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“自分は変われる”と、教えてくれる言葉
人が古い衣服を捨て、新しい衣服を着るように、主体は古い身体を捨て、他の新しい身体に行く。(『バガヴァット・ギーター』2章22節)
私たちは自分に対するイメージを、この世に生まれ、築き上げてきた経験から作り上げています。しかし、「自分はこういう人間」と自分自身で決めてしまうと、そこから抜け出すことはとても大変です。
一方、ヨガ哲学における本当の自分は、プルシャ(真我)=自身の内側に宿る霊魂のみです。このプルシャは、何度でも新しい身体に生まれ変わります。
今、自分が思っている自分は、洋服のようなものです。自分で変わろうと思えば、今着ている古い服を脱いで、新しい自分になることができます。
自分を変えられるのは自分だけ
自ら自己を高めるべきである。自己を沈めてはならぬ。実に自己こそ自己の友である。自己こそ自己の敵である。(『バガヴァット・ギーター』6章5節)
著者がギーターのなかで、最も好きな言葉です。
人は何か問題が起きた時に、その原因を外に求めようとします。誰でも、自分自身を守ろうとする自己防衛が働くので、自分の責任だと思うことはとても苦しいと感じます。
しかし、もしも今の環境に満足していなくて、変えたいと思うのであれば、それができるのは自分自身だけです。
まずは、自分自身が自分にとっての一番の友だと認識しましょう。不安がある時も、自分自身を信じてあげます。何か、やましいと思う気持ちがある時は、自分で自分に注意をしてあげます。自分を下げるような存在(敵)になってはいけません。
結果に対して他人のせいにしては、いつまで経っても成長や変化はやってこない。自分自身を信じて、一番の味方になってあげることで、自分自身を高めることができます。
ヨガは手放すための方法
そのような、苦との結合から離れることが、ヨーガと呼ばれるものであると知れ。このヨーガを、ひるむことなく決然と修めよ。(『バガヴァット・ギーター』6章23節)
ヨガは幸せを足すための方法ではありません。ヨガで行うことは、苦しみの原因を手放すことです。苦しみの原因となるものは、エゴイズム(自我)や執着、無知です。
もっともっと幸福が欲しいと望むことは、欲望となり、執着を生み、結果的に苦しみを増幅してしまいます。まずは手放すことから始めて、不要なものが離れていった時に、本当の幸せが訪れます。
すべての人に平等な神を感じる
最高の主は万物の中に等しく存在し、万物が滅びても滅びることはないと見る人、彼は(真に)見るものである。(『バガヴァット・ギーター』13章27節)
『バガヴァット・ギーター』でクリシュナは、ヨガは平等の境地だと説きます。たとえ高貴な聖者であっても、乞食であっても、動物であっても平等です。
物質的な視野で物事を見ると、見た目や社会的地位などで相手を評価してしまいますが、ヨガの境地に到達した人は、生命の内側にあるアートマン(自己)を見ています。
産まれてくる環境は平等ではありません。どの環境に生まれてくるかは、前世のカルマ(業)などによって決まるため、生を得た時の環境には違いが出てしまいます。
人々は優劣を付けて周りの人と自分を評価します。その価値観にとらわれている間は、いつまで経っても、さらに欲しいと思う欲望が湧いてきてしまい、幸せに気が付けないでしょう。
しかし、本質を見るようになると、自分のなかにも、他の人のなかにも、平等に存在する絶対的なアートマン(自己)を感じることができます。個人レベルではアートマンと呼ばれるものは、ブラフマン(宇宙の創造原理)そのものです。
自分の中にも、他者の中にも、道端の草木にも神が宿っている。
それを知った時、自分を含めたすべての存在への愛を感じることができます。
人が崩壊する時の地獄の門
欲望、怒り、貪欲。これは自己を破滅させる、三種の地獄の門である。それ故、この三つを捨てるべきである。(『バガヴァット・ギーター』16章21節)
クリシュナは、苦しみの原因は3つあると説きます。
- 欲望:強く快楽を求める心。
- 怒り:他者に攻撃的になる心。
- 貪欲:常に求め続けて、いつまで経っても満たされない心。
もっともっと欲しいと望むことは、「今満たされていない(=幸せでない)自分」に意識を向けることです。それは無知(勘違い)から発生する心ですが、物質的な快楽を求める心は、人を騙したり、傷つけたりという間違った方法で自分の欲望を叶えようとする危険な行動の原動力となります。
怒りはダイレクトに破滅に繋がる道です。他人を敵だと思うと怒りのの感情が増幅しますが、本当の自分の敵は先に述べた通り自分だけです。
苦しみの原因となる心の働きは、最も手放すべきものです。
形だけの実践に、意味はない
信仰なしに供物を焼べ、布施をし、苦行し、行為をしても、それは「サットではない」と言われる。アルジュナよ、それは現世においても来世においても成果がない。(『バガヴァット・ギーター』17章28節)
「これだけやったのに、自分は報われない」、と思ったことはありますか?
成果を得るためには、何をするかよりも、どのように行うかが大切になります。
たとえば、同じように慈善活動を行ったとしても、「人に褒められたい、尊敬されたい」と思って行うと、物質的な目標は達成できたとしても、本当に幸せを感じることができません。
ヨガも、形だけのアーサナでは本当の効果を得ることができません。自分の本質(アートマン)に対しての愛をもって行われたヨガは、より多くの成果を感じることができます。
本当の喜びとはどのようなものか?
最初は毒のようで結末は甘露のような幸福、自己認識の清澄さから生ずる幸福、それは純質的な幸福と言われる。(『バガヴァット・ギーター』18章37節)
喜びには3種類あります。
- サットバ(純質):最初は苦しくても、結果幸せが訪れる。
- ラジャス(激質):最初は甘く、後から毒のようになる。
- タマス(鈍質):最初から最後まで自己を迷わせる。怠慢。
日常で「幸せ」だと勘違いしやすいのが、ラジャス性の快楽です。一時的にとても楽しく感じますが、すぐに冷めてしまいます。買い物などの依存症の人は、その瞬間だけ快楽を感じますが、それ以外の時間は苦しみに悩まされます。
惰眠を貪ることなど、怠慢な快楽はタマス性です。お酒などで気持ちいいと感じることも、本来の姿勢を鈍らせている、怠慢な快楽です。
本当の幸せを得るためには、最初は苦しみを伴うことがあります。毎日寝坊していた人が、早起きの習慣を身に着けるためには、嫌がる心の働きに打ち勝つ必要があります。
瞑想も、慣れないうちは本当に苦しいと思います。しかし、自分のために良いと信じて努力をして得た幸福は、結果的に永続的で安定した、終わりのない幸福へと変わります。
簡単に手に入る快楽の要求に流されないように気を付けましょう。自分自身の努力で得た純粋な幸福は、生涯幸せに生きるための一番の近道です。
ギーターの教えを人生に生かす
今回は、ギーターのなかでも、特に生活に活かしやすい格言を選んでご紹介しました。
分かりにくい理論の部分はなかなか理解することができなくても、自分自身が好きだと思える言葉を見つけることができると、一気に経典が身近なものに感じるようになります。
一度に沢山の教えを学ぶ必要はありません。クリシュナの教えを一つずつピックアップして、ご自身の生き方に活かしてください。