ヨガの視点が、子育てをラクにする
キッズヨガ指導者養成講座では、アシュタンガヨガ(ヴィンヤサではなく、哲学)を導入しています。保育理論と融合して、ヨガの知恵を分かりやすく、そして生活で実践できるものに置き換えて教えるためです。
これまで3回にわたり、子育てにおける“待つ”ことと“早くという言葉を使わない”ことの重要性をお伝えしてきました。今回は、この2つをヨガ的視点から、より深く見ていきたいと思います。
思考のことをエゴや心と表現することもありますが、ここでは“利己的さ”で考えていきたいと思います。
“利己的さ”には、いろいろものが挙げられますが、今回取り上げたいのが“効率性”です。効率的に物事を進めることが美徳のような風潮がありますが、効率化を図ろうとすることは、もっとも思考を働かせている状態と言えます。
“利己的さ=効率化”を求めすぎないで
日本は非常に便利な国で、都心では電車が遅れることはほとんどありません。道も綺麗に舗装され、また整備も行き届いていますから交通もスムーズ。停電も、よほどのことがない限り生じることもなく、仮に起きたとしても、ほとんどの場合、復旧に多くの時間を要しません。
ライフライン全般が整っているので、他の国に比べたら、ストレスなく生活を送ることができますね。ところが、多くの人の生活に余裕がなくなっている、という不思議な現象が起きています。
それは、利便性の追求に比例して、時間の流れが早くなっていることにあります。本来、利便性とは自由を獲得するものですが、仕事にしても家事にしても時間短縮が可能になったぶん、1日に、より多くのタスク、スケジュールを詰め込む傾向が強くなっているのです。
そして、いかに多くのタスクを効率的に進めていくのか。そこばかりが重視されるような社会へと変化を遂げているように感じています。
結果を求める子育てから、プロセスを楽しむ子育てへ
これは、大人の都合によって構築されたものです。つまり、利己的な発想によって生まれたものと言っても過言ではありません。しかし、子どもは効率化を測ることよりも、好奇心を中心に過ごしています。効率化を図らない時、思考は働きにくくなります。
思考とは外向きの意識ですが、好奇心は内向きの意識。ヨガで重要視するのは、内向きの意識ですね。つまり、子どもは本来それができているのです。
効率化といのは結果です。この結果を意識するとき“思考”が働き、思考を使うと、緊張が生まれます。一方、保育理論やヨガで大切にされているのは“プロセス”。プロセスを大切にするうえで使うのは感覚です。
一瞬一瞬を味わうこと。それがプロセスを大切にすることなのです。そうして、いま目の前に繰り広げられているものに意識を向けて、しっかり感じ取ろうとしている時、私たちはリラックスすることができます。
つまり、結果を気にしなければ、無駄に緊張しないということ。感じる事は、結果とは対極に位置しているのです。子ども達は常に感じようとする存在ゆえに、リラックスしています。
結果を出さなくても良い時間が本来は流れているはずなのです。それを、大人の都合で効率化を押し付けると、摩擦が起こり、子どもとのコミュニケーションがうまくいかなくなります。
あまりに小さい時期から、結果を求めないことの大切さを伝えているのが、ヨガ・スートラ1-2です。
ヨーガとは心の動きを静かに収めることです。(ヨガ・スートラ1-2)
この「心の働き」のことを「思考」と訳す場合もあります。思考とは「利己的」な部分から始まるもので、利己的さは“効率・都合・忙しさ・焦る気持ち”から生じ、この思考を“停止・収める・静かにする”のがヨガであると、ヨガ・スートラでは説いています。
つまり結果ばかりを追わず、いかにして多く静寂の時間(リラックスタイム)を作るのか。それも、ネガティブな感情に振り回されないための、ヨガが伝える叡智なわけです。
子どもや、お孫さんに関わる時間は、大変なこともありますが、子どもほど作為なく、無計画に時間を満喫できる存在はいません。そんな無邪気な子どもと時間を共有する事で、結果を求めない穏やかな時間の豊かさを学べるはずです。
利便性・効率性を追求するあまり、つい利己的に傾きがちな大人こそ、思考を使わないことの有意義さを、子どもとの時間をとおして、培って欲しいと願っています。
そうして、誰もが平和的に調和的に、子どもとの対話を積み重ねられるような社会になることを祈りつつ……。
参考資料
- 『やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ』向井田みお著、2015年、アンダーザライトYOGA BOOKS