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「深めよう哲学」の番外編。インドの文化を、少しだけご紹介したいと思います。
それは、ヨガの教典『バガヴァット・ギーター』で知られるクリシュナ神の祝い方についてです。
ギーターの教えを学んでいる私たちにとってクリシュナとは道を与えてくれる神様です。ギーターはバクティ・ヨガの教典としても知られ、インドでは神への信愛を示すためのバクティがとても重要視されています。
筆者が現在インド古典音楽を勉強しているムンバイのブリンダーヴァン・グルクルも、クリシュナ神を祀ったお寺です。そこで毎年行われている『クリシュナ・ジャンマスタミ(クリシュナ生誕祭)』の様子とともに、インドの人々のバクティ・ヨガについてお話いたします。
笛の音とバクティ・ヨガ
著者は現在、ムンバイにあるブリンダーヴァン・グルクルという、住み込み式の学校で横笛を学んでいます。
学校の名称になっているブリンダーヴァンは、「クリシュナ神が幼少期を過ごしたヒンドゥー教の聖地」の名前から名付けられています。ここ、ブリンダーヴァン・グルクルは、音楽学校でありながら、お寺としての役割も果たしているのです。
若きクリシュナはいつもバーンスリーと呼ばれる横笛を吹いていました。あまりにクリシュナが笛ばかりを吹いているので、恋人のラーダが笛に嫉妬したのは有名な話です。
もし、誰かが私の唇の甘味を味わいたいなら、フルートの内側のように心を空洞にしないといけない。
成長したのちにヨガの神様としてバガヴァット・ギーターに登場するクリシュナですが、若き時代の逸話にもヨガの真理が散りばめられています。バーンスリーという楽器は、竹に穴を開けただけのシンプルな楽器で、中は完全に空洞です。
その空洞は、心の状態に例えられます。ヨガとは心の働きを止めて、自我を完全に手放した状態です。至高の美しさ(笛の音)は、自我を完全に手放した「空」の状態に表れます。
そして、空洞である笛はいつもクリシュナの唇を独占して、クリシュナ(神)の最高の愛が与えられます。
バクティ・ヨガ(親愛のヨガ)とは、神に心を預けて、神からの祝福を受け取ることです。神に心を預けるとは、エゴイズム(自我)を手放すこと。
「自分が」という考え方を捨てて、無償の愛を身に着けることは、結果的に最高の幸せを受け取ることに繋がります。
クリシュナへの一番の捧げものは笛の音
クリシュナ・ジャンマスタミ(誕生祭)のお祝いは深夜0時から始まります。前日の22時ころから声楽の人たちが、クリシュナの讃歌を歌い、23時半頃からはパンディットジ(司祭)がプージャ(儀式)を行います。
日付けが変わる0時からはグルジ(師匠)と生徒で24時間、バーンスリーを吹き続けます。通常インド古典音楽は1曲45分くらいで演奏することが多いのですが、ジャンマスタミでは1曲ごとに2時間以上かけて演奏します。
世界中から30~40人の生徒が集まり、順番に休みを取りながら絶対に笛の音を絶やさないようにします。その光景を見るために、グルクルには入りきらないほどの参列者が訪れます。クリシュナへの捧げものは24時間絶えない笛の音なのです。
このバーンスリー(クリシュナの横笛)には、7つの穴があり、7つの基本音階があります。7という数字は、体内にある7つのチャクラ(エネルギーの集まる場所)と繋がっています。
笛の中の1筋の空洞はシュシュムナー(エネルギーの通る道)でしょうか。ハタヨガでは、瞑想を深めるとナーダ音と呼ばれる音が体内から聞えてきます。もっとも深い瞑想状態で聞こえるナーダ音は、バーンスリーの音のようだといわれます。
音に意識を集中させて瞑想するのがナーダ・ヨガです。クリシュナのために24時間寝ずにバーンスリーを演奏する私たちは、バクティ・ヨガとナーダ・ヨガを同時に行っています。
