星の王子さまに見るヨガ〜ピュアな心の目で世界を見る〜

星の王子さまに見るヨガ〜ピュアな心の目で世界を見る〜

こんにちは、丘紫真璃です。ヨガで文学探訪第5回目は、『星の王子さま』を取り上げます。サン・テグジュペリによる、この美しい童話の名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。フランス童話の名作が、しみじみと清らかに語っている真実。そこに息づく、ヨガの教えにつながる、メッセージを見ていきたいと思います。

大人のための童話

『星の王子さま』とは、1943年にアメリカで出版された童話です。フランス人のサン・デグジュペリが、なぜ、フランスではなく、アメリカで出版したのかというと、1940年代は第二次世界大戦中であり、ちょうどアメリカに亡命している最中に書かれたものだったからです。

冒頭に、この本は、子どもだったころのレオン・ウェルトにささげると書いてあり、物語の中でも、作者は、子どもたちに語りかける形をとっています。それでもこれは、子どものための童話というよりも、むしろ、大人のための童話であるという評価が一般的です。

子ども心を取り戻したい大人たちのための童話。それが、『星の王子さま』だといえるでしょう。

かんじんなことは目に見えない

物語は、語り手である「ぼく」が、飛行機の操縦中、サハラ砂漠に墜落してしまったところからはじまります。およそ人の住んでいないところから、千マイルもはなれた砂漠の中。

そこで、「とてもようすのかわったぼっちゃん」に出会います。それが、星の王子さまです。

星の王子さまと一輪の赤いバラ
星の王子さまと一輪の赤いバラ

王子さまは、地球に住んでいる人ではなく、どこか別の星に住んでいる男の子でした。王子さまの星は、一軒の家ほどの大きさしかない、小さな星ですが、そこには、一輪の美しいバラが咲いています。

王子さまは、そのバラの花に水をやったり、覆いをかけてやったりして熱心に世話をしてやるのですが、ある時、バラといざこざを起こしてしまい、バラの花を残して、自分の星を去ることに決めるのです。

その後、星から星へと旅をした王子さまは、いろいろなおとなたちと出会いますが、どのおとなたちも、へんに忙しがっていたり、ふんぞり返っていたりするばかり。

なかなか、まともに話ができるおとなと出会えません。そうして、最後に地球にやってきた王子さまは、サハラ砂漠で一匹のキツネと出会います。

王子さまは、そのキツネと友だちになるわけですが、このキツネが王子さまに、大事なことを教えてくれます。

あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万もの男の子と、べつに変わりない男の子なのさ。だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱり、おれがいなくたっていいんだ。

あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネとおんなじなんだ。だけど、あんたがおれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいにはなれちゃいられなくなるよ。

あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ……

ー 『星の王子さま』より[1]

続けてキツネは、王子さまにこうも教えてくれます。

あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思っているのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ

ー 『星の王子さま』より[1]


だから、王子さまにとって、あのバラは、ほかのどのバラの花ともちがう、この世でたった一つのバラなのだとキツネは教えてくれるのです。キツネは、続けて言います。

星の王子さまキツネからの教え
王子様にバラのたいせつなことは何かを説くキツネ

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ

ー 『星の王子さま』より[1]

これこそが、この『星の王子さま』の物語全体で語りかけている肝心かなめの教えです。

キツネからこの教えを受けた王子さまは、ぼくに、こう話します。

「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからだよ……」

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからなんだ……」 

そんな王子さまをしみじみ見て、ぼくも思います。

いま、こうして目の前で見ているのは、人間の外がわだけだ。一ばんたいせつなものは、目に見えないのだ……と。

ぼくが、王子さまを見て涙が出るほどうれしいのは、それも、この王子さまが、一輪の花をいつまでも忘れずにいるからなんだ。

バラの花のすがたが、ねむっているあいだも、ランプの灯のようにこの王子さまの心の中に光っているからなんだ

ー 『星の王子さま』より[1]

ぼくにとって大事な人となった王子さまとも、やがて、別れが訪れます。王子さまは、バラの花のもとへ帰ることに決めたのです。王子さまは、まるで光が消えるように、静かに、静かにぼくの目の前から、音もなく去っていってしまいます。


水晶のように澄み切った心

キツネが王子さまに伝えた、肝心かなめのあの教え。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

ここに、ヨガの教えにつながる真理を見出せるでしょう。『ヨガスートラ』の冒頭に、有名な一文がありますね。


「心の作用を止滅することが、ヨガである」

ー 『ヨガスートラ』第1章2節より[2]

人間の心はいつも、風に吹かれた湖のように波立っています。不安や心配、欲望や恐れなど、さまざまな感情が、心を荒立てます。
そうした感情を鎮め、心の汚れを取り払うことこそヨガです。心が、風のない清らかな湖のように澄み渡った時、そこに真実がうつります。

うわべだけを見ただけだったら、王子さまの持っているバラの花は、他の十万ものバラの花と同じ、ただの普通のバラの花です。けれども、澄み切った心の目で見た時、王子さまのバラの花は、もうただのバラの花ではありません。

毎日水をかけてやり、覆いをかけて世話をしてやったバラは、この世でたった一輪の大切なバラになるのです。

いよいよ、自分の星に帰る前、王子さまは笑ってこう言います。

ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。そうすると、ぼくは、笑い上戸の鈴をたくさん、きみにあげたようなものだろうね……

ー 『星の王子さま』より[1]

ただ見上げているだけだったら、星はただの光る小さなものにすぎないかもしれません。でも、王子さまと出会ったぼくにとって、そして、この物語を通じて、王子さまを好きになった私たちにとって、星はもう、ただの星ではなくなります。

星は、鈴のようにキラキラと笑うたくさんの笑い上戸の星となってしまうのです。


宇宙からやってきた王子さまは、ヨガの目指す境地に達した存在そのものといえます。たった一輪のバラの花のことばかりを考え、自分の欲はありません。

だからこそ、その純真な目で見た世界は、魔法で満ちているのです。星は、ただの星でなくて、五億もの笑い上戸の鈴ですし、砂漠はどこかに井戸をかくした美しいものになります。


私達は、王子さまのような純真な目は持っていません。けれども、王子さまが、その目で見る世界を教えてくれた時、その魔法の世界をチラリと垣間見ることができるのです。

この魔法の世界に、ヨガを極めることによって、いつでもいることができると説くのが、『ヨガスートラ』といえるでしょう。

パタンジャリが、もし、星の王子さまに出会っていたら、王子さまこそが、ヨガの体現者だと感心していたかもしれませんね。

参考資料

  1. サン・デグジュペリ著、内藤濯訳『星の王子さま』岩波書店、1962年
  2. スワミ・サッチダーナンダ著、伊藤久子訳『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガスートラ』めるくまーる
、1993年