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筆者が代表をつとめるヨガスタジオWellnessLabo.には、下は高校生から上は82歳まで幅広い年齢層の方がいらっしゃいます。
特にシニアヨガという枠は設けていませんが、クリニックに併設されているという環境からか65歳以上の方のご参加も多く、元気にヨガをされています。
高齢者の運動能力は上がっている
我が国は2020年には65歳以上の方が30%を超え、超高齢社会が到来します。
一方、スポーツ庁が調査を開始した20年のうち、現在の70代の運動能力は、もっとも高く、アクティブな高齢者が多いのも事実です。他方同じくスポーツ庁の調査結果で興味深かったのが、70代の運動能力が上昇傾向であるのに、30〜40代女性のそれが低下しているということです。
先日72歳のヨギーニに木のポーズの時にどうしてもふらついてしまうと相談されました。加齢を理由としていないその視点に元気をいただくのと同時に、40代の筆者自身が木のポーズでふらついてしまうのですから、先のスポーツ庁の調査結果どおりと苦笑してしまいました。
高齢者の、声なき声
我が国でも高齢社会の到来を受け、シニアヨガに注目が集まっています。ではそのシニアヨガは高齢者のニーズに合致しているのかと以前から問題意識をお持ちのヨガ講師も多いのではないでしょうか?
対策として、ただチェアヨガを提供すればいいのでしょうか?まずは高齢者の意見やニーズを聞かなくてはいけません。
そこでご紹介したいのが、より深い高齢者としての体験が必要だと考え、実践した人物。アメリカの工業デザイナーであるパット・ムーアです。
パットは消費者に一生を通じてより良い製品や環境をつくっていくことをライフワークとしていました。そのために高齢者が日常的にどのように扱われているかを知ろうと、なんと、26歳から29歳までの3年間、週に一度は85歳の姿に変装したのです。
関与しながらの観察という手法をとった大変興味深い研究です。
26歳の女性と、85歳の老人を隔てる認識
パットはプロの力を借りて85歳に変装し、自分の変装がどれほどのものか試すために、高齢者のケアを専門としている人々が集まる老年学会に参加します。
高齢者であることを周囲が疑わなかったほど変装は成功しますが、85歳のパットは学会で無視されます。
いつもは社交的で陽気な人達の集まりである専門家集団の中で、85歳のおばあさんは無視される存在なのだ
と、老人の社会的追放だと指摘します。つまり老人たちがまるで家具や壁紙の一部であるかのように、無視され、放り出され見過ごされてしまうということを、身をもって体験したのです。
そして食料品店でも85歳のパットはひどい仕打ちを受けます。26歳のはつらつとした女性でいるときは、横入りなどされたことはなかったのですが、85歳のおばあさんには当然のように横入りしてくるのです。
他人の態度に脅え、老人に対する彼らの明らかに否定的な判断を私自身も共有するようになった
人々は老人が問題を起こすことを恐れ、おばあさんとなったパットとの関わりをなるべく少なくしようとしているのだといいます。そして驚くべきことに、パットは自分でもそれが正しいと信じるようになっていくのです。
精神分析的には攻撃者との同一視と言われる心理規制なのですが、立場の弱い者が攻撃者の立場を取り入れることで自分の恐怖を和らげる、つまり老人の否定的な判断が正しいと思うことで自分自身の恐怖を和らげるようになっていったのです。
分け隔てなく、友人のように接せられますか?
老人への変装体験を踏まえて、パットは高齢者への接し方は、2つの要素が影響していると主張しています。
- 子どもの頃の高齢者との関わり
- 自分自身が年をとっていくと考えたときに、私達が感じる快さの度合い
そのために、子どもをもつ親に、次のような指摘をしています。
老人が若者とは少し違ったように見えたり行動したりすることに子どもが気づいて、その違いについてあなたに質問するようになったときには時間をかけて話しなさい
さらに、高齢者と接する機会をなるべく多くつくることが大切であるとしています。
知り合いの老人にあなたが手を差し伸べているところを子どもに見せなさい
またパットは「高齢者に対してどのように振る舞えばいいのか」という高齢者施設の職員を目指す人の質問に「友達に対してどのようにふるまっていますか」と尋ねます。
たいがいの返答は「でも、それとこれとは同じではないでしょう」と反論が返ってきます。
パットは友人と高齢者に対して同じ反応の方がよいと答えます。あるいは全く同じでなくてもなるべくそれに近い方がよく、もしそれができないなら、別の職業を探したほうがよいとまで言います。
なぜなら高齢者の基本的なニーズは、注意深くデザインされた環境などではなく、むしろ一般の人からのもっと思いやりに満ちた態度であるからなのです。
愛の視点から始まる、公平なヨガコミュニティ
パットは3年間の変装をして関与しての観察を通じ、愛すること、思いやること、そして分かちあうことが究極的には重要であることに気づきます。
その「気づき」は、対高齢者にとどまるものではありません。
本連載でも以前言及しましたが(下記参照)、ヨガはその昔インドの修行僧のための限られたものでした。一方、現在はより多くの人に広まっているものの、対象は限られた人に限定されてしまっているという指摘もあります。
ヨガを限られたものではなく、高齢者はもちろんより幅ひろい層に社会貢献ができるアクティビティに育てていくことが、ヨガに携わる我々に求められているのではないでしょうか。
参考資料
- スポーツ庁の国民の体力の調査結果
- 『変装』パット・ムーア著/木村治美訳(朝日出版社、1988年)