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ヨガの哲学は、サーンキャ哲学と呼ばれる哲学の理論を元にしています。『ヨガ・スートラ』を読んでいて難しいと感じる部分は、サーンキャ哲学の土台があると分かりやすいでしょう。
今回は、このサーンキャ哲学にも触れながら、世界ができ上がった仕組みについて紐解きます。
世界のすべては、たった一つのプラクリティから
ヨガの哲学であるサーンキャ哲学はとてもユニークな哲学です。
世界中にある多くの哲学とは異なり、ヨガ修行者が瞑想の中で悟った知恵を体系化して哲学理論を纏めているからです。
世界の作られたきっかけ
そんなサーンキャ哲学をベースにした、ヨガ哲学によると、現在の世界が作られる前にはプルシャ(真我)とプラクリティ(物質原理)のみが存在していました。また、それぞれは独立して存在していて、空間を漂い、全く活動をしない「静」の状態でした。
そして、現在の世界は、偶然、このプルシャとプラクリティが出会ったことによって創造されたと説きます。
どうしてプルシャとの出会いでプルシャが活動をしたのか?には諸説あります。
- プラクリティのおせっかい
- 3つのグナのバランス崩壊
プルシャは完璧で美しい存在であるが、古代からずっと変わらずその状態であるため自身がそれを認識していない。おせっかいなプラクリティが、プルシャに自分の素晴らしさを自覚してもらうために、他の世界を見せようとした。
プラクリティを構成する3つのグナ(サットバ・ラジャス・タマス)はバランスを保っていて動かなかったが、プルシャと出会ったことで、プルシャの光が刺激となり、3つのグナのバランスが崩れて活動が始まった。
この2つが頻繁に聞く説です。プラクリティが良かれと思ってプルシャのために世界を作り上げた、というのはユニークな考え方ですね。
プラクリティの持つ3つの性質
さて、世界はプラクリティのもつ3つの性質、つまり3グナ(トリグナ)を元に作られました。これは、科学でいう原子のようなものと考えてください。
世界はさまざまな物事にあふれ、それぞれが複雑に絡み合っていますが、そのすべてはたった3つのグナの組み合わせで構成されています。
- サットバ:純質に支配されている性質。至高、透きとおっている、公正さ、軽さ、知性
- ラジャス:激質に支配されている性質。動きを示す、劇的、激しさ、痛み、活発さ
- タマス:鈍質に支配されている性質。怠慢さ、重たさ、濁り、暗黒、眠たさ
世界は必ず3つの性質を保持しています。100%美しさだけの物質もなければ、完全なる悪もありません。世界は、美しさと汚さをすべて含んだものであり、一辺倒な決めつけは間違った見地を生み出します。
決して好ましくない性質であっても、それは宇宙にあるべき性質です。
3つのグナが展開してチッタ(心)が生まれる
さて、均衡が取れて制止していた3つのグナは、プルシャと出会うことで活動を始めます。
最初に働きを始めたグナはサットバです。サットバは、プラクリティの3つの性質の中で、最もプルシャの性質に似ています。
プルシャと同様、限りなく純粋であり安定しているため、サットバが優勢で作られたものはプルシャに近い存在であると言えます。
最初に生まれたのは精神活動の3つ
3グナが活動を始めた時、最初に生まれたのは精神活動です。
- ブッディ(覚):宇宙の思考原理。真の知性。
- アハンカーラ(自我):「自分」という意識。他者と自分を区別する。
- マナス(思考):心に現れるあらゆる種類の思考。
最初に生まれてきたブッディは、プラクリティの作り出す世界で最もサットバ性の高いものです。サットバの次に活発になったのはラジャスです。
ラジャスは、活動を司る性質です。ラジャスが動き回ることによって、タマス性も働きをはじめます。タマスの性質が上がったことによって、アハンカーラやマナスも発生します。
ブッディ(覚)
ブッディとは、宇宙を動かすための最も基礎的な思考原理です。「個」の思考に影響されず自然に起こるものです。パソコンに例えるとOSの部分です。
OSは最もコアな基本のシステムなので、それだけで何かをすることはできません。しかし、あらゆるアプリを起動させて作業をするためには、土台になるOSが必要です。
宇宙にも同じように原理となる精神作用があり、それを元にあらゆる思考が働きます。
アハンカーラ(自我)
アハンカーラの誕生によって、人は「自分」という認識を持ちました。ヨガでは最も鎮めるべきだと考えられる心の作用です。
アハンカーラができる前の意識は、自身と他者の違いがありませんでした。「自分」という観念ができたことによって「比較」をするようになります。比較によって「自分と他者は別物」、「自分が良くなりたい」というエゴイズムが発生しました。
マナス(思考)
マナスは、感覚器官によって得た外の世界の情報をもとに湧き上がる多種多様な思考です。あらゆる思考にもサットバ・ラジャス・タマスそれぞれの性質があります。タマス性が強いほどに真実が見えにくくなり、サットバ性が上がるほど幸せに近い思考になります。
意識から物質が発生する
ヨガ哲学の面白いところは、精神が生まれて、その結果物質が生まれたという考えが、ベースにあることです。
自分と他者を分けることによって生まれた感覚と対象
世界ができ上がったのは、アハンカーラ(自我)が自分と他者を分けて認識するようになったからだとされます。比較するためには、外の世界を感じるための感覚器官が必要です。
そのために5つの感覚器官ができました。
感覚器官ができたことで、その感覚器官が感じる物質が必要となりました。それが5唯と呼ばれる物質の元素です。
【5つの感覚器官と5唯】
- 目←→色唯
- 耳←→声唯
- 鼻←→香唯
- 舌←→味唯
- 皮膚←→触唯
5感覚器官と5唯ができ上がったことによって、さらに5つの粗元素ができ上がります。そうしてできた空(空間)、風、火、水、土の5つを5大と呼びます。
他者にアプローチするために生まれた行動器官
自分の外に世界ができ上がることによって、対象に向けた行動を起こす必要があります。それが5行動器官です。
- 発声器官(口)
- 把握器官(手)
- 歩行器官(足)
- 排泄器官
- 生殖器官
感覚器官が外からの刺激を内側に取り込むための器官であるのに対し、行動器官は外の世界に働きかけるための器官です。行動器官ができたことによって、世界と自分との繋がりは、お互いに刺激を与え合う相互関係になりました。
プルシャにとっては、すべてが外の世界
サットバ・ラジャス・タマスという3つの性質を元に大きな展開を遂げたプラクリティですが、そもそもプルシャにとっては別物です。
プルシャは、「傍観する」という働きがあり、それ以外は何も行いません。
私たちは、プラクリティの生み出した物質世界を「自分自身に起きていること」と勘違いしてしまいますが、本当の自分であるプルシャにとって、プラクリティの作り出す世界はすべて他人事です。
『ヨガ・スートラ』ではシャウチャ(清浄)について次のように書かれています。
シャウチャ(清浄さ)を守る人は、自己の身体に対して嫌悪感を抱くようになる。ましてや他者の身体に触れることを嫌悪する。(『ヨガ・スートラ』2章40節)
自己の身体を嫌悪するというとネガティブに聞こえますが、言い換えると「肉体に興味がなくなる」ということです。
精神の清浄さを磨いてサットバ性を高めると、プルシャ本来の輝きが見えるようになります。本来の美しさを知った心は、もはや物質である肉体を求めません。
仕組みを理解することが解脱の近道
すべてはプラクリティの作り出す幻影の世界。では、どうして一生懸命ヨガの実践を行うのでしょうか?それは、世界はすべて3つのグナによって作られていますが、タマスが上がるほどに闇に覆いかぶされて真実が見えなくなるからです。
タマス性が上がってしまっている状態では、どれだけ知識を蓄えても、プルシャの美しさは体験することができません。
プラクリティの3つのグナを理解していれば、どの方向に進めばいいのかが分かります。具体的には、サットバ性を向上させて、タマス性をできる限り排除します。
それが分かるようになると、日常生活での選択が変わってきます。快適さとは何か?を学ぶことで、生き方そのものが変容していくのです。