クリシュナのためだけの演奏とは、お金や名誉を目的としない献身的な行為です。深い瞑想状態を感じているため、全く寝ずに演奏を行っても疲労感を感じない不思議な体験をします。
時間の不思議な力
インドでは時間をとても大切に考えます。インド音楽の場合、1日24時間を8つに区切って、その時間ごとに演奏して良いラーガ(音階などの規則)が違います。
ヨガでもインド音楽でも共通して、最も神聖だと言われる時間は日の出前の3時から4時の時間です。
瞑想に最も適した時間であり、クンブ・メーラーなどの大きな沐浴の日にも、この時間に沐浴を行うのが最適とされます。
伝統的なヨガでは、生徒は必ず師匠と一緒に住み込みで学びます。それは、1日のうちのどの時間に何を行えば最も効果的であるかを学ぶためです。インド音楽も同様に、1日にどのような練習を行って、何を演奏するかは全て決まっています。
ジャンマスタミでクリシュナに音楽を捧げるときに24時間演奏し続けることも重要です。それぞれの時間にしか感じることのできない情調をすべて捧げます。
現代社会では、夜中でも電気をつけるだけで明るくなり、街には24時間空いているお店もあります。しかし、私たち人間も自然の一部であることを忘れてはいけません。
私の先生は「閉め切った部屋の中にいても時間を感じる」と言います。同じように空が赤く染まっていても、それが夕焼けなのか、日の出なのか、その時間のエネルギーが教えてくれるそうです。
自然本来の時間の流れが持つエネルギーと共に生きるのがインドの思想です。都会に住んでいても自然に逆らわない。それが本来あるべき生き方ではないでしょうか。
バクティを捧げることは自身への祈り
バクティとは「自我を手放した信愛」です。インド音楽家にとっての神への祈りは音楽です。
私に意識を向けて信愛しなさい。私を供養して礼拝しなさい。あなたは私に到達することができる。それは必ず可能だと約束しよう。私にとってあなたは愛しい人であるから。(バガヴァット・ギーター18章65節)
これはクリシュナがアルジュナにかけた言葉ですが、クリシュナは平等の存在であり、神を信愛するすべての人を等しく愛します。
神への礼拝も3つのグナによって分類されます
- サットバ(純質):結果を気にせずに、行うべき礼拝を遂行する。
- ラジャス(激質):結果を意識して、偽善のために行う礼拝。
- タマス(鈍質):間違った方法で行われる信仰を欠いた礼拝。
祈りは形だけのものではいけません。大切なのは、心をしっかりと対象に繋ぎとめていることです。とはいえ、自分の心を他者に完全に預けることはとても難しいかもしれません。人にとって最も手放しがたいものは「自我」だからです。
「早くサマディ(三昧)に到達したい」と思いが強まるほどサマディが遠のき、「上手く演奏したい」と思うほどに美しい音楽からかけ離れてしまいます。
バクティ・ヨガでもカルマ・ヨガでも本質は似ています。「結果への執着」と「自我」を手放すことが幸せへの道です。
祈りの時間を設けることで癒される魂
クリシュナ・ジャンマスタミ(誕生日)はインドの宗教的な行事です。一見ヨガとは関係ないと感じた方もいるかもしれません。しかし、クリシュナに向けて祈ることさえ、自分自身を輝かせるためのヨガに通じます。
そう思うと、やはりクリシュナ神はすべての人を導く愛に満ちたヨガの神様なのでしょう。
無理にインドの神様に祈る必要はありません。自身のご先祖様に手を合わせる時、神社に行く時、自分の生活の中にあるすべての祈りは、自我を手放す美しい行為です。
本来、神様は自分自身の中にもいます。ヨガでは、内側のプルシャ(真我)に出会うことも、ブラフマン(絶対的な宇宙原理)と一体になることもできます。私たちが神に祈っている時、同時に自分自身を信愛していることにもなります。
純粋に祈る心こそ、自分自身を癒すための最も簡単なヨガです。
(写真:筆者提供)