの神話
沢山の逸話のあるクリシュナですが、その中でも有名なストーリーを紹介しましょう。
生誕は波乱万丈
昔、一国を統治していたカンサ王は、とても悪名高い王様でした。天界の神々は人々を救うためにデーヴァキー(カンサの妹)の胎内に赤子として宿ることを決めました。
ある日、カンサ王は「デーヴァキーの8番目の子どもがお前を殺す」という声を聞きました。そのため、デーヴァキーの子どもを次々と殺していきます。しかし、7番目のバララーマと8番目のクリシュナだけは、生まれた瞬間に他の赤子とすり替えられ、殺されずに済みました。
2人の赤子は牛飼いの家に行き、そこで育てられました。
そのため、クリシュナの肖像画は白い牛と一緒に描かれることが多く、牛飼いを意味する「ゴーヴィンダ」や「ゴーパーダ」と呼ばれています。
クリシュナ生誕の地は、ヤムナー川沿いにあるマトゥラーと言われます。今でもウッタル・プラデーシュ州にあるマトゥラーにはクリシュナ・ジャナム寺院というお寺があり、クリシュナ生誕の地として人々に大切にされています。
全ての女性を虜にしてしまう……
愛の神と呼ばれるクリシュナは、女性にとても愛される神様です。神話によって若干数字が違いますが、クリシュナには16000人の妻がいたとされます。
神であるクリシュナは16000の分身となって、全ての女性を平等に愛することができるとのこと。そして、全ての妻がとても幸せだったそうです。
バガヴァッド・ギーターの中でもクリシュナは、「自分にひたむきな敬愛を注ぐ人は全て恋しい」と言い、バクティ・ヨガの信仰者とクリシュナは一体であると説きます。
私は万物に対して平等である。私には憎むものも好きなものもない。しかし、信愛を込めて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。
(バガヴァット・ギーター9章29節)
このように愛をもって神の境地に辿りつくのがバクティ・ヨガです。
フルートで愛を奏でる
クリシュナはいつもフルートを手にしています。クリシュナのフルートはバーンスリーと呼ばれる横笛です。クリシュナのフルートは、とても小さいサイズで、軽やかな高音のメロディーを奏でます。
クリシュナは、恋人たちに語りかけるのにフルートを使い、フルートを吹くクリシュナの周りには沢山の女性が踊っていました。
クリシュナが恋人たちと戯れていた森は、ブリンダーヴァンにあり、クリシュナの聖地として有名です。現在も1000以上のクリシュナ寺院があり、沢山の人が巡礼に訪れます。
恋人の嫉妬に、真理で応える
沢山の女性に愛されたクリシュナですが、最も愛したのはラーダーという牛飼いの恋人です。しかし、クリシュナがいつもフルートばかり吹いているので、ラーダーは楽器に嫉妬しました。
「どうしてフルートばかり愛して、私を愛してくれないのか。」と聞いたラーダーにクリシュナは答えます。
もし、誰かが私の唇の甘味を味わいたいなら、フルートの内側のように心を空洞にしないといけない。
その人がエゴイズムを手放して内側を空にしたら、私はその空洞を私の音楽で満たして、いつも私の唇の近くに置いておくよ。
恋人との会話の中でも、クリシュナはヨガの真理を説いています。幸せを手に出来ないのは、心の中が自己中心的な思考(エゴイズム)で埋まってしまっているから。全てを手放すことで、本当の幸せを手に入れることができます。
ナーダ音はバーンスリーの神秘の旋律
クリシュナが手にしているバーンスリー(フルート)は、ヨガとも密接に関係しています。バーンスリーは、竹に7つの穴を開けただけのシンプルな楽器です。この7つの穴は、体内に存在する7つのチャクラに相対しているとか。
また、ハタヨガで重要視されるナーダヨガでは、深い瞑想状態にいる時、体の内側から聞こえるナーダ音がバーンスリーのような音であるとも言われています。
気がルドラ神の結節を破って、シヴァ神の御座所に達する。その時、フルートの音やヴィーナーを弾ずるような音が聞こえる。
(ハタヨガ・プラディーピカ4章76節)
ハタヨガ・プラディーピカは、シヴァ派の経典のため、体内のプラーナが頭頂のシヴァ神に到達することを最高のラージャヨガと呼びます。
バーンスリーの音に似たナーダ音に意識を繋ぎとめることが最高のラージャヨガ(サマディの状態)に到達するための方法であり、そのバーンスリーを奏でるクリシュナ神は、周りの人の心を至高の状態に導いてくれます。
インドで最も鮮やかなお祭りホーリー
インドで最も鮮やかなお祭り、ホーリーをご存知でしょうか?この日は、カラフルな色の粉を周りの人たちの顔に塗ってお祝いします。
一歩外に出ると、老若男女問わず、町中の人が色の粉を持って、知っている人にも知らない人にも「ハッピーホーリー」と言いながら、顔に色を塗り合います。毎年3月頃に行われるホーリーは豊作を願うお祭りとしても知られていますが、その起源はクリシュナのイタズラだと言われています。
若きクリシュナは、恋人ラーダーの肌の色は白いのに、自分の肌が黒いと嫉妬をしました。その悩みを母親に相談したところ、「ラーダーの顔を好きな色に塗ってしまいなさい。」とアドバイスされ、クリシュナは母親の言葉の通りにラーダーの顔をカラフルに塗りました。
若い時のクリシュナの逸話には、女性たちへのイタズラがとても多く残っています。ギーターでは人間の生と宇宙の真理について説いたクリシュナですが、一方でとてもチャーミングな一面もあり、それが魅力となって愛されています。
誰もが恋に落ちるほどの美青年にして、音楽に長け、ヨガの智慧も備えた、力強いクリシュナが、今でもインドで深く愛されていることに納得できます。
インド神話で、ヨガがもっと面白くなる
今回は哲学経典から少し逸脱して、ヨガに関係の深いクリシュナ神についてご紹介しました。
日本ではあまり学ぶ機会がありませんが、インドのヨガやインド哲学を学ぶ時には、神様についてもある程度知っているとより深い理解につながります。
インドの神々の行いは、この世の真理を説くヴェーダの教えに基づいていていることが多く、ヨガの哲学とも密接に関係しているのです。
沢山の教訓が詰め込められた神話は、難しい哲学を神々の物語にたとえて、とても分かりやすく説明しています。興味を持った方は、ぜひ読んでみて下さい